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夜闇と共に迫りくるあの場面、あの苦しみが
*投げ銭制です。おまけ以外全文無料です。
前回までのあらすじ:(ノンフィクションな日記みたいな話です)
5年前、僕は高校の同級生の特別な仲良しグループから去った。迷宮のように入り組んだ想いと傷を抱えながら。しかし時は経ち、僕は再びあの昭和家屋を訪れた。2018年12月31日のことだった。
彼らと鍋を囲む年の瀬。皆、変わらずにはいられない。結婚した者、以前厳しい戦場で戦う者。それぞれの折り合いの付け方、積み重ねてきたもの。葛藤している自分が脆弱に思えた。夜は更けていく。
登場人物:
自分(僕)・・・このnoteを書いている人。
梟・・・度々連絡を取っていた友人。研究者を目指している。
狐火・・・縁のある例の女の人。
熊笹・・・有名企業で働いていて、結婚している。
栗鼠・・・未登場。本当はもっと活躍させたかった。
這いよる闇
鍋の後は、だいたいニンテンドースイッチでスマブラSPをしていた。
5人で遊んで、パーティーゲームとしても優れているなと思った。熟練度にばらつきがあっても、普通に盛り上がれる。
テレビの前に肩を並べて、コントローラーをそれぞれ手にしていた。
それは、高校時代を思い出すような情景なのだった。
僕は高校の文化祭のスマブラ大会(自分達で開催、参加者15人くらい)で優勝したことがある。
憂鬱に胸を焼かれるような日々の中にも、笑える瞬間があったのだ。
(保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」を思い出したが、シリアスな話の中にも実際にはユーモラスな瞬間があるもの)
気づけばもう深夜の3時だった。いつしか2019年が訪れていた。
誰もそのことに注意を払っていなかったし、誰も新年を迎えたことに対するリアクションを取らなかった。
さすがに疲れたので、僕らは布団を敷いて眠ることにした。
自分は他の人が近くにいる状況で寝るのが久々なので、なかなか寝付けなかった。あと寒い。
目を閉じると一人になったかのようで、人の気配がある。寝息や布がこすれ合う音。そして聞き慣れない時計の音や、畳のい草のにおい。
薄明りの中、部屋の隅へ視線をやると、年季の入った木製の梁やすりガラスの扉の沈黙に、時の流れを感じた。
電源が落とされたテレビの赤いランプ、空になったグラス、お菓子の包装紙がまとめられたゴミ袋。全てが祭りの後。
もはや何も語られない。誰も語らない。
そんな中、劣等感や敗北感、その他諸々の負の感情が渾然となって、僕の暗闇へと侵入してきた。
漠然と、自分はとんでもない間違いを犯しているんじゃないか、という気持ちになった。
何もかも不器用過ぎたね。もっとやりようがあったのかもしれない。他の人は、もっと上手くやっているのかもしれない。
そのことに距離を感じる。自分は上手くやれなかった側の人間なんだ、と思わずにはいられなかった。
ともかく休もう。今はなるべく考えないでおこう。
振り払おうとしても振り払えなかったが、相手にせずそのままにしておくことで霧は薄らいでいった。
やがて眠りへ落ちる。
(この前読んだ水島広子の本にも書いてあったけど、こういうのは刺激や疲労の影響も大きいのだと思う。メカニズムや対処法を知れば気が楽になる。)
interlude - いま関係あるのかもしれないし、関係ないかもしれない夢の話
この夜は夢を見なかったが、
子供の頃、こういう夢を見たことがある。
僕はどこかの病院にいた。その病院では大変なことが起ころうとしているらしい。
詳細は忘れたが、ここに悪い奴らが攻めてくるとか、そんな感じだったと思う。
そのことを知っているのは子どもの僕一人だった。誰かに伝えなくてはならないと思った。
そんなことを子供が言っても、大人は信じてくれないとは考えつかなかった。
当時よく食べていたハイレモン(薬の錠剤のように包装されているラムネのようなお菓子)が陳列されている売店を通り過ぎ、母親のもとへと走った。
