社長の始末書 25 枚目〜忍び寄る黒い雲〜
いわゆる「嫌な予感」。
誰しも一度はそれを感じたことがあるのではないでしょうか?
私が思うのは、実は「嫌な予感」というのは予感でもなんでもなく、現状の延長線が垣間見えた瞬間に天から与えられた、なにかしらの行動を起こすためのサインだということ。
しかし事もあろうに私は、その貴重なサインを無視してしまったのです。
新規事業はなかなか実を結ばなかったものの、主力のA案件はグングンと成長を続け、運営着手から約6 年で過去最高の業績となりました。
私は毎日目の回るような忙しさでしたが、充実した時間を過ごすことができていました。スタッフも増え続け、その数は30 名を超えていました。
ある日のこと。どんちゃんと若手のエース片山君(仮名)の3 人で雑談をしていたところ、彼が改まって「社長にご相談したいことがあります」と言い始めました。
会社に勢いがある今、新規事業に挑戦したいとのこと。チャレンジ自体は大歓迎ですが、片山君の提案はまだジャストアイデアレベルで、企画書には落とし込めてはいないようです。
新規事業では私自身が何度も手痛い失敗をしてきたので、その難しさや大変さは誰より骨身にしみています。私は説明を聞いた後、「まあ、考えてみるよ」と、その場を締めました。
片山君が帰るとすぐ、どんちゃんは私にこう言いました。
ど「サトシ。話はちゃんと聞いてやろうよ。」
私「…いえ、聞いてましたよ?」
ど「じゃあ、なんであんなしかめっ面してたの?」
しかめっ面? その時私は初めて、自分の気持ちが思いっきり表情に出ていたことに気がつきました。私は心中慌てながらこう弁解しました。
私「…アイデア自体はすごく面白いと思いました。でも、まだまだ見えないことが多すぎるなあと。」
ど「じゃあサトシは、片山君の夢を応援する気持ちはあるってことだね?」
私「・・・。」
言葉に窮してしまう私。本当なら、ここで間髪入れず「もちろんです!」と言うべきなのでしょう。でも片山君の新規事業の話を軽く捉えてしまっていた私はとっさに上手な切り返しができません。私はそういう不器用な性格というか、なんとも融通が利かない性分なのです。
そんな反応をもどかしく感じたのでしょう。どんちゃんの言葉はにわかに熱を帯びてきました。
「もしいまの段階では応援できないのなら、その理由も言ってやろうよ。せっかくの会社のための提案なのにそんな迷惑顔をされたら、片山君はどんな気持ちになる? オレなら悲しくなるぜ?」
おっしゃる通り過ぎて、私はただ頷くことしかできません。
「実はなサトシ、この前も片山君に相談されたんだよ。社長に業務の改善提案をしても『ボクも忙しいんだから』って話をまともに聞いてもらえないって。嘆いてたよ。サトシはいつもそんな態度なの?」
そんな態度をとったことを、私は覚えていませんでした。しかし、片山君が言うならそうなのでしょう。
どうやら私が片山君に対し、無意識下でとんでもないコミュニケーションミスを日常的に犯しているのは間違いなさそうです。私は目の焦点が定まらず、冷や汗が出てきました。なんだか胸がざわつくような、嫌な予感が止まりません。
どんちゃんは、さらにアドバイスを続けます。
「アイデアがうまくいくかどうかなんて、おいおい考えればいいのよ。リーダーならまず仲間の気持ちをしっかり受け止めようぜ。」
はい。それはわかっているつもりなのですが…。私がまた押し黙っていると、煮え切らない私に業を煮やしたどんちゃんがとどめの一発。
「言っちゃ悪いけど、そんな調子じゃスタッフもそうだけど、サトシ、キミの奥さんにはもっと嫌われてるぜ?」
奥さん? 正直そのとき、家庭のことまで指摘された悔しさがこみあがり「そんなことはありません!」と、喉元まで反論が出かかったのですが、その言葉はなんとか飲み込みました。
さて、それから1 週間もしないうちに自宅で夫婦ゲンカになりました。じつはこの頃、些細な理由でのケンカがすごく増えていたのです。
ただ私としては軽い言い争いなどいつものことで、あまり気には留めていませんでした。しかし先日のどんちゃんの言葉もあり、イライラしていた私は思い切って妻にこう聞きました。
「いったい僕のなにが問題なんだ?」と。
すると妻は「問題?」と、一瞬驚いた顔をしましたが、大きくため息をついて、こう返しました。
妻「じゃあ言うけど、パパはいつも私の話、聞いてないよね?」
私「いやいや! 聞いてるよ?」
妻(またため息をついて)「聞いてないよ。いつもスマホばっかり見て、返ってくるのは生返事だけじゃん。晩ごはんのテーブルにまでパソコンを持ち込んでメールしてるときもあるよね? そんなんでちゃんとした会話ができると思う?」
…私は言葉に詰まりました。
妻「あと、最近のパパの顔、どんなのかわかってる?」
私「顔?」
妻「いっつも眉をひそめて、怒ってるみたい。だから子どもたちも気を使って、話しかけるのを遠慮してるんだよ?」
まさか…。
妻「この前のBBQの準備の話でもさ、『ボクも忙しいんだから』って言ってたけど、私だって忙しいのよ? もう少し、家庭のことに興味を持ってもらっていい?」
私はその言葉に、目を大きく見開き、絶句してしまいました。片山君を傷つけた「ボクも忙しいんだから」という言葉を妻にまで口走っていたとは…。しかも、それらを全く覚えていない私。最悪です。
妻は最後にこう言って去っていきました。
「もういいよ。パパは何度言っても変わらないから。私はもうとっくに諦めました…。」
ひとり取り残された私は呆然とその場に立ち尽くしました。
どんちゃんが言っていたとおりだった…。
私はスタッフにも、家族にも、無意識のうちにずっとぞんざいな態度で接していました。そして一番身近な妻はもう私に愛想を尽かしてさえいたのです。
とっくに諦めた、という言葉が私の胸の奥深くに突き刺さりました。ということはスタッフももう、私を諦めているんじゃないか?
「なんてことだ…。」
真っ白な頭のなか、片山君の件で感じた「嫌な予感」をはらんだ黒い雲がさらに大きくなり、ヒタヒタと近づいてきているのを感じました。その雲はゾッとするような冷気をはらんでいます。
しかし私はその恐ろしい雲を、水浴びをした後の犬のように全身で振り払いました。
そこまで心配することじゃないんじゃないか? 今までもこれでなんとかなってきたんだから。社長としての優先はやはり、事業の売上。いまのところ絶好調だし、そういった問題はおいおい修正していけば良いはず。
しかし、そんな私の甘い見立ては3 ヶ月後の経営会議で一気に吹き飛ばされました。
A事業の急激な落ち込みが報告されたのです。しかもその原因は競合が増えたこともありますが、一番はリピーターである優良顧客が大幅に減ったという理由でした。しかもその兆候は数ヶ月前からあらわれていたとのこと。
そう、私がサインを無視した時期には、すでに顧客離れが始まっていたのです。
気がつけば、まだ遠くにあったはずの暗雲は私の頭上に忍び寄っており、幾筋もの稲妻とともに激しい雨を打ち降らし始めました。
嫌な予感が、恐怖の実感に変わりました。
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