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今日見た印象的な夢と、そこからふと気づいた人生と傷の示唆について

今日は夢を見た。起きた後もはっきりと覚えていた。

その夢は、私の人生の中で繰り返されているパターンのようなものにハッと気づかせてくれるような印象的な内容だった。

そして、自分の心の傷つきに関連するような示唆に富んでいて、とても面白い内容だった。人生が一歩前進したかのような感覚がある。


2018年4月10日のとてもとても印象的な夢

和風で黒を基調とした、お酒が飲める飲食店の個室のようなところに私はいた。そこはめったに行けないくらい高級な雰囲気で、さらに都会的に洗練されたような空間だった。広さは10人くらいが自然に座ってまだスペースに余裕がある程度だ。他の客とは壁とドアでしっかりと区切られていて、その気配すら感じられない。

そこには自分を含めて3人の人間がいた。自分以外の2人は、大学時代の年下の友人と中学時代の太った同級生(友人と呼べるかは自信がない、曖昧な距離感)だった。

この部屋には、さらにあと4人来ることが予定されていた。それは自分達のサークルに新たに加入した若い人達らしい。そのことを伝え聞いた。私はこの物事とは少し距離感のある、純粋な当事者ではないような立場で詳細は理解していない。

その4人はすぐ部屋に入って来た。あまり待たされたという気はしなかった。そこには、あまり見た目に気を使っていない印象の2人の若い女性(1人は顔に大きなほくろがある)と、なぜか高校時代の世界史の先生がいた。もう1人は不明。

その世界史の先生は当時壮年の男性で、エネルギッシュでひきしまっている顔立ちだった。彼の授業のスタイルも同じように、急に生徒を当てたりする等、ひきしめることが意識されていた。

現在の彼の顔立ちは、長い時間が流れたがそれでも若々しく力強い印象を覚えさせた。それに対して今の自分は胸を張れないと感じた。この夢の中の私ははっきりとした輪郭を持たない、何かよくわからない存在だった。でも確かに人間だ。

そして彼の視線は私に不安と羞恥をもたらした。自分がひどく弱くなったような気がした。まだ一言も言葉を交わしていないのに、もう逃げ出したくなってくる。


……この後、すこしシーンが飛んだ。間のことはよくわからない。


気づいたらみんな程よくお酒が回っていて、それぞれに談笑していた。席という区切りは緩やかに崩れ、自由な位置取りになっていた。なかなか親密な雰囲気だ。

そして私は、大きなほくろのある若い女性と音楽についての話をしていた。そうすることが自然だという場の流れがあった。

その女性は、とあるアーティスト(知らない名前だった)の「Mars the War」という曲が好きなんだと語った。どんな曲なのかと訊くと(ポップなミュージシャンの気配がしてあまり期待していなかったが)、彼女は実際に歌ってみせてくれた。

その歌声はそれなりに上手だったし、少女らしいかわいらしさを感じさせる音色だった。ただ少しボリュームが大きかったので、皆の目線を引いた。

私はそのことに少しの気恥ずかしさを覚えた。弁解するような曖昧な笑みを浮かべてごまかしていた。その間も彼女は気持ちよさそうに歌い続けた。そうしている内に、目が覚めた。


夢から覚めて、ふと降りてきた自分にとって重要な示唆

ここからは現実での話。夢から示唆されたように自然と感じられたこと。


自分の心の傷つきは根が深く、学生時代にまでさかのぼる。昔から風変りな人間で、それを隠して普通みたいに振る舞おうとしていた。しかし、内に秘められた個性が叫ぶかのように時折その仮面を揺さぶってきていた。

妙に失言が多かった。その失言は自分の中では自然なことだけど、周囲の人間からすると奇妙だったり、不適切だったり、怒りを覚えるようなものであるらしかった。


その場その場のコミュニティへ忠誠を誓ったり、同調を求められることが嫌で仕方なかった。そのコミュニティから自分はろくな利益を受け取っていないのに、巨大な奉仕だけを求められていたからだ。このことは他人には理解されなかった。

最初は自分の説明の仕方が下手だからだと思い、うまい説明が出来るように考えた。そうし続けた結果、少しは伝わりそうな説明が出来るようになってきた。

それはやはり風変りなものであった。でも普通の言葉で強引に言い表すと重要な部分が失われ、周囲の人には身勝手で月並みなものに感じられるようだった。


と、ここまで考えたところで脳内で飛躍があり、自分は「自分の話したことや言葉遣いが原因で、周りにいる多数の人間に笑われたり怪訝な視線を向けられること」がずっと苦手で傷ついてきたんだと気づいた。

