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綿帽子 第二十二話

昨夜お風呂に入ってみた。

最後に入ってから2週間以上は経っている。

夏なのでシャワーだけにしておこうかとも思ったのだが、免疫力を高めるためには体を温めた方が良いのだ。

蛇口を捻ってお湯を出す。
指先で軽く温度を確かめてから浴槽に湯を張った。

一旦部屋に戻り、頃合いを見計らって再び浴室へと向かう。

湯船にはもう半分ほどお湯が溜まっている。
そのままシャワーに切り替えて、まずは頭を洗う。

「気持ちいい」

「気持ちいいけど、なんか変?」

洗っている最中何故だかフラフラとしてきた。
それでも何とか洗い終えると、少しホッとした気分になる。

あくまでも少しだけだ。

頭皮の脂でベトベトしていた頭がすっきりとした反面、違和感を覚えずにはいられない。

次に体を洗ってみる。

「うん?」

何かがおかしい。

残暑が厳しいので、充分な熱さのシャワーを浴びているはずなのに体が温まらない。

おかしいなと思いながらも体を洗い終え、そのまま湯船に浸かってみる。

「あれ?」

まるで水風呂に浸かっているように体が冷える。
確かにお湯を入れたはずなのに、湯が水のようにしか感じない。

試しに首までと浸かってみる。

「やっぱりおかしい」

どれだけ深く沈み込んでも体が温まる気配がない。

「俺、まさか水を入れた?」
「いや、そんなはずはない」

カランからシャワーに切り替えたまま頭を洗っていたのだから。

不可解な出来事に段々と焦りを感じてきた。
浴槽の栓を抜き、少しお湯を減らしてから熱めのお湯を流し込んでみる。

「駄目だ、何も変わらない」

今度は目一杯お湯の温度を高く設定して流し込んでみる。

「これも駄目だ」

明らかに熱湯と思えるほど湯気が立っているのに全く熱さを感じないのだ。

こんなこと起こり得るのか?
明らかなる自分の体の変調に恐怖を覚えずにはいられなかったが、何とか落ち着きを取り戻して浴室を出た。

体を拭きながら、頭の中の不安を抑えることに全てを集中する。
ここで不安発作でも起こしたらもっと悲惨なことになる。

しかし、明らかに自分がおかしいという事実に不安は増殖し、俺は体を拭くのも惜しんで脱衣所から飛び出した。

お袋が居間でテレビを見ていた。

今起こった出来事を伝えようかとも思ったが、自分の異変をはっきりとは自覚できているわけではないので黙って部屋に戻った。

それにお袋に言ったところで、返ってくる言葉は分かっている。

「私に言われても分からへんし、自分で何とかしい」

それを言われるくらいなら黙っている方が気が楽なのだ。
気を取り直して次回はもっと熱めのお湯を入れて試してみることにした。

思えばこれが長く続く後遺症の前触れというか、表現はおかしいのだが、ある意味出発点となってはいる。

部屋に戻ると携帯で思いつく限りのワードを打ち込んで検索してみた。

今の俺にとってはネットだけが頼りだ。

前回長期入院した際には、主治医の先生がネットサーフで治療法を発見したという。
ネットは全てが真実ではないけれど、全てが虚偽でもないという、とても頼もしいツールだ。

傷んだ体を回復させるのに充分な環境が整っていれば、必要ないとも言えるのだが。

もう50歳になろうとしている俺にとって、ネットという物は決して馴染みの深いものではない。

俺が最初に出会ったPCなんてAppleⅡかAppleⅢだったと思う。
当時はデスクトップ型のマイクロコンピューターという呼び名で、画面も小さくて決して見栄えのする代物ではなかった。

それすらまともに扱ったことのなかった俺がこれだけネットに支えられるようになるとは、人生なんて本当に先が見えないものだ。

2012年。

当時はまだガラケー全盛の時代。

ある日を境にお袋が段々と小さく見え始めた。

最初は歳を取ったからだろうと、あまり気にも止めなかったのだが、見る間に痩せ細ってゆくお袋を不自然に思い病院に連れていった。

気付いた時にはもう体重も35kgになっていて、医者に即時入院を勧められた。

元々背も小さいお袋だったが、あまりにも不健康なぐらいに痩せ細っていた。

「病名食道アカラシア」

食道がS字状に曲がり、胃までの経路が細くなり、入り口がほとんど塞がってしまっていた。
食べ物が胃まで落ちずにそこで止まって逆流する。

当時入院した病院では治療が出来ず、たまたま横浜のとある病院でPOEM手術という、当時としては最新の技術によって命を取り留めることができた。

その時大きな難関となったのが、お袋が患っていた「特発性血小板減少性紫斑病」という病気だ。
血小板の数が異常に減り出血傾向が酷くなって、色々と悪い方向に進みやすくなる病気といえば分かりやすいだろうか。

手術を受けられる病院を確保したのに手術自体が受けられないんじゃ八方塞がりだ。

ところがたまたまというか、奇跡的にというか、常に極端に減っていたお袋の血小板は見事なまでに手術に耐えられる基準に回復していた。

これはお袋の人生において最大限ラッキーな出来事だったのかもしれない。

遡ること一年前、お袋はこの病気を発症した。
本当はもっと前から同じ状態だったのかもしれない。

気づいた時にはもう体内の血小板の数はかなり減っていて、骨髄異形成症候群に移行しかけていた。
骨髄異形成症候群は気をつけていないと急性白血病に移行しやすい。

そんな危ない橋の上にお袋は立っていた。

嫌がるお袋を無理矢理口実を作っては連れて歩き、専門医を求めて都内の病院を渡り歩いた。

ネット検索をして、電話を掛けては予約を取る。
病院でセカンドオピニオンの為の診療情報提供書その他必要な物を用意してもらう。

納得の行く回答が得られず、時にはぞんざいに扱われたりして悔しい思いをしながら、何とかかかりつけと言える病院を探しだした。

当時はまだアナログ人間だった俺は、家にPCがある訳でもなく、ましてや携帯すら持ち始めて数年しか経っていなかったので、インターネットの知識を全て携帯電話から吸収した。

とはいえ、ガラケーである。

文字を打ち込むのにも時間はかかり、探したい項目を見つけても小さい画面を延々とスクロールしないと内容すら読むことができない。
お袋の体調もいつ何時急変するかも分からない状態だったので、俺は常に焦りを感じていた。

今日の時点では大丈夫でも、明日は分からないのだ。

治療法を求め暗中模索の中、限界を感じた俺は母方の叔父に助けを求めた。
叔父の家には従兄弟が子供の時からPCが常備されており、何より従兄弟は、医薬品製造企業の研究室に勤務していた。

医療関係者の知り合いも多い。

お袋には病気の内容を知らせていなかったので、叔父には内容を伏せた上でと念を押し、何でもいいから情報が得られたら連絡してくれと協力を求めた。

しかし、ある日買い物に出かけていた俺が帰宅すると、何故だかお袋が自分の病気を知っている。

叔父から電話があったと言う。

「え?」

唖然として叔父に連絡を取った。

「どういうことなの?」

「協力出来ることは何もない」

「〇〇に聞いてみてくれたの?」

「あいつには連絡は取れん」

「じゃあ、せめて良い情報がないか調べるのに協力して?〇〇が一緒に住んでいるだろう?」

「あいつは何もできない」

「え?病気の内容調べて分かっているんだろう?」

「それは分かっている」

「それよりな、あんたにはもう関わりたくないんや、とにかく何も協力できんから」

「あのさ」

もうそれ以上言葉が続かなかった。

俺は諦めて電話を切った。

こういったやり取りの一年後、お袋は更に瀕死の状態に追い込まれるのだが、もの凄くポジティブに物事を捉えてみれば、これがきっかけとなって新しい世界が開けたのかもしれない。

立ち塞がる壁が高ければ高いほど、乗り越えた時に自分がより一層成長しているかと問われれば、俺はそうでもないんじゃないかと思う。

生きて行く上で障害というものは付き物だが、普段から正しい選択をしながら歩んでいれば、壁だと感じるような障害など存在せず、乗り越える以前に回避する事だって可能なんだと思う。

人生は不条理に満ちているんだ。


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