要注意人物との再会(フランス恋物語69)
再会
9月に入ったばかりのある日。
私は、日本語の書籍を求めてパリのジュンク堂書店にいた。
「あれ、レイコじゃない?」
聞き覚えのある日本人男性の声に、私は思わず振り向いた。
・・・そこには、過去に私が”要注意人物”と指定し、「二度と会わない」と決めていたウエノさん(35歳・カメラマン)が立っていた。
私は一瞬にして、2ケ月前に起こったウエノさんとの攻防を思い出す。
「カラオケ&焼肉デートに行き、勝手に酔い潰れた私はお持ち帰りされ、キスはしたがそれ以上の関係にはならなかった」という、あのほろ苦い思い出が・・・。
ウエノさんは、浅野忠信似の大人の色気を纏ったイイ男だ。
何が要注意人物かというと、「引っかかったが最後、絶対に抜け出せそうにない」と危険を察知できるくらい、放たれるフェロモンが半端ないのである。
しかも寝惚けてしたキスは、今までにないくらい気持ち良かった。
おそらくその先は・・・もっとすごい世界が待っているのだろう。
2ケ月前のカラオケデートに行った時の私は、「絶対にこの男に落とされるものか」という万全の態勢で臨んでいた。
しかし、今は全くのノーガードである。
今の私はフランス人の彼氏と別れ、フランス生活そのものにまで嫌気が差しているという超傷心モードだ。
そこに気心の知れた同胞のイイ男がひょっこり現れたものだから、私は感動すら覚えていた。
・・・私がぼんやり物思いに耽っていると、魅力的な男はこう言った。
「久しぶりだね。元気してた?
本買い終わったら、近くのカフェでお茶しない?」
私は反射的にこう答えていた。
「うん・・・。」
かつての自分とは別人のように、私はウエノさんに吸い寄せられていた。
Le café
ウエノさんに導かれるまま、ジュンク堂近くのカフェに入る。
ほぼ満席だったので、私たちは奥のカウンター席に座った。
2ケ月前の私だったら、「横に座るなんて危険!絶対向かい側!」なんて、”ウエノ特別対策ルール”に従っていただろう。
でも、今日の私にはそんなことはどうでも良かった。
ギャルソンが来てドリンクを注文すると、私の左隣に座ったウエノさんが話し始めた。
「さっき、イタリアの旅行ガイド買ってたよね?
近いうちにイタリアに行くの?
俺も撮影で何度か行ったことがあるけど、本当いい所だよね。」
私は運ばれた”café viennois”を一口飲むと、さっき買った『地球の歩き方・イタリア』を出して見せた。
「そうなの。来月ミラノ、フィレンツェ、ベネチアに行くつもり。
私、ワーホリ期限が年末までだったんだけど、色々あって10月末には帰国することに決めたの。
だから、パリに住んでいるうちに、どうしてもイタリアに行っておきたくて・・・。」
感情の発露
自分の状況を正直に言うと、ウエノさんは意外そうに聞いた。
「え、そうなの? もったいない。
帰国を早めるくらいの”色々”って、一体どんなことがあったの?」
私は8月に起こった、ニコラとの恋の一部始終を話した。
最後には、ニコラの家に一緒にいた時に、前妻が刃物を持って押し入ってきた話も・・・。
私は女友達に報告する時のように面白おかしく言うつもりだったのに、ウエノさんに話そうとすると、自然に泣いてしまっていた。
「どうしたの?」
ウエノさんは驚きながらも、隣に座っている私の肩を優しく抱き寄せてくれた。
「怖かったの・・・その女に刃物を向けられて。」
その場を切り抜けるため、あの時は「怖くない」と自分に言い聞かせていたが、今思うとやっぱり怖かったんだ・・・。
友達にも強がって、そんなことは言えなかった。
もちろん・・・ニコラにも。
ウエノさんは私の頭をポンポンと撫でると、優しい声で慰めてくれた。
「そうだったんだね。
よく無事に帰って来た。
俺は元気なレイコにまた会えて、本当に嬉しいよ。」
私はウエノさんに抱きついて、声を押し殺して泣いていた・・・。
至福の時
しばらくして落ち着くと、ウエノさんから体を離した。
「ごめんなさい。甘えてしまって。」
彼は今までにないくらい優しい顔をして、微笑みながらこう言った。
「いいんだよ。そんな時ぐらい無理するなよ。
辛い時は、俺を頼っていいから・・・。」
そして顔が近付いたかと思うと、私の唇にキスをした。
・・・あぁ、もうダメだ。
そんなことされたら私・・・ウエノさんのこと好きになっちゃう。
私たちはカフェの店内ということも忘れて、そのままキスを続けた。
それは2ケ月前のものよりもっと気持ちよく、私をとろけさせるのに十分な感触だった・・。
限定プラン
長いキスの後、ウエノさんは私を見つめながら言った。
「俺さ・・・レイコのこと初めて会った時から気になっていたんだ。
見た目もタイプだし、デートも楽しかったし、意地を張ってるかと思ったら、今日みたいに女の子らしい面もあって・・・。
一緒にいて飽きないし、もっとレイコを知りたい。
メールくれないから諦めてたんだけど、『また会いたい』ってずっと思ってたんだよ。
もし良かったら・・・”レイコがパリにいる10月末まで”俺と付き合わない?」
・・・・んんんん!?