自分の話すことや、言葉遣いというものが自分を代表しているように感じられた。自分に関して気になっていた他のことは年を取るにつれて気にならなくなっていった。しかし、この部分だけは妙にしこりが残っている。

でもそれは克服すべき課題であり、他の物事とは違ってひたすら向き合い続けたいと思っていた。そして自らそういう困難な状況を望んでいるかのような節さえあった。無意識的に、あるいは運命的に引き寄せられていった。


その自分の話したことや言葉遣いというのは、長所であり短所でもあった。短所として捉えてしまっては生きていけないし、長所として容易に生かせるような術もなかなか見つからなかった。


自分の書いたものをリアルの人に見せると、「言葉選びが独特」という感想が一番多かった。

ネットに書いたものの反響を見ても、自分の書いたフレーズが引用されて他の場所でも使われることが度々あった。

それには気恥ずかしさも感じるけど、同時に「お笑い芸人が、自分のネタを楽しげに真似している子どもを見たとき」に感じていそうな、嬉しさも同時に存在していた。あるいは自分が人々の小さな歴史の中に少しだけ入れたかのような喜びもあった。


でもこれはうまくいっているときの話。

同じ自分の中の性質でもうまく働かないと、「何を言っているのかわからない」「文章として破綻している」という感想になることがあった。ちょっとはましになってきたのも割と最近の話で、こちらの場合のほうがむしろ多かった。


たぶん多くの人は、ありきたりで普通の自分から、オリジナルな存在へと個性を開花させていくことを目指しているんだと勝手に思っている。

なかなか見つからないけどすぐに結果を求める場合には、変わった色に髪の毛を染めてみたり、取ってつけたように風変りなファッションを身につけてみたりね。


しかし自分の場合は、まず奇妙な自分から、普通の人にも伝わる形で自分の思っていることを表現するのに苦心していた。それはもう傷だらけになって、何度も絶望して死にそうになるような苦心だった。


さらに、これは誰しもあることだと思うけど、同調圧力を感じて「普通の人」に擬態しなければならない、という思いにさせられることもよくあった。

そうしないことには物事はうまく運ばないと自分ですら思ってしまうこともあったし、周りの人間もこの意見をことさらに強調することが多かった。「郷に入れば郷に従え」のようにね。


でも自分はその価値観の世界の中では生きていけないタイプの人間だった。

時折その価値観に反発もしたけど、うまくいかなかった。こういうタイプの人間が個性を開花させていない段階で、外の人間からその人を見ると、よくわからない話を口走る、身勝手で幼稚な人間にしか見えていないようだった。

このことは自分にとって強いフラストレーションであり、心の中に沈殿して蓄積され、蝕んでいった。


他人や他人の作品、あるいは現実の状況を分析的・批評的に理解したいという気持ちが強いのは、こういうところに関係しているのかもしれない。影絵の木の葉という批評ブログもやってます。


……今はむかしに比べると少しはうまく生きていく術を身につけてきてはいるけど、まだまだ苦しんでいるし傷つきがたくさん残っている。言葉と自分。

事情や程度の差こそあれ、皆が何かに傷ついている。そして人が集まるとその傷を不意に刺激し合ってしまい、争いが起こってしまう。そんな気がした。


ノンフィクションな話なので、ハッピーエンドにならないし、唐突に終わります。現在進行形なので、このnoteのアカウントをフォローしておくと何らかの形で続きが見られるかもしれません(宣伝)。


ノンフィクションの自分の話だからこそ、自分の物語を作らなければならないのかもしれない。

無限のような日々の情報量の中から、何を必要な情報だと判断して描写するか、一日一日を積み重ねてどんな展開にするか、そして結末をデザインしていくことを考えなければならないのだろう。


関連)半年前に書いて、プロフィールに固定しているnoteにも関連する内容が出てきます →  人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。

関連)ブログに書いたプロフィールや自分の半生にも関連する内容が出てきます → konoha@作品レビューブロガーの長めなプロフィールと半生

こういう関連に後から気づくと、とても嬉しい気持ちになりますね。
あとこちらは割と雑多な内容ですが、よかったらツイッターもフォローされると喜びます!

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha