綿帽子 第二十四話
帰り道、タクシーの中で今日という日を振り返る。
診察室で聞かされたことを頭の中で整理しながら、思い悩む。
心臓の動きが良くなってきたとの報告があるが、程度としては8割の回復傾向らしい。
ちょっと待て、入院中少し心臓の動きが悪くなっていると聞いてはいたが、8割良く動くようになってっるて何だ?
先生表現がざっくばらんすぎて良く分かりませんが、それなら入院中はどんな感じだったのですかと聞いてみた。
「嗚呼、あの時は6割」
「どういう意味ですか」
「6割程度しかよく動いてなかったっていう感じ」
それもざっくばらんすぎて良く分からないよ先生。
それなら入院当初はどうだったのかと聞いてみた。
「嗚呼、あの時はもう殆ど死にかけ」
「え、そうだったんですか」
「まあ助かったから。そうだなぁ今度は一ヶ月後でいいかな、一ヶ月後に様子見させてください」
「え、先生ちょっと待ってください。一体どうやって暮らしていったらいいんですか」
「いや、普段通りで」
「散歩してますが、走ったりしても良いのですか」
「いいよ、運動することは良いことだし、苦しくなければ」
「先生その具体例が分からないのでアドバイス欲しいんですが」
「一応治ってはいるからね、普段通りとしか言いようがないな」
「分かりました、じゃあお風呂入っても熱湯で浸かっても寒いだけで、全く熱さを感じないんですが、これは一体」
「うーんそれはまあ専門外だからね、申し訳ない」
「はあ、分かりました。有り難うございました」
戸惑う。
ここから全てを自分で考えるのか。
「希望」という文字が頭の中で「絶望」という文字に自動変換される。
今日は循環器内科だから次回の感染症科の診察で聞いてみるしかないか。
感染症科の主治医も何故か担当が代わっている。
一応いつでも来てくれと言われてはいるが、おいそれとは行けやしない。
それに頭がおかしいんじゃないかと思われるのが怖くて黙っていたのだが、ここ数日で色々なことが起こっている。
あの日、風が口の中に飛び込んだ日を何とか無事に乗り越えた俺は、また一日間を空けて散歩に出た。
前回のコースを避けることと慣れを促すために別の道を辿る。
家を出て右方向に進み、突き当たりを更に右に曲がると道の左側に老木がある。
その老木の手前に差し掛かったときだった。
突然、得体の知れない気配がした。
思わず気配のする方向に目をやると、老木の中から何かが抜け出したように近づいてくる。
「老婆だ」
頬っ被りをした腰の曲がった老婆のような物が俺に近づいてくる。
もちろんその姿に完全なる立体感があるわけではない。
いや、多分確認したら分かってしまうのが嫌なのだ。
しかし、かなり立体感があるようには感じられる。
きっとこれは幻覚なのだろう、いや、以前からのことを考えると、自分にはこんなものが見えたっておかしくはない等と様々な考えが頭の中を過ぎる。
どちらにしても近づいてくるのだから俺の危機には違いない。
必死で心の動揺を抑えながら振り向きもせずに歩き続ける。
10mぐらい歩いただろうか、老婆の気配は消えた。
少々安心はしたが、問題が一つ。
「同じ道を通らなければ家に帰れない」
そう、家に帰るには同じ道を通らなければならないのだ。
他に家の前の道路に直結しているようなルートはない。
老婆の方に振り向きもせず、後ろも全く振り返らずに歩いて来た俺が、今度はその老婆がいる方向に向かって歩いて行かなくてはならないのだ。
離れることによって老婆の気配が消えたということは、おそらく老木に何らかの関わりがあって、その周囲にしか影響を及ぼせないのだろう。
今までそういったものを感じたり見たりとしやすいタイプで、それをそのまま心療内科医に伝えてしまったことが統合失調症と誤診された大きな要因になり、人生に置ける大誤算に繋がったとは思うのだが、元来超自然現象的なことは全く気にしない。
そういった出来事に場慣れなんて必要ないと思ったりもするのだが、慣れてしまっているのだから仕方がない。
ただ、この老婆。
老木から出てきただけではなく、何だか体の力を吸い取られるような感じがした。
どう考えたって俺を元気付けようと近づいてきたわけではない。
その笑顔とは行動が裏腹な婆さんにかける情けはない。
同時にそこまで体が弱ってしまったことを痛感した。
敢えて言うなら、その婆さんのおかげで自分の弱り具合を知ることができたというか、全てを前向きに捉えるとすれば婆さん感謝となる。
「とはいえまた通るのか」
考えたくもない選択に言葉もない。
少しそのまま歩き続けることにした。
あまり家から離れると、帰るだけの力が無くなってしまう可能性もある。
それでも婆さんショックから立ち直るにはそれしかない。
「ありがとう婆さん、されど迷惑だからもうやめてくれ」
話しかけて「良いよ」と言った人から生気を吸い取るなら、せめて俺以外の悪い人からにしてくれよ等とあれこれと考えながら歩く。
夕焼けがやけに綺麗に見える。
というか、病院から外の世界は限りなく美しく、本当に生きていて良かったと思えるのだ。
過去に一度死にかけたのだから、似たような経験を繰り返しているはずなのだが、今回はより一層世界の全てが美しく思える。
しばらくその場に立ち止まり、ボーッと夕焼けを眺めていた。
そして、あることに気がついた。
あれ?世界は確かに美しいが、こんなに綺麗に見えるものだったかな?
確かにぼんやりと眺めてはいたのだが、ここまで綺麗に見えたっけ?
あれれ、何だか雲の形もおかしくないか?
待てよ待てよ、身体の力を抜いてリラックスしてみろよ、そしてもう一度確かめよう。
一回目を閉じてみよう。
1、2、3、4、5、10秒ほど数を数えながらゆっくりと目を開けた
「やっぱりだ」
目の前には輪郭のくっきりとした、まるでルネッサンス期の宗教画に出てくるような光り輝く雲が、赤く夕焼けで染まったキャンパスの上にふわふわと浮かんでいた。
ラファエロ?いや、ベルサイユ宮殿の天井画?
美しいというより、美し過ぎるのだ。
人生でこれだけ美しい景色を見たことがない。
それは有り難くもあり、そして恐ろしくもある。
かつての偉人たちが目にしたであろう光景が、今自分の目の前に広がっている。
彼らにとってはありふれた光景だったのかも知れない。
しかし、凡人の自分にとってはまさしく紙一重の状態でなければ到達できない、そんな世界が目の前にあるのだ。
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