私は”ウエノ病”の酔いから覚めて、少し平静に戻って聞いた。
「なんか最後の言葉がひっかかるんだけど、”10月末まで”って、期間限定の恋人ってこと!?」
ウエノさんはさらりと答えた。
「そうだよ。レイコは前に『遠距離恋愛は絶対ありえない!!』って言ってただろ?
俺も2ケ月くらいなら、一人の彼女に絞ることができるし、ちょうどいいかなと思って。」
確かに・・・。
私は「遠距離恋愛するぐらいだったら別れる」という考え方の人間だから、ピッタリの条件かもしれない。
2ケ月限定だとしても、「ウエノさんを独り占めできる」というのは、この上なく魅力的なプランだ。
パリにいる間だけイイトコ取りして、自分が日本に帰れば諦めもつくというもの。
しかし・・・相手はウエノさんだけに、”イレギュラーケース”が起こるとも限らない。
「どうする?」
ウエノさんは、究極の選択を私に投げかけた。
私は答えを探そうと、目の前にいるウエノさんをじっと見つめてみる・・・。
あぁ、やっぱりイイ男だ。
今すぐにでもウエノさんに抱かれたい。
後先考えず、ここは突っ走るべきか!?
救いの女神
しかしここで、さっきまで一緒にいて、私に忠告をくれたエリカちゃんの顔が浮かんだ。
それから、いつも明るく私を励ましてくれる、ミヅキちゃんの顔も。
ダメだ、また彼女たちを心配させるようなことをしたら・・・。
二人の女神の存在が、私の暴走を辛うじてストップさせた。
「ごめんなさい。
この件は一旦持ち帰って、考えさせてもらっていいですか?
数日中に返事するので、どうか待っててください。」
ウエノさん提案による”2ケ月限定彼女プラン”の返答は、とりあえず一旦保留とした。
ここで即拒否できなかったのは、彼のありあまる魅力を捨てきれなかった、私の弱さだ。
でも、そのまま付いていかなかっただけでも、少しは成長したと言えるだろう。
「わかったよ。じゃ、またメールちょうだいね。」
・・・絶対イケると思っていたのだろうか、ウエノさんは意外そうな顔をしていた。
エリカの忠告
自宅に帰ると、私は早速エリカちゃんに電話をした。
彼氏とデート中だったのは覚えていたが、「今日言われた忠告が早速役立ったよ!!」と、すぐに報告したかったのだ。
一応、ウエノさんと知り合ったきっかけもエリカちゃんだったし。(※紹介ではないが)
エリカちゃんが電話に出ると、私はさっき起こった一部始終を手短に話した。
エリカちゃんは動揺しながら答えた。
「ウエノさん、懐かしい名前だね。
・・・っていうか、何、その展開!?
レイコちゃん、そのまま付いていかなかったのは成長したけど、なんですぐに断らないの?