走っている身体に、底が無いような浮遊感を覚えた。不安が極度に高まったときに感じるやつだ。僕は怖かった。
それでもなんとか母親のもとへ無事辿りつくと、少し安心した。母親はいつもと同じように微笑んでいた。
僕は危険が迫っていることを伝えようとした。
しかし、声が出なかった。どうにかして絞り出そうとしても、うめき声すら出なかった。
理由はわからない。まるで声の出し方を忘れてしまったかのようだった。
悪い奴らに魔法をかけられてしまったのかもしれない。
夢はここで終わる。
なぜこの話をしたかというと、自分という人間は昔から、
外界からの刺激や得ている情報量は大きいが、
それを言葉にするなどの方法で表現することはあまり得意ではなく、
そのことがこの夢に象徴的に現れているんじゃないかと思ったからだ。
(他には、「今日見た印象的な夢と、そこからふと気づいた人生と傷の示唆について」に書いたことも関係ありそう。タイトルの付け方が下手だけど、要は見た夢とその詳しい考察。)
15時に初詣へ
昼過ぎに目が覚めた。
他の人達はすでに起きていて、相変わらずゲームをしたり雑談をしているようだった。
なんとなく初詣へ行こうという流れになった。
熊笹と、もう一人(話の構成上、自分の文章力ではうまく登場させられなかった。群像劇難しい。この場では”栗鼠(リス)”と名付けることにする。次回以降、再登場予定)は疲れたのでもう帰るらしい。
自分、梟、狐火の三人で行くことに。
近所の神社まで自転車で移動。
その間、自分は「最近なんか面白いことない?」とか「ほとんどのことに飽きてきたんだけど」みたいな話をずっとしていた。
四人以上だとあまり自己主張せず流れに身を任せがちだが、三人以下だとめっちゃ喋る現象が出てた。
梟も狐火もいろんなことを提案してくれるが、自分はけっこういろんなことにチャレンジしてきた人間なので、既にやったことがあることがほとんどだった。
ゲームを作るとか、音楽つくるとか、絵を描くとか、プラモデルを作るとか。だいたい却下してしまうことに申し訳なさを感じた。
でも「ゲーム動画を作ってYoutubeとかニコニコ動画にアップロードする」という狐火の提案はやってみたいと思った。自分はライブ配信を延々と見てる人間だけど、彼女は動画のほうが好みであるらしい。
調べたところ、ゲーム動画を作るにもちゃんとやるなら機材が必要だけど、簡単にでも作ってみたいなあ。
深すぎた祈り
そうこうしているうちに、神社へ到着した。
思ったより人がたくさんいた。
参拝するにもおみくじを引くにもそれなりに並ぶ必要があるようだった。
ま、三人で雑談していればすぐだ。
自分は賽銭箱へ五円玉を投げ込んで、
垂れさがった綱を引いて、
ガランガラン、とでっかい鈴みたいなやつを鳴らした。
形式的に礼と拍手をしておいた。
そして並んでいる人が多かったので、すぐ脇へ退いた。
振り返ると、そんなことを気にする様子もない狐火が、まだ手を合わせて深々と祈りを捧げていた。
ああ、そうか、そういえばそうだったな。
この人は志は高く義理堅い。そういうところがあるんだったなと思い出した。
ただ、それには形式的なきらいがあって、現実の状況とうまくかみ合わない部分があって、その志の高さとか義理堅さがむしろマイナスの結果として現われがちなのが悲しいな、と思った。
それで去っていった者もいる。自分もその一人だったのかもしれない。
この人は物事を判断するときに頭で考えすぎて自己完結しているような、
血の通った実際の人間が、その不完全なコピーとしての自分の心の中の人間に置き換えられているような傾向がある。
それゆえ、この人がやる利他的な行動は、状況の要請に対して過剰だったり不足していることが多い。
立ち会った人間は、そこに感情的なギャップを覚えずにはいられない。
形式的な感謝、形式的な努力は人の心を動かさない。
むしろ疲弊させることすらある。
そのリアクションのずれは感じているのか、よく不満そうな顔をしている。
そして彼女が無理をした反動が、自分が正義を振りかざせる状況になったときに、爆発的に訪れる。たまりたまったものを、他人へぶつけずにはいられなくなる。
