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社長の始末書 23 枚目〜小さな器の大きなプライド〜

食べきれないのは問題です

A社との事業において私たちが依頼されたのは販売業務全般。加えて新商品をゼロから企画開発する業務も請け負いました。

しかし私たちは映像教材以外の商品を作ったことがありません。そこで生まれたのが、ものづくりのプロである商品メーカーやデザイン会社など、パートナー企業たちとの強固な連携です。

実はこのパートナー企業自体も、A事業が生まれる前にどんちゃんがそれぞれの社長と共同創業し、整えてくれていました。

「なぜ会長(どんちゃん)はそんなに先回りして動けるんですか?」

と聞いたことがあります。きっと彼なりの戦略があって動いていると思っての質問でしたが、どんちゃんは「そんなの知らん」とのことでした。尊敬できるすごい人を見つけたら、一緒に事業を興し、あわよくばそのまま社長(リーダー)になってもらう。常にそう思って動いているだけだそうです。

こうしてウォンツを母体とし、それを取り囲むようにいくつかのパートナー企業が存在する、有機的なグループが出来上がりました。事業によってはウォンツ以外の企業が母体となることもある柔軟な組織体です。語弊を恐れずに言えば、企業版のゆるーいアメーバ経営といったところでしょうか。

これでどんなニーズにもスピーディーに応えていくことが可能になりました。商品の企画開発から販売、発送作業、そしてカスタマーサポートまで可能なソリューションを持っているのは競合と比べて圧倒的な強みです。

そこで生まれたウォンツのキャッチコピーは「発想から発送まで。ECのトータルサポート企業」というものでした。手前味噌ですが、2014 年当時としては日本の中でもなかなか先進的な存在だったかと思います。

ただ、まだウォンツには根本的な問題がありました。クライアントが1 社だけだったのです。それでは経営が不安定で、企業としては失格です。次なる事業の柱を早急に立てていく必要があります。

すると今度はある人がタイミング良く、新たなクライアント候補、B社さんを紹介してくださいました。

B社の社長は素晴らしい商材を生み出されていました。お人柄も一流で、私自身も一気にファンになってしまいました。

こちらも新規の通販事業(EC)をご希望されており、私どもとEC代行の契約を結ばせていただきました。

ちなみに私たちは当時「成功報酬」での契約を常としていました。成功しなければ報酬はゼロ。いえ、むしろ準備にかかる費用の分、マイナスです。

成功してはじめて報酬が見込めるとなるとチームメンバーみんなが「運命共同体」となり、積極的に事業に参加していくのが当たり前の姿勢となります。

私たちは早速、新しい商品作りに取り掛かりました。それは大変画期的な構造だったのですが、そのぶん制作工程が複雑となります。さらにその大量生産のためには独自の設備が必要だと分かりました。

そこで綿密な収支計画を立てたうえ、私たちは思い切って大きな設備投資を行いました。

着々とプロジェクトは前進していきました。我ながら最強のチームが作れたと思います。会議でもみんな笑顔が絶えず、ワクワク感しかありません。私はこの状況に心から満足し、感謝していました。

そんなある日、B社長から突然「友人のコンサルタントをチームに参加させたい」との連絡がありました。

正直、私は戸惑いました。

商品作りからWEB制作、ロゴ等のデザインや動画制作まで、必要なことは私たちのチームが既に手がけていました。なぜ今さら新しい人材を入れる必要があるのだろう?

しかもコンサル的な仕事自体、私自身が担ってきたという自負もありました。

さらには、新しいメンバーが入ると収支計画の中身が変わり、報酬配分も崩れてしまいます。この事業のために専門チームを招集した私としては、成功報酬で動いてきたメンバーの利益が減ってしまうのはなんとしても避けたいところ。

しかしそのコンサルさんの参加はB社長の決定であっという間に進んでしまいました。

ただ、そのコンサルさんになにか問題があったわけでは全くありません。むしろ大変優秀な方で、ハッとするようなアイデアをたくさん出してくださいました。さすがB社長が選んだ方です。

しかし、既に決まっていた事項を新たなアイデアで上書きしていくには少しタイミングが遅く、現場にはかなりの負荷がかかっていきました。

企画進行のスピードも遅れていきます。チームみんなの士気が下がってしまっているのを感じました。最初の頃の快活な雰囲気は今やありません。

はい。ということで、ここで一旦、私の記憶映像をストップします。

皆さんはもう、私の大失態をお分かりのことと思います。

B社長によるコンサルタントの参加表明があったとき私は「正直、私は戸惑いました。」と記しました。

そうです。ここがもう思いっきり問題発言です。本来、チームを強くしてくれる優秀な仲間が増えれば、リーダーは嬉しいはず。なのになぜ、私は戸惑ってしまったのでしょうか。

それは自分のテリトリーが侵されることと、収支分配が変更になることでパートナー企業の報酬が崩れることを心配したためです。そして企画の変更作業が増えることで進行が遅れ、それにより私の評価が落ちることも恐れた。

つまりそこに、お客様目線はありませんでした。自分の都合しか考えていなかったのです。

本来、リーダーたる私は、むしろコンサルタントをもっと活用すれば良かったのです。たくさんアイデアを出していただいた中で良いものだけを選び、すぐに実行できるものから行動に落としていくのが私の役割でした。そんなことは経営本を読まずしても分かる当たり前の話です。

でもそんなカンタンなことが、当時の私にはできなかった。

つまり私のプライドが邪魔をした、と言えるかもしれませんが、要は私の器があまりに小さかったのですね。はい、今回もすごくすごく、情けない話です。

事業はそこからどうなったのか。

結論としては、この案件はB社との折り合いがつかず事業は中途解約。その後B社はそのコンサルさんと事業をスタートされました。チームをまとめきれず、B社の意向に添えなかった私が愛想を尽かされたのは当然です。

厳しい現実ですが、私は自分の非をしっかりと受け止めなければなりません。

この事業失敗の原因は、すべて私の人間としての未熟さによるものです。そもそも企画進行の途中で新規コンサルを入れるというB社の選択自体が、私への信頼度が低かった証拠だと今になって思います。その時点でもっと発奮するべきだった…という反省点もあります。

ただ、あの当時の私にとっては、それらすべてが青天の霹靂でした。

ワクワクしていた日々から一転、契約解消となったとき、私の頭の中はぐちゃぐちゃになりました。ショック状態のまま、震える手でどんちゃんに電話をかけ、至急相談をお願いしました。彼はたまたま福井にいるとのことで、すぐに会社に来てくれるとのこと。

しかし電話を切ってから考えてみれば、彼にはまず会社の大損害を伝えなければいけないことに気が付きました。この事業に期待をかけていたどんちゃんの落胆や、不甲斐ない私への怒りを想像すると胃が激しく痛みだし、彼が到着するまでの間、トイレで何回か吐いてしまうほどでした。

会社の会議室で一人待つ私に、どんちゃんが足早に近づいてくる音が聞こえてきました。


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