岩崎サトシ

1975年生まれ。福井県鯖江市出身。2022年9月に、12年間勤めた(株)ウォンツ代表…

岩崎サトシ

1975年生まれ。福井県鯖江市出身。2022年9月に、12年間勤めた(株)ウォンツ代表取締役を退き、相談役に。同時に、amazon販売をメインとしたECコンサル事業を開始しました。

最近の記事

社長の始末書 34 枚目(最終話)〜生きているほうが、ずっとずっといい〜

2022年9月。 私は株式会社ウォンツの社長を退任しました。 新しい社長は長年副社長、そして社長代理も務めてくれた伊藤敦子となります。 私は今後「相談役」として、変わらずウォンツを全力で支えてまいります。 社長時代は皆様にはお世話になり、本当にありがとうございました。 この場をお借りして、心から感謝を申し上げます。 振り返れば、たくさんの方々に支えられてきた12 年間でした。 出会いがありました。 挑戦がありました。 夫婦喧嘩もありました。 葛藤もありまし

    • 社長の始末書 33 枚目〜そんな自分を好きになる〜

      一途が作ってくれた楽曲「ひとつのあかり」のおかげで、沙織にも笑顔が戻りました。何より、私自身の使命を見つけることができました。 それから私たち夫婦は、美咲を大切に、特に自己肯定感を高めることを意識して育ててきたつもりです。 しかし美咲が8歳のとき、こんなことがありました。 ある休日の昼下がり。 家族で遅めのランチを食べていた時のことです。スプーンをもてあそぶばかりでご飯が進まない美咲に気づき、私は「美咲。ほら、遊んでないで食べなきゃ。」と促しました。 すると美咲が突

      • 社長の始末書 32 枚目〜ひとつのあかり〜

        あなたは子どもの頃、友だちの誰かを「変わった子だなあ」と思ったことはありませんか? あるいは友だちの中に、人間関係がうまく作れなくていじめられていた子はいませんでしたか? 「完全発達」でもない、失敗ばかりの超未熟な私が偉そうに人を分類するなんて抵抗しかありませんが、あえて言うと、その子はいわゆる「発達障害」だったのかもしれません。 もちろん、発達障害とヒトコトで言っても、その特性は全員が違います。 たとえば手先が極端に不器用で、大人になってもチョウチョ結びができなかっ

        • 社長の始末書 31 枚目〜走れ! 愛に向かって〜

          「発達障害の究極の反対語。うーん、完全発達、とか?」 「あはは! いいね! 完全発達。造語だけど、気に入った。じゃあ聞くけど、人類はいまだに戦争、殺人、窃盗、詐欺とか、毎日のように問題行動を起こしていない?」 「起こしていますね…。」 「そんなに大きな問題じゃなくても、隣のヒトを羨んだり、万引したり、嘘ついたり、いじめをしたりして。これって『完全発達』を遂げた姿だって言えるだろうか?」 「いやあ、それは難しいと思います…。」 「ね。極論で申し訳ないけど、オレも含めて

        社長の始末書 34 枚目(最終話)〜生きているほうが、ずっとずっといい〜

          社長の始末書 30 枚目〜愛の究極の反対語〜

          以前、くまさんとの会話でも出てきた「愛」という言葉ですが、「認める」という意味があるのは分かります。 でも、その究極の反対語とは…? 「マザーテレサのおっしゃる、『無関心』ではないんですよね?」 「うん違う。キューキョクの反対語だからね。」 「愛憎って言葉があるくらいですから、憎しみでしょうか?」 「それも究極とは言えないかな〜。他には?」 「他ですか…。」 私は答えに詰まってしまいました。 するとどんちゃんは腕を組んでこう言いました。 「オレが当時思ったの

          社長の始末書 30 枚目〜愛の究極の反対語〜

          社長の始末書 29 枚目〜どんちゃんの涙〜

          薬は捨てましたが、ゴミ箱ばかりに目が行ってしまいます。 妻の反応が気になるのです。 妻は病院の送り迎えのときも笑顔で喋ってはいましたが、何回かうっすらと涙を浮かべていたことには気づいていました。 人の感情の汲み取り力がますます弱まっていた私ですが、彼女が私をすごく心配してくれていることは痛いほど分かります。 もうこれ以上、妻を悲しませることはしたくない。 私は心に決めました。 一回お薬を飲んでみよう。でも、お仕事はなんとしても変わらず続けよう。 そう覚悟すると、

          社長の始末書 29 枚目〜どんちゃんの涙〜

          社長の始末書 28 枚目〜心が呑み込まれた日〜

          たくさんのスタッフが辞職してしまった後、くまさんに励まされ、一時は気持ちが持ち直した私です。 しかし奇しくもちょうどこの頃から、ネット上に「バッチリ先生」に関するデマが蔓延し、それに基づく誹謗中傷が激しくなっていきました。 「そもそもデマなんだから、いつか沈静化する。今は我慢していれば良い」 と気持ちを強く保っていたつもりなのですが、やはりそういった攻撃の真っ只中にいると、なかなか平常心ではいられません。 また、スタッフが一気に減ってしまったことで、現場は混乱を極めま

          社長の始末書 28 枚目〜心が呑み込まれた日〜

          社長の始末書 27 枚目〜オリジナル人事評価制度の破綻(後編)〜

          私が全力で作成に取り組み、社内に導入したオリジナルの人事評価制度。 しかしそれは一部のスタッフからの激しい抵抗を受けるという、思わぬ大波乱を巻き起こしました。そしてある日、私が一番恐れていた事態が起こってしまいます。 面談で一番重い雰囲気に陥ってしまっていたスタッフが、退職を願い出たのです。 これは私の意図と完全に反します。全力で慰留しましたが、その方の意思は固く、残念ながら翻意させることは叶いませんでした。 落胆した私に、追い打ちが連続でかかりました。なんとそれから

          社長の始末書 27 枚目〜オリジナル人事評価制度の破綻(後編)〜

          社長の始末書 26 枚目〜オリジナル人事評価制度の破綻(前編)〜

          売上の急降下。 その原因は、優良顧客の退会が急激に増えたからだと分かりました。 私は早速、特別対策チームを組み、お客様が退会される理由をくまなく調べました。 そこで見えてきたのは、顧客満足度の著しい低下です。 当時のウォンツは急激に売上規模が伸びたため、しっかりとした教育機会を作れておらず、スタッフはみな、見様見真似、つまり自己流でなんとか仕事を回している状態でした。 自主的に勉強をする時間もない中、スタッフは独自にルールを設け、「会社のため」という理由で、お客様の

          社長の始末書 26 枚目〜オリジナル人事評価制度の破綻(前編)〜

          社長の始末書 25 枚目〜忍び寄る黒い雲〜

          いわゆる「嫌な予感」。 誰しも一度はそれを感じたことがあるのではないでしょうか? 私が思うのは、実は「嫌な予感」というのは予感でもなんでもなく、現状の延長線が垣間見えた瞬間に天から与えられた、なにかしらの行動を起こすためのサインだということ。 しかし事もあろうに私は、その貴重なサインを無視してしまったのです。 新規事業はなかなか実を結ばなかったものの、主力のA案件はグングンと成長を続け、運営着手から約6 年で過去最高の業績となりました。 私は毎日目の回るような忙しさ

          社長の始末書 25 枚目〜忍び寄る黒い雲〜

          社長の始末書 24 枚目〜人生はマンガだ!〜

          B社との契約解除を受けての、どんちゃんとの緊急ミーティング。私は落ち込んでいるのをなるべく悟られないように振る舞いましたが、声は震えていたかもしれません。 どんちゃんはいつもの通り立ったまま、最後まで私の話を聞いてくれました。 ど「状況は理解した。で、どうする?」 私「…まず、今回は先行投資をした分、かなりの損害が出てしまいました。これはすべて私の責任です。本当に申し訳ありません。」 ど「まぁ、みんなそれぞれの立場があるし、思惑もある。誰も悪くないよ。で、サトシはどう

          社長の始末書 24 枚目〜人生はマンガだ!〜

          社長の始末書 23 枚目〜小さな器の大きなプライド〜

          A社との事業において私たちが依頼されたのは販売業務全般。加えて新商品をゼロから企画開発する業務も請け負いました。 しかし私たちは映像教材以外の商品を作ったことがありません。そこで生まれたのが、ものづくりのプロである商品メーカーやデザイン会社など、パートナー企業たちとの強固な連携です。 実はこのパートナー企業自体も、A事業が生まれる前にどんちゃんがそれぞれの社長と共同創業し、整えてくれていました。 「なぜ会長(どんちゃん)はそんなに先回りして動けるんですか?」 と聞いた

          社長の始末書 23 枚目〜小さな器の大きなプライド〜

          社長の始末書 22 枚目〜Dボート、浮上ス〜

          ある日、どんちゃんが私をカフェに呼び出しました。快晴の下、二人でテラス席に座ります。 どんちゃんはアイスコーヒーのグラスの一番下を爪の先でコンコンと叩きながら、こう言いました。 ど「オレはずっとここにいた。潜水艦だったんだ。」 私「はい? あ、Uボートの話ですか?」 私はどんちゃんの言っている意味が分からず、彼が一番好きな映画と言って憚らない「Uボート」の話なのかな? と思ってこう答えました。 ど「映画の? あはは。違う。オレ自身がずっと潜水艦だったってこと。社内で

          社長の始末書 22 枚目〜Dボート、浮上ス〜

          社長の始末書 21 枚目〜時速285kmの自責〜

          あなたは新幹線のトイレの中で、声を出して泣いたことがありますか?  恥ずかしながら、私はあります。 しかも、泣いたなんてもんじゃありません。 大声で号泣しながら、吐きもしながら(お食事中の方はごめんなさい)、便器にずっとしがみついていたことがあります。 ※これは私がネットでデマを流されたり、誹謗中傷を受けたりする以前のお話です。 さて、PCソフトの使い方を教える内容から、デザインのノウハウを伝える内容へ。私の職業経験から得た実践的デザインノウハウを伝える映像教材は、

          社長の始末書 21 枚目〜時速285kmの自責〜

          社長の始末書 20 枚目〜バッチリ先生 炎上の経緯:後編〜

          私に対するネットでの誹謗中傷が盛んになってきた頃の話です。 ある晩、ちょうど食事を終えたところで、どんちゃん(会長)から電話がかかってきました。珍しく慌てた様子です。 「聞いたよ。サトシの炎上、大丈夫か?」 私が経緯を説明しようとすると、どんちゃんはとりあえず会って話そう、と、遅い時間でしたが、近くの公園で落ち合いました。 すごく寒い夜でした。外灯の少ない公園を二人でぐるぐる歩きながら、小声で話します。白い息が月明かりに照らされ、揺らめいています。 どんちゃんは新卒

          社長の始末書 20 枚目〜バッチリ先生 炎上の経緯:後編〜

          社長の始末書 19 枚目〜バッチリ先生 炎上の経緯:前編 〜

          最初にお伝えしますが、この件はすごくセンシティブな内容です。 ネット上でデマを流されたり、誹謗中傷をされている被害者は私だけではないからです。 そして、その被害は今もなお続いています。 ご存じの方も多いかもしれませんが、インターネットで私の名前や「バッチリ先生」で検索をすると、私への誹謗中傷が書かれた記事や、私を揶揄したり、嘲笑するような動画がたくさん出てきます。 中には「詐欺師」と名指しされているページもあります。なりすましのtwitterも複数あります。 このよ

          社長の始末書 19 枚目〜バッチリ先生 炎上の経緯:前編 〜