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【1000本ノック】世の中は偶然に満ちている【1冊目】
筑摩書房で「ちくま1000本ノック」企画として紹介された本を、
図書館にある本限定で読んでみる。
企画ページを見て、No.1から順番に本を探した。
一番最初に図書館にあることが判明したのがこちらの本。
0008
赤瀬川原平 世の中は偶然に満ちている
赤瀬川さんが亡くなった後、奥様の尚子さんがまとめられた、
赤瀬川さんが手帳などに残していた日記を書き起こしたもの。
・その日に起きた「偶然」日記
・夢日記
・その他、その日起きたこと(あまり多くはない)
偶然日記と夢日記については、赤瀬川さん本人のものだけではなく、時には奥様の偶然や夢についても書かれている。
奥様自身もこのような日記を書いていたことは知らなかったようだが、赤瀬川さんと奥様の周りには偶然が満ち溢れていたようだ。
偶然日記
偶然日記は、〇〇さんと△△でばったり会った、というものがとても多い。
駅のホームや、電車や、カフェや、仕事関係で立ち寄った先や、その人にまつわる何かを考えていたらご本人に会った、電話がきた、とか。
赤瀬川さん、めちゃくちゃ「ばったり」会いすぎだと思う。
今のようにインターネットや携帯電話やSNSが発達していなかった時代なので、人々が「会う」ため、「経験」「体験」のために、とにかく外に出歩いていたからかもしれない。
あるいは「人が集まる場所」が今よりも少なく限られていたので、人の動きがある程度パターン化されていたからかもしれない。
しかし何より赤瀬川さんがアクティブで、交友関係、人付き合いが広い人物だった、ということが何よりも大きいと思う。
1日の間に何人もの人と「偶然」ばったり会える人、そんなに多くはないだろう。
夢日記
他人の夢日記、というのは面白かった。
夢日記を書くと夢がはっきりし始め、内容を自分でコントロールできるようになると聞いたことがあるが、一方で「夢」がはっきりしすぎてしまい、現実との区別がつかなくなって危険だとも聞いたことがある。
赤瀬川さんの「夢」の内容には、いくつか大きなテーマがあるようだった。おそらく、彼のコンプレックスが強い影響を与えていたのだろう。もしかしたら、夢日記を書いているせいでより色濃く描かれてしまっていたのではないか、とも思った。
(赤瀬川さんのコンプレックスについては、ウィキペディアを見て納得した。)
私も夢を書き出して行ったら、何かわかることがあるかもしれない。
が、夢と現実の区別がつかなくなるのが怖いので、やめておく。
世の中に満ち溢れている偶然、とは何かを感じた
偶然についての物語が、2つほど収録されている。
偶然が偶然へと導いているのか、それとも偶然とは後付けなのか。
私たちが生きているこの世の中には偶然や、不思議だと思うことが沢山あるけれども、それらは人間の世界を通しているからそう見えるのであって、定義づける人間がいなければ偶然にはならないのかもしれない。
この世の中の偶然について、一つの答えのようなものを感じた。
自然の中の綻びとは、そういうものなのかもしれない。
抜粋したい言葉もあるのだが、抜粋では全体の意味が通じない気がするので、やめておく。
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