彼女が捧げる深い祈りの姿を見て、後ろに長蛇の列を背負いつつも目を瞑り長々と願い事を唱えている姿を見て、僕はそう思い出していた。
その不器用さには怖さも感じるが、自分がまきこまれないぶんには面白いと思ってしまう。どこか嫌いになりきれない。
批判したいわけじゃない。危険と同時に魅力を感じている。
こんな風に語らせてもらえることが、本当はありがたいこと。
つまんない奴だと思ってたら、注目してない。
むしろバランスの取れた人間のほうが、少し苦手意識がある。
おみくじを引く
僕ら三人はまたもや列に並んだ。
自分は「くじを引く」ということから、
Youtuberのヒカルが「祭りの夜店のくじを全部買い占めてあたりが入ってないことを暴露した有名な動画」を連想した。
そこから発想を飛ばして、
「おみくじを全部買い占めない?」とか
「大吉だけ集めて高値で転売しない?」という冗談を言った。
狐火も梟も笑ってくれたので、少しうれしい気持ちになった。
(このとき引いたおみくじの写真とその感想が、この記事のおまけですw)
長かった二日間の終わり際に
僕ら三人は、駅へ向かって歩いていた。
名残惜しい気持ちだった。
途中、昼ご飯を食べるかという話になりかけたが、
目当ての店が営業時間外でやっぱりやめとくか、
ということになって少し肩を落とした。
道すがら、梟は「どこかへ遊びにいく子どもを見るとつらい気持ちになる」という話をした。
彼はかなりハードな子ども時代をおくった人で、そういうニュアンスが含まれていた。
「なかなか闇深いね」と、自分と狐火は笑った。
ま、この場に居る三人はみんなそれぞれの闇の深さを抱えているんだけど。他人事でもなく。現在進行形で。
これまでもうまくいかないことはたくさんあったし、
これからもたくさんあるだろうけど、
この瞬間だけは屈託なく笑えたことが、僕は嬉しかった。
やがて駅へと到着した。
僕は少し寂しい気持ちになったので、「一本締めしとかない?」と二人に提案してみた。
そうして梟が音頭を取り、小気味の良い一つの破裂音が鳴った。
それが2019年1月1日のことだった。
別れ際、僕は場所を提供してくれた狐火と、鍋の材料費をおごってくれた熊笹(今はいないけど)に感謝を伝えた。
そうすると、梟は「もう少ししたら僕は世間から身を隠して研究に集中するつもりだけど、それまでは何かあればまた声をかけて」と言った。
狐火は「土曜って空いてる? 今度か、その次の土曜にまた鍋するからおいでよ」と言った。
(おわり)
※この話はプライバシー等に配慮し、適切な脚色や改変を行っています。実際の出来事や心情を正確に写し取ろうとしていない箇所もあります。
(人が人に何かを語るという行為がすでに物語を作るということであり、どうやっても100%の純粋な真実にはならないと思ってます)
この二日間の話は終わりですが、昔の友人に再会していくという大きな話自体はまだまだつづきます。まだまだ会ってない人がいるので。
紆余曲折の経緯もあったが、僕はこの日会った友人たちに感謝している。
ではまた次回。
動き出した大きな古時計、それこそが心の雪解け。(脚韻)
僕は生き残ることが出来るか。
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*100円~で変えられる、この続きの僕の行動w
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読者参加型の遊びにしますw
この日の話は全3回で完結しましたが、
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この話に出てくる友人たち等へ普段はしないような
何か面白い事・良い事をするために使おうと思います。
実行した内容はここで書くつもりです。
モチベーションになるし、自己肯定感も上がるのでぜひ!
*以下、有料部分の「この日のおみくじの結果」です。あくまで投げ銭のおまけなので、ぜんぜん大したものでもないですけどw
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