見出し画像

社長の始末書 28 枚目〜心が呑み込まれた日〜

幻覚だったのでしょうか

たくさんのスタッフが辞職してしまった後、くまさんに励まされ、一時は気持ちが持ち直した私です。

しかし奇しくもちょうどこの頃から、ネット上に「バッチリ先生」に関するデマが蔓延し、それに基づく誹謗中傷が激しくなっていきました。

「そもそもデマなんだから、いつか沈静化する。今は我慢していれば良い」

と気持ちを強く保っていたつもりなのですが、やはりそういった攻撃の真っ只中にいると、なかなか平常心ではいられません。

また、スタッフが一気に減ってしまったことで、現場は混乱を極めました。優秀なスタッフたちのおかげで業務はなんとか回ってはいたのですが、その点もみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そうこうしているうちに、もともと弱かった私の胃腸が悲鳴をあげたようで、慢性的な胃痛と下痢が始まりました。

特に胃はなかなかの痛みではあったのですが、こういう症状には昔から慣れているほうです。市販の胃腸薬は常用していましたが、病院に行くことまではしませんでした。

その頃たまたまテレビで知ったのは「腸は第二の脳」という言葉です。私の第二の脳がおかしくなった影響はやはり大きく、いくつかの不調が起こってきました。

まず、睡眠障害です。

床についてもなかなか眠れません。やっとの思いで眠りについても、30 分後に心臓が激しく動悸を打ち、起きてしまいます。その動悸がおさまるまでにまた30 分かかり、再び眠りについてもまた30 分後に目が覚めてしまうという無限ループに悩まされました。

そして睡眠不足からか、日中でも今までになかったミスや不調が頻発するようになりました。

あるときなど、自宅で「熱々のお鍋をコンロからテーブルに持っていく」ということがスムーズに出来なくなったのには自分でも驚きました。

カンタンな作業なのに、順番がありえないほど錯綜し、ああでもないこうでもないとしばらく考え込まないと鍋ひとつ動かせないのです。結局テーブルで待っていた家族に手伝ってもらう始末でした。

また、いつも通っていたお店に普通に到着できなくなってしまいました。自宅から車で5 分で到着する場所なのに、20 分くらいかかってしまうのです。あとで同じ場所をぐるぐる回っていたことに気が付き、我が事ながら唖然としました。

なにより辛かったのは、人の話が全くと言っていいほど頭に入ってこないことです。特に仕事の話がなにも頭に入ってきません。気合いを入れて全力で耳を傾けるのですが、言葉が言葉として頭に入ってこないのです。まるで水の中で音声を聞いているような感覚でした。

胃腸の機能不全が原因とはいえ、これらの不調が周囲にバレると不安に思われてしまいます。なのでできるだけ平静を装うのですが、集中力がゼロに近いため、会話をしてもまともな返事ができている自信がありません。

そんなある日。最大の異変が私を襲いました。

夜10 時頃。車で自宅に帰る途中、突然全身が強烈にこわばり、呼吸をするのが苦しくなってしまったのです。

ハンドルを持つ手も自分のものではないように重く痺れています。これは以前、新幹線内で陥ったパニック症状に似ていますが、全身がこわばってしまうのは初めてです。

家まではもうすぐのところだったのですが、私はすぐに車を路肩に停めました。そして窓を開け、全身の力を抜き、深呼吸を繰り返しました。シートを深く倒して目を閉じ、なるべくなにも考えないように努力します。

30 分くらいそのまま休んでいたでしょうか。落ち着きを取り戻した私は全神経を安全運転に集中させ、短い距離でしたが慎重に家路につきました。

そうして自宅に帰りはしたのですが、ドアを開けた途端、靴も脱がないまま玄関に倒れ込んでしまいました。そしてそこから1 ミリも身体を動かせなくなってしまったのです。

靴を履いたまま玄関に倒れ込むことなんか初めてのことですし、居心地は全くよくありません。でも、身体を起こす気力がまったく起きないのです。

しばらくすると、悲しいわけでもないのに涙がとめどなく流れてきました。それは床にポタポタと伝わり、目の前に小さな水たまりが広がっていきます。そして不思議なことに、ゆっくりと極彩色に色付いていきました。と思うと今度は沼のようにどす黒く変色していきます。

私はその場から逃げたいのですが、どうしても逃げることができません。わずかに残った感情すらもそのタールのごとき沼に呑み込まれ、跡形もなく消えていってしまいました。

そうしてまったく動けないまま1 時間ほど経った頃、偶然にも妻が寝室からトイレに降りてきました。そして玄関に倒れこんでいる私を見つけ、短い悲鳴をあげました。

慌てた様子で私に駆け寄ると、

「パパ、大丈夫? どうしたの!?」

私の肩を揺すり、悲痛な声で叫びます。妻の不安な顔を想像すると焦りましたが、私は顔も首も動かせません。このままでは子どもたちも起こしてしまいそうです。

切羽詰まった私は自分の体に「動け! 今すぐ!」と強く指示を出しました。すると、なんとか体が言うことを聞いてくれました。ゆっくりとですが、起き上がることが出来たのです。

私は「…あぁ、なんか寝ちゃってた。ごめん。部屋で寝なきゃね。」と何事もなかったかのようにつぶやき、腕で涙の水たまりを拭きました。

そのまま精いっぱい場を取り繕いながら靴を脱ぎ、寝室まで歩きました。しかしその一歩一歩は信じられないくらい重く、まさに鉛のようでした。

翌朝、私はベッドから起き上がることができませんでした。

僕のカラダはいったい、どうなってしまったんだ? そしてこれから、どうなってしまうんだ?

気がつけば、妻がすぐ横にいました。そして私の手を握り、目を真っ赤にしながらこう言いました。パパはもうじゅうぶん頑張ったよ。もう病院に行こう。お願いだから。

私は妻に付き添われ、病院に向かいました。

てっきり内科に行くものと思っていた私でしたが、着いたのは「心療内科」でした。驚いた私は妻に「悪いのは胃腸なのに、なんで心療内科なの?」と聞きましたが、妻は「いいから、一回先生の話を聞こう」と言って聞きません。

渋々ながら、診察を受けました。

しかし診察と言っても、看護師や先生と雑談をし、心理テストをするだけのものです。先生は私と同い年くらいのとても優しい方で、気軽にお話をすることができました。しかし診察が終わった後、先生は信じがたい言葉を発しました。

「検査の結果、岩崎さんはうつ病の可能性があります。」

え???

「投薬治療をしますが、しばらくはお仕事