社長の始末書 32 枚目〜ひとつのあかり〜
あなたは子どもの頃、友だちの誰かを「変わった子だなあ」と思ったことはありませんか?
あるいは友だちの中に、人間関係がうまく作れなくていじめられていた子はいませんでしたか?
「完全発達」でもない、失敗ばかりの超未熟な私が偉そうに人を分類するなんて抵抗しかありませんが、あえて言うと、その子はいわゆる「発達障害」だったのかもしれません。
もちろん、発達障害とヒトコトで言っても、その特性は全員が違います。
たとえば手先が極端に不器用で、大人になってもチョウチョ結びができなかったり、算数がまったく理解できなかったり。
あるいは五感が極端に敏感だったり、逆に鈍感な場合も。
例えば「大きな音」に対してパニックを起こしてしまったり、足にトゲが刺さっていてもパンパンに腫れるまで気付かない場合もあります。
また、自分と相手との関係を第三者視点で見ることが苦手で、空気を読まない発言で、周りを「?」とさせてしまったり。
そして多くの場合、発達障害は見た目には判断がつかないことが特徴です。
そのため一見すると「軽度な障害」と思われがちですが…。
実は違うのです。
誤解されやすいがゆえに、生きていくことに大きな困難が伴う場合が多くあるのです。
そういう子は、学校にいる間は親や先生のサポートを受けながら、卒業することはできます。
ところがバイトをしたり、就職をしたりすると、そこではじめて社会に適応できないことが浮き彫りになります。残念ながらそこには学生時代のような手厚いサポートはありません。
場合によっては、勤め先の上司から強く叱られたり、同僚から嫌われてしまったり、ひどいときには誰かに人格否定をされたりします。こうなると、働きに行けなくなってしまいます。
そして運良く周囲からの理解やアドバイスがあれば、心療内科に行き、診断をしてもらえます。
しかし、考えてみていただきたいのですが、学校を卒業したばかりの子がワクワクして選んだ働き先で思いっきり叱られたうえ、自分は社会に馴染めないという現実が突然目の前に突きつけられるのです。そのうえ、お医者様からは「発達障害」だと告知されます。
いきなりこんな状況に叩き落とされて、誰が平気でいられるでしょうか?
そこにあるのは絶望感。
そして、人類最大の敵である孤独感です。
その悲しみに押し潰され、なかにはうつ病などの二次障害を併発する場合もあります。
さらに忘れていけないのは、お医者さんに行くことができていない子です。
そういうご家庭では、障害の特性に関する知識も乏しいため、突然会社に行けなくなった子の気持ちを親が理解できず、子を叱り続けてしまう場合もあります。
そうやって今も、自分がなぜこうなったのかもわからず、ひとり部屋に引きこもって自分を責め続ける。そんな子が日本だけで何十万人、いや一説には何百万人もいるのです。
そしてそういう子たちは最悪の場合、自殺をしてしまうこともあります。
自分の子が死んだ後にはじめて「うちの子は発達障害で苦しんでいた」と気付く親御さんもいるそうです。
なんという悲劇でしょうか。
そしてこれは、私にとって他人事ではありません。むしろすごく身近な問題でもあるのです。
私には3 人の可愛い子どもがいます。文字通り、私と妻の宝物です。
長女の美咲が赤ちゃんだった頃に夜泣きが激しかったという話はしましたが、彼女が3 歳になったとき、保育園の先生のすすめで病院で検査を受けたところ、
「高機能広汎性 発達障害(自閉スペクトラム症)」
という診断を受けました。
恥ずかしながら私はそのときはじめて、発達障害という言葉を知りました。
そして、お医者さんに特性を教えてもらったり、同じ発達障害を持った親御さんの話を聞くと、美咲はまわりの子と比べ、なるほど違いが多くあることが分かりました。
そして私も妻も、その特性と現実を知れば知るほど、美咲の将来を憂い、不安を大きくしていったのです。
特に妻は、診断後から思いつめたような暗い表情が増えていきました。しかも当時は長男が生まれたばかり。毎日目まぐるしい忙しさの中で、妻と私の心の距離も離れていく一方でした。
そんなある日、思わぬところから転機が訪れました。
夜に自宅で仕事をしていたところ、みっこちゃんからこんなメールが届いたのです。
「件名:沙織ちゃんと美咲ちゃんの曲が完成しました♪」
私は「沙織と美咲の曲が? 完成?」と、なにがなんだかわかりません。
しかしメールの文章を読んで、すべてを理解できました。
どんちゃん、くまちゃんとその妹である「みっこちゃん」の兄妹3 人で結成したバンド「一途」で、妻、沙織にインタビューをして楽曲を作ってくれたのです。私にはサプライズでのプレゼントでした。
一途の最大の特長は、楽曲のほぼ全てが「たった一人のため」に作られたものだということ。
歌詞担当のみっこちゃんがその人の人生のドラマをインタビューし、その体験談をもとに詩を紡ぎます。そしてどんちゃん、くまちゃんがメロディーをつけて、全国津々浦々の小中学校で演奏するのです。
例えば、子どもの時にいじめられ、そのときの心の傷は今でも消えないけれど、全てを受け入れてくれた恋人との出会いで人生が変わった女性の歌「そのままでいて」。
幼い頃に親が行方不明になり、おばさんからは虐待を受けながらも、自分を心から愛してくれたおばあちゃんへの愛と感謝が詰まった「ウチが希望をなくさなかった理由」。
LGBT差別の当事者である方の、悩み多き子ども時代から、大人になるにつれて自分を認めるに至ったリアルな心情を綴った歌「Revolutuion」。
色んな人の生き様を通して、みんなが自分の人生の主人公であることを伝えたい。そして自分のことを大好きになって、人生を生き切って欲しい。そうしたら、子ども達のいじめや自殺は減っていくはず。そして夢だって叶えられる。
それが一途の志であり、それをサポートする私たちウォンツの思いでもあります。
(ちなみに一途三兄妹は、ウォンツの創業者でもあります)
そんな彼らが私たち夫婦に贈ってくれた楽曲のタイトルは「ひとつのあかり」。
歌うのはメインボーカルのどんちゃんではなく、みっこちゃんでした。倍音を多く含んだ、みっこちゃんの優しい声を聴きながら、歌詞を追いかけました。
そこには、沙織の気持ちが詰まっていました。
嬉しかった美咲の誕生。本当に愛らしい笑顔でした。
世界中の「可愛い」が集まってできた子だね。
私たち夫婦はそう言って笑い合いました。
しかしそれからすぐに私たちを襲った違和感。
発達障害と診断されたときの不安と絶望。
二人でこの子の将来を憂い、泣いた夜もありました。
美咲の成長は当然、私たちの思うスピードとは違うときもありました。
歯がゆい思いもしましたが、逆に、なにかができた時の喜びはひとしおでした。
そんなときは夫婦二人で嬉し泣きをしたものです。
一途の楽曲を聴いていると、それらの記憶がエンドレスで思い出され、もう涙が止まりません。
そして今まで妻が、どれほどの不安や孤独と戦いながら子育てをしていたか。
忙しい私を気遣い、一人我慢して耐えてくれていたか。
そして、娘に強く生きるチカラを与えようと頑張ってくれていたことも知りました。
ちなみに後半のラップ部分は、いつかどんちゃんと飲んだとき、私がどんちゃんに喋っていたことです。
「沙織と美咲の笑い声は、私にとって最高に心地の良い音楽なんです」
とか言った記憶があるのですが、それをそのまま歌詞にしてくださいました。
そして一番私の胸に響いたのは、最後の大サビです。
ここで私は気が付きました。
私が美咲を育てているんじゃない。
美咲が私を親として育ててくれているんだ。
家族が美咲を導いているんじゃない。
美咲が家族を導いてくれているんだ。
彼女がいてくれるからこそ、家族がひとつになれるんだ。
今はっきりと、美咲の存在が私たち夫婦にとって「希望の灯火」なのだと分かりました。
発達障害がなんだ。
僕は一生、この子を守ってみせる。
そして、僕が死んだ後もこういう子どもたちが笑顔で暮らせる社会作りのために、精一杯頑張ろう!
そう誓ったのです。
私は楽曲を何度も何度も聴いた後、沙織と子ども達が眠る寝室のドアをそっと開けました。
ドアの隙間からこぼれる廊下のかすかな灯を頼りに、眠っている沙織と美咲、そして長男の顔をのぞき込みました。
だんだん暗さに目が慣れてきて、彼らの顔が見えてきます。
「ありがとう…」
小さな声で伝えました。
〜つづく〜
▼ 「一途:ひとつのあかり」よろしければお聴きくださいませ
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