『2ケ月限定の彼女』だなんて、都合のいい女扱いされていることがわからないの?」
・・・やっぱり、普通の女子の反応はそうだよね、と私は他人事のように思った。
「ウエノさんがカッコよくて、レイコちゃんが惹かれる気持ちはわかるよ。
でも、付き合ったら辛くなる相手なの、わかるでしょ?
自分で断れないなら、私が代わりに言ってあげる。
とにかく、ウエノさんだけは絶対ダメ!!」
エリカちゃんの反応は予想通りだった。
「わかったよ。自分で断ってみる。
もしまた迷うことがあったら相談するかもしれないから、その時はよろしくね。」
そう言って、私は電話を切った。
ミヅキの証言
その後、私は考えた。
エリカちゃんと真逆のタイプ”肉食系女子”代表のミヅキちゃんなら、どう言うだろうか・・・。
過去に一度、彼女にもウエノさんの話をしたことがあった。
私と同様、イイ男が大好きなミヅキちゃんも、会ったことのないウエノさんに興味津々のようだった。
「いいじゃん、羨ましい~!!
そんなチャンスなかなかないし、とりあえず付き合ってみなよ。」
・・・彼女なら、そう言いそうな気がした。
彼女が電話に出ると、私はまた今日のウエノさんとの一部始終を話した。
「・・・そうなの?」
ミヅキちゃんの第一声は、予想していたノリのいいものではなかった。
「そのウエノさんって人、レイコちゃんが前に話してた浅野忠信似のカメラマンでしょ?
あの人はやめた方がいい。
すぐに断りなよ。」
私は疑問の声を投げかけた。
「え、なんで?
2ケ月前に話した時は、ミヅキちゃんノリノリだったじゃない?」
すると彼女は、ある”ウエノの彼女経験者”の恐ろしい証言を教えてくれた。
「私が通っている語学学校のクラスメイトに、仲の良い日本人の女の子がいたのね。
読者モデルタイプの、いかにも男子にモテそうな可愛らしい女の子だったんだけど。
レイコちゃんがウエノさんとカラオケデートした1週間後ぐらいに、その子が『ウエノさんっていう超カッコいい人と付き合いだした!!』って自慢してたの。
でもね・・・1ケ月もしないうちにウエノさんの浮気が発覚して、彼女はかなり病んじゃったんだよね。
結局パリにいられなくなって、日本に帰国しちゃった。
その子、『ウエノさんは、周りの女がほっとかないから、彼女の地位なんて危うい。』『ウエノさんが良すぎて、他の男が目に入らない。もう恋愛できない』って言ってた。
あれはヤバイよ。」
私は、パリの日本人ネットワークの狭さに驚いた。
「それでその子・・・ウエノさんとのHはいいって言ってた?」
私は一番気になることを単刀直入に聞いた。
「えぇ、そりゃもう・・・。
彼女は『気持ち良すぎてハマる』と言ってたよ。
あの男は麻薬だよ。
廃人になりたくないなら、やめときな。」
・・・もはやここまで来たら、怪談レベルだ。
私は経験者の貴重な証言を聞いて、やっとあの”モテ男・ウエノ”の本当の恐ろしさを知ったのだった。
「わかった。
その話を聞いて、やっと私も『やめておこう』という気持ちになったよ。
早速ウエノさんに断りのメールを送るね。
ミヅキちゃん、本当にありがとう。」
・・・やはり、私は持つべきものは友達だと思った。
謝絶
ミヅキちゃんと電話を切った直後、決心が鈍らないうちに、私はウエノさんに断りのメールを送った。
今日お話しした、2ケ月限定の彼女の件ですが、やっぱりお断りしたいと思います。
ごめんなさい。
しばらくして、ウエノさんから返事が来た。
わかったよ。
もしまた辛いことがあったら話ぐらい聞くから、いつでも連絡してね。
「いつでも連絡してね。」って・・・。
ダメだダメだダメだ、ウエノさんに慰められたら、また揺れるに決まっている!!
私は悪魔の誘いを断つため、彼の連絡先をすべて削除した。
こうして、私は二人の親友の素晴らしい友情によって、宿敵・ウエノがもたらす煩悩に打ち勝つことができた。
しかし、煩悩の元は次々と私の身に降りかかってくるのである・・・。
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