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綿帽子 第二十三話

「お風呂ショッ〜ク!!」

から三日経った。

相変わらず湯船に浸かっても凍えるような思いをするだけで、体調に良い変化は現れない。
全身に渡る痛みは消えず、足裏の痛みも和らぐことはない。

久しぶりに外に出てみた。

最初はゆっくりと、家からあまり遠出をせずに歩いてみる。
通りすがりに近所の人に声をかけられる。

応対はするのだが、今の俺には苦痛でしかない。
足を一歩踏み出すごとに激痛が走るんだから、それだけで気が気じゃない。

何とか耐えながら歩を進める。

首が相変わらず座らずグニャグニャとした感覚が続いているので、物凄く疲れを感じるのだが、それでも歩かなければ前には進めない。

外を歩く時もどんなことに気をつければ良いのか、どれぐらいのペースでどれぐらいの距離から伸ばしていけば良いかさえ分からない。

「心臓弱ってるよ」とか言っといて、どうやって回復させたら良いのかサッパリな上に、歩いては良いのだろうけどいつになったら走れるの?
とか、そう言った考えが全て頭の中で疑問となってぐるぐると回っている。

何のアドバイスもなかったことが、不思議でならない。

答えはこの日から約2年後にやって来るのだが、この時点での俺には全く分かってはいない。

風が吹いてきた。

相変わらず残暑が続いているので、少々生暖かいが心地良くはある。
結構強く吹くなと思った瞬間、突然呼吸が出来なくなった。

一瞬のことで何が起こったのか分からない、とにかく呼吸ができない。

どうやら、口を開けた瞬間に強く吹いた風が口の中に飛び込み、それが原因となって呼吸ができなくなったみたいだ。

「そんなことで呼吸ができなくなるものなのか」

信じられないがそうらしい。

「早く家に帰れ」という声が頭の中でリフレインする。

歩いて数分の距離なのに、それが果てしなく遠く感じる。
呼吸を整え、なんとか落ち着こうと試みる。
喉が貼りついて呼吸ができない感覚が続く。

右足の膝から下が特に棒のように固まってしまっているので、バランスが取りずらく足取りも重い。
アスファルトの照り返しがより一層体を重くした。

「こんなにも体が弱ってしまっているのか?」という思いが、俺を益々恐怖に駆り立てる。

暑さも相まって「何だか気が遠くなってきたな」と感じ始めた頃ようやく家に辿り着いた。

疲れた。

体全体がエネルギーを欲しているのが分かる。

お袋が相変わらず居間で韓国ドラマを見ている。

たった今起こった出来事を伝えてはみたが、思った通り相手にはされない。仕方がないなと思い、部屋に戻って休むことにした。

しばらくベッドに横になっていたのだが全身の倦怠感が抜けず、どうにも体に力が入らない。
むしろ力が抜けて行くような感覚が続く。

あまりにも取れない倦怠感に、部屋を出て居間に向かう。
なんだかこのまま放っておくと危ない気がしたからだ。

居間に行ってもしばらくは黙っていたが、いよいよもうおかしいと思った俺はお袋に声を掛けた。

「あのさ、なんかおかしいんだ。悪いけど何か食べられる物ないかな?お腹が空いてどうしようもないんだ。何か食べないと、体に全く力が入らないんだ」

「え?今これ見てるやろ、静かにしとき」

「いや、本当におかしいんだ。体からどんどん力が抜けていくんだよ。何か食べられる物ないかな」

「そんなん、夕ご飯まで待ったらええやろ。我慢しい、今これ見てるっていうてるやろ」

駄目だ。
やっぱりこんなものなのか。

「本当にまずいって言ってるんだよ、このままだと何だか死んでしまうような気がするんだ。頼むから何か食べさせてくれないか」

「それやったら、死んだらええやん」

この時点でのこの言葉ほど心身共に堪えたことはない。

腹立たしいやら情けないやら、色々な感情が入り混じったりもしたが、もう心中それどころではない。
俺はもう一度精一杯の声を振り絞ってこう言った。

「お願いだから頼むよ、本当に死んでしまう気がするんだ。あなたの息子が目の前で死んでしまうかもしれないんだぞ、本当にそれでもいいのか?」

「こんなに真剣に頼んでいるのに韓国ドラマの方が大事なのか?あなたがドラマを見ている間に俺は本当に死んでしまうのかもしれないんだぞ、本当にそれでいいのか」

もはや声というよりは叫びに近かったかもしれない。

するとお袋は突然我に帰ったように、口を開いた。

「そうや、私の息子が死んでしまうかもしれない」

「分かった、なんでもええか?焼きそばでよければ今すぐ作ってあげる」

「ありがとう、とにかく頼むよ」

「待っとき」

そう言うとお袋は台所に向かった。

少々安堵感を覚えたが、この時本当に死の予感がしたのだ。
テーブルの前の椅子に腰掛けながら、胃から背中に向けて力が吸い取られて行くような感覚に恐怖を覚えずにはいられなかった。

とにかく胃に何かを入れなければ、気を失ってしまいそうな気がしていた。

お袋が焼きそばを作って運んで来てくれた。

焦って食べると呼吸が出来なくなるような気がしたので、一口ずつゆっくりと口に運んだ。
味が全く分からないので、何かを体内に取り込むことによってエネルギー補給をしている、そんな感覚に近かった。

一通り平らげると、少しだけ体に力が入るようになったが、脱力感は変わらない。

受診日が近いので今晩死ぬようなことがなければそれまで我慢しよう、少しでもおかしければ救急車を呼んでくれとお袋に伝えた。

珍しく心配そうな顔をお袋がしていた。
多分入院中も心配はしてくれていたんだろう。

しかし、それがダイレクトに伝わらなければ心配することに意味なんてないんだよお袋。
お袋が生来の天邪鬼な性格で、言葉を上手く扱う術を知らないことはよく分かってるよ。

だけど、人っていうのは体感することで心身が充実したり、また変調もきたしたりする。

言葉っていうのは、それだけ人にとって大切にしなければならない物なんだ。

俺が放つ言葉でお袋も心が傷ついたこともあるだろう。
そうじゃなくても子供の頃から素行不良で心配の種は尽きなかっただろう。

それでも、親から子に向かって「死ね」と言う言葉を投げかけるのは、いついかなるどんな状況であっても何かが間違っちまってる

その原因を作ってしまったのが例え俺であったとしても、言われた時には他人から言われる何十倍も堪える物なんだ。

言われることに麻痺してしまって、何も感じないくらい罵られていたとしても、それに慣れなどやって来るはずはないんだ。

言った側は言われたことがないから言えるんだ。

ごめんなお袋


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