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社長の始末書 29 枚目〜どんちゃんの涙〜

うろこ雲が好きです

薬は捨てましたが、ゴミ箱ばかりに目が行ってしまいます。

妻の反応が気になるのです。

妻は病院の送り迎えのときも笑顔で喋ってはいましたが、何回かうっすらと涙を浮かべていたことには気づいていました。

人の感情の汲み取り力がますます弱まっていた私ですが、彼女が私をすごく心配してくれていることは痛いほど分かります。

もうこれ以上、妻を悲しませることはしたくない。

私は心に決めました。

一回お薬を飲んでみよう。でも、お仕事はなんとしても変わらず続けよう。

そう覚悟すると、私は薬袋をゴミ箱から取り出し、錠剤を一気に飲み込みました。

お医者さんいわく、このお薬の効果は心を落ち着かせ、よく眠れるとのことでしたが、私としては半信半疑です。ひとまずベッドに入り、試しに目を閉じてみました。

「今日はいろいろあったなあ。人生はじめての心療内科に行ってしまった。」

お医者さんはすごく聞き上手な方で、私の話を嫌な顔ひとつせず、全部聞いてくれました。話し終わると、私の気持ちもカラダもすごく軽く、柔らかくなった気がしました。

「行ってよかったな…。」

そう思うと、自然と両手が合わさりました。

そして次の瞬間。

朝でした。

そのお薬の効果は絶大でした。悪夢も、動悸もゼロ。ありえないほどスムーズに眠れ、信じられないほど快適な朝を迎えたのです。

ああ、ずっと前はいつもこんな感じだったなあ。もうあんな暗い気持ちには戻りたくないなあ、と思いました。

まさに私は、目が覚めたのです。

私はすぐ、妻に私を病院に連れていってくれたことの感謝を伝え、医師の診断を理解できたこと。そしてこれからも薬を使うつもりだと伝えました。妻は笑顔で「私も支えるから、大丈夫だよ!」と言ってくれました。

私はさっそく副社長の伊藤と取締役の青木(みっこちゃん)、そしてくまさんにだけ、診断結果を伝えました。そして申し訳ないのですが、どんちゃんとスタッフには内密にしてほしい旨をお願いしました。

心配も、失望もさせたくないからです。

それから1 年ほどが過ぎました。

私は定期的に病院へ通い、いくつかの薬とも上手に付き合うことができ、おかげさまで心身ともに回復の手応えを感じていました。

ちなみにその中で先生から教えていただいた私の正確な診断名は「適応障害」です。

そんなある日の幹部会議で、事件が起こりました。

私のせいで、どんちゃんが鬼に変わったのです。

その会議の参加者は、どんちゃん、伊藤副社長、青木、そしてくまさんと私の計5 名でした。

開始してしばらくすると、どんちゃんがみんなに問いました。

「君たちはそれでサトシを守っているつもりなのか?」と。

私は仰天しました。しまった、私の病気のことがバレている!?

「サトシは俺たちのリーダーだ。彼の意思を尊重し、夢を実現するのが俺たちの役目じゃないか。でもオレの目にはそう映っていない。それで真剣にやっているのか?」

どうやら病気のことがバレているわけではなさそうです。私はホッと胸をなでおろしました。

ここで幹部の誰かが「実は、社長が心の病気で…」と実情を言おうものならどんちゃんは驚きつつも納得したでしょうが、そこは絶対に秘密にしてほしいと私が強く頼んでいるので、誰も口に出せません。

どんちゃんの怒りは行き場を失い、さらに大きくなりかけましたが、そこは実兄くまさんが慣れたものです。優しさ全開のとりなしで、「どんちゃんの言う通り。社長を幹部でもっと支えていこう!」とおっしゃってくださり、その場はなんとか平和的に収まりました。

今思えば、このタイミングで私の病気について、真実を伝えるべきだったのでしょう。しかし私にはまだそれを言い出す勇気はありませんでした。

それからまた1 ヶ月ほど経ったある日、伊藤副社長と私とどんちゃんの3 人で雑談していたときのこと。

3 人共通の友人がうつ病になってしまったとのことで「彼のために、私たちもなにかできることは無いかなあ? お薬とか、もらっているのかなあ?」などという話になりました。

そこで私はハタと思いつきました。今がどんちゃんに私の病気のことを話すチャンスかも?

よく考えたら、発症からもうだいぶ時間が経っていますし、症状も落ち着いています。

身近な友人もうつ病になったということですし、今なら特にどんちゃんは驚かないのでは? そう思ったのです。

「きっと〇〇さんも大丈夫ですよ! 私も薬が効いたらラクになりましたし。」

「そっか、だったらいいね! え? サトシも薬? どういうこと?」

「いや、実は私もうつ病の可能性が高いと診断されたんです。」

「・・・え?」

どんちゃんにすればあまりにノーモーションで入れ込まれた驚愕の情報です。何に対しても素早い返しをする彼が、キョトンとしているように見えます。

「ど、どういうこと? サトシが? うつ病?」

「はい、すみません…。」

「マジで? サトシが、サトシがうつ病ってこと?」

何回も「サトシが?」と聞かれたところが、彼の動揺を物語っています。

「はい。お伝えするのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。」

と謝ると、どんちゃんは絶句。そのタイミングで伊藤も、

「実はこの件、私は以前から聞いていまして。会長には言わずにおりまして、大変申し訳ありません。」

と謝りました。どんちゃんが私に聞きます。

「それは、・・・いつから?」

「すみません、1 年ほど前です。」

「1 年? そんなに前から?」

ここで私は気が付きました。

どんちゃんが涙ぐんでいます。

私が彼の涙を見るのは、くまさんが卒業式をしたとき以来、2 回めです。

ああ、私はまたやってしまいました。

いつも誰より自分を気にかけてくれている恩人に1 年以上も隠し事をしていたのに、他人の話題のついでに打ち明けるという、礼儀知らずな伝え方をしてしまったのです。

その会議が終わってすぐ、私はどんちゃんに電話で改めてお詫びを伝え、数日後のカフェで話しをする時間をいただきました。

当日。いつものテラス席。どんちゃんは先に到着されており、アイスソイラテを飲みながら、パソコンでお仕事をされていました。

「おはようございます。先日は本当に申し訳ありませんでした。」

「謝るなよ。オレも気が付けなくて申し訳なかった。」

「いや、悪いのは私です。本当にすみません。どうしてあんな軽はずみな伝え方をしてしまったのか。」

「まあでも、あれがサトシだからね。気にしてないよ。それよりさ、このことは以前ちょっと伝えたかと思うけど。」

とどんちゃんは前置きして、頭の後ろで手を組みました。

「オレも創業当時、お金が無い時代が長く続いてね。ノイローゼになったことがある。今でいう『うつ病』だったのかもね。死にたいとすら思ってしまった。で、あのときのことを後々振り返って気が付いたことがあって。」

どんちゃんはノートパソコンをパタンと閉じ、空を見上げました。今日は秋の爽やかな晴れ間がどこまでも広がっています。

「オレもさ、今のサトシと同じだったんだ。誰にも心配をかけたくなくて、周囲には何も相談しなかったし、できなかった。」

そしてため息をひとつすると私の顔をまっすぐに見て、脳内温度が一気に上がりそうな質問を投げかけました。

「サトシ、愛の究極の反対語は?」



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