ニコラへの幻滅(フランス恋物語66)
悪魔の電話
8月下旬のある日。
私とニコラはギリシャのサントリーニ島に来ていた。
旅行最終日の夜、ホテルの部屋でキスを始めてこれから・・・という時、ニコラの前妻・ジョセフィーヌからの電話でそれは中断された。
電話口からはジョセフィーヌの泣き叫ぶ声が聞こえ、とても尋常な状態ではない。
ニコラの父・セザールから、「ニコラの浮気が原因で、ジョセフィーヌはおかしくなった。それが離婚の原因だ。」と、私は聞いた。
ニコラがやったことは自業自得だが、別れてからもこんな電話に付き合わされるのは、たまったものではない。
私はうんざりした気持ちで、二人の電話が終わるのを待った・・・。
電話のあと
どれくらいの時間が経ったのだろう・・・やっとニコラは電話から解放された。
私は彼の嘘や言い訳は聞きたくなかったので、セザールから聞いた情報を先に出してこちらから話した。
ニコラは観念したのか誤魔化すことはせず、離婚後の状況を正直に話し始めた。
「ジョセフィーヌと離婚して2年程経つ。
彼女はなかなか僕と別れてくれなかったが、優秀な弁護士を雇い、かなりの好条件を付けて、なんとか離婚が成立した。
彼女が狂ってしまった原因は僕にあるから、別れてからも金銭的・社会的援助は続けてきたんだよ。
家もあげたし、数年は生活できるくらいの多額の慰謝料も渡した。
彼女の病を治すために評判の精神科医を探してきて、その治療費だって払い続けていたし・・・。
それでも彼女は、僕との関わりを絶つのがどうしてもイヤみたいなんだ。
別れて半年ぐらいはしょっちゅう電話がかかってきてた。
最近はなかったんだけど・・・。」
私は、この問題は根が深いなと思った。
ジョセフィーヌはニコラに執着し続けて、一生離れないつもりなのではないか。
それにしても、よりにもよってなんで今夜なのか・・・。
「ジョセフィーヌは、なんで今夜電話をかけてきたのか言ってた?」
ニコラは言いにくそうに答えた。
「実は今日のこの日は・・・3年前、僕の浮気が発覚した日なんだ。
彼女はこの日付を覚えていて、その時の感情を思い出してしまったらしい。」
私はさらに聞いた。
「それで、ジョセフィーヌは何て言ってきたの?」
「『今すぐ会いに来て。来ないと、手首を切って死ぬ。』・・・と。
僕は、『今、出張で海外にいるから会いに行けない。』と必死になだめたけど。」
うわ~、これはヤバイやつだ・・・。
「じゃ、もしパリにいたら、あなたはジョセフィーヌに会いに行ってたの?」
ニコラは、私から目を逸らして言った。
「そうだね・・・命がかかっているから。
今までもそんな電話がかかってきて、何度か彼女の家に駆け付けたことがある。
でも、なだめることはあっても、セックスはしないよ。」
・・・そういう問題じゃない。
その言葉を胸に飲み込み、私は物分かりのいい女のふりをした。
「わかった。
この話はこれでおしまい。
今夜は寝ましょ。」
さすがにこの日は一緒に寝る気がしなくて、私たちは別々のベッドで寝た。
Le lendemain matin
翌朝、ニコラは私のベッドに来て誘ってきたが、とてもそんな気分にはなれないので断った。
昨夜の話を聞いてからというもの私の心は冷めてしまい、今後彼との交際をどうしようかと考えるまでになっていた。
ニコラは、私の”話したくないオーラ”を察したのか、朝食も、アテネ経由でパリに戻る移動中も、ほとんど無言だった。
パリのシャルル・ド・ゴール空港に着くと、彼は車でアパルトマンまで送ってくれたが、私は窓の外の景色をぼんやり眺めているだけだった。
8月の終わりのパリは肌寒くて、夏の気配はどこにも残っていない。
この熱が冷めちゃった感じ、今の私の気持ちみたい・・・。
玄関の前に着くと、別れ際に彼は尋ねた。
「今度はいつ泊まりに来てくれる?」
私はしばらく会いたくなくて、不機嫌そうに答えた。
「わからない。また連絡するから待ってて。」
ニコラは儀礼的なキスだけすると、何も言わずに帰って行った。
Grande Mosquée de Paris
こんな時、頼りになるのは女友達の存在だ。
翌日午後には、肉食系女子の代表・ミヅキちゃんと、”Grande Mosquée de Paris”(グランド・モスケ・ド・パリ)に来ていた。
Grande Mosquée de Paris(グランド・モスケ・ド・パリ)
ヒスパノ・ムーア様式で、付属するミナレットの高さは33mである。
パリ5区、ジャルダン・デ・プラント地区、ジョルジュ・デスプラ通りに位置する。
1926年7月15日、シ・カドゥール・ベンガブリットによって創設された。
グランド・モスケは、イスラム教とイスラム教徒の可視性にとって象徴的な、重要な場所である。
グランド・モスケは、本格的なイスラム建築で、パリにいながらにして中東に旅した気分になれるのがいい。
礼拝所はイスラム教徒でないと入れないが、ハマムやレストランなど一般客が入れる場所も多く、私は前から”Salon de thé”に行ってみたかった。
ここは初めてというミヅキちゃんも、異世界を感じさせてくれるグランド・モスケを気に入ったみたいだ。
私は、6月に現地で出会った大学生・ユウスケくんと一緒に行ったアルハンブラ宮殿を、秘かに思い出していた・・・。
Girls talk
サロン・ド・テの店内も、イスラムの国に迷い来んだような空間だった。
ミントティーを注文した後、私はミヅキちゃんにお土産のオリーブ油と石鹸を渡した。
彼女は「ありがとう。」と言いながら、早速女子トークを開始した。
もちろん、周りに日本人客がいないことは確認済みで。
男女の戒律が厳しいイスラムの雰囲気が漂う喫茶店で、私たちは不謹慎な話を今から始めようとしている・・・。
「で、どうだったの?ギリシャ旅行。
サントリーニ島いいなぁ。
私も行ってみたい!!」
私はまずミヅキちゃんにウケそうな、ニコラの変態的嗜好の話から始めることにした。
ニコラに春画を見せられた話は既に報告済みだが、新たにサントリーニのホテルで浴衣プレイを求められた話や、プライベートプールで襲われた話などをした。
予想通り、ミヅキちゃんの反応はテンション高めだ。
「え~、ニコラったら、金持ちな上に変態って最高じゃん!!
で、レイコちゃんは良かった?」
私たちはどんなに恥ずかしいことも、正直に話すことが鉄則だった。
「う~ん、浴衣プレイ?は日本人の彼氏とあるからそこまでは・・・。
野外の方は途中から感じちゃったけど、でもニコラの罠にかかったと思うとやっぱり悔しい。」
ミヅキちゃんはニヤニヤしながら言った。
「そうなんだ~。コスプレも野外も燃えるよね。
ずっとおんなじだとマンネリになっちゃうから、色々試してみなきゃ。」
さすが肉食系女子、言うことが違う。
「で、今回の旅行でさらにニコラとの結びつきは強くなった?
結婚とかも匂わされてるんでしょ?」
ここから私は、本題となる、”前妻・ジョセフィーヌ問題”を語ることにした。
「それがね、最終日の夜、ニコラの前妻のジョセフィーヌという人からヤバイ電話があってね・・・。
ニコラが電話に出たら泣き叫んで、『今すぐ会いに来てくれなきゃ、手首切って死ぬ。』って言うの。
ニコラは『海外出張中だから行けない。』となんとかなだめて、電話は終わらせたみたいだけど。」
ミヅキちゃんの表情が変わった。
「それは深刻だね・・・。
そもそもなんで、ニコラは離婚したの?」
私はニコラの父・セザールから聞いた話を伝えた上で、こう付け加えた。
「ニコラは自分の浮気が原因でジョセフィーヌがおかしくなったことに責任を感じてるみたい。
彼女の病が治らない限り、一生振り回されることになると思う。
『今まで彼女の自殺を止めるために、何度も家に行った』と言っていたし。
私、ニコラと一緒にいて、これからもそれに付き合わされるのかと思ったらうんざりしたんだよね。
いくら彼が私を愛しても、すごいお金持ちでも、そんな生活イヤだなと思って・・・。」
ミヅキちゃんはしばらく黙っていたが、私にこんな質問をした。
「じゃ、レイコちゃんがニコラの立場だったら、どうする?」
私は迷うことなく答えた。
「私は自分の幸せが一番大事だから、元配偶者にある程度の保障をしたら、悪いけど切り捨てる。
住所も電話番号も変えて、連絡が取れないようにして。
相手がストーカーレベルなら、国外逃亡だってするよ。
もし、自分が行方をくらませたことで相手が死んだとしても・・・それでも後悔はしない。
私だって、元夫が離婚後うちに来たり、何かと繋がりを持とうとしてきたよ。
フランスに来たのは、”彼から逃げる”という目的もあったもん。」
ミヅキちゃんは感心したように言った。
「レイコちゃん、強いね。
私、そういう潔いところ、好き。」
まさか褒められると思ってなかったので、私は驚いた。
「ニコラは優しい人だから、ジョセフィーヌを切り捨てるなんて、きっと無理だと思う。
ミヅキちゃんだったら、それでもニコラと付き合い続けて結婚する?」
彼女は少し考えてから言った。
「そうだなぁ・・・。
”金持ちの変態”は私の好物だけど、やっぱりジョセフィーヌがずっと付いて回るのはキツイなぁ。
でも、ニコラはかなりレイコちゃんにハマってるみたいだから、ダメ元で『ジョセフィーヌと完全に縁を切るなら続けるけど、それが無理なら別れる』って言ってみたらどう?
いっそのこと、日本に一緒に住んじゃえばいいじゃん。」
確かにそれだとスッキリしそうだ。
「ニコラはパリの不動産業だから、日本移住は無理だと思うけど。
でも、ジョセフィーヌの件はダメ元で聞いてみるよ。」
こうして、この日の女子トークは終了したのであった。
今日私たちが飲んだミントティーは”ミントシロップを暖かいお茶で割ったような激甘ドリンク”だったのだが、
「私の恋はこんなに甘くなることはないな」とつくづく思った。
Un message de Nicolas
その夜、ニコラから携帯にメッセージが届いていた。
ボンソワール、レイコ。
そろそろ君に会いたいよ。
いつなら会える?
私はニコラの家で話をして、もし別れることになったら、そのまま自分の荷物を持って帰ろうと思っていた。
じゃ、明日の夜、あなたの家に行く。
話があるの。
もしかしたら、泊まらずに帰るかもしれない。
この文だけで、ニコラは何かを察したのかもしれない。
わかったよ。
じゃ、明日の夜19時に君のうちに迎えに行くよ。
ディナーを食べてから、僕のうちに行こう。
・・・こうして、明日の夜、私たちは会うことになった。
この話し合いにより、私はとんでもない事態に巻き込まれるのである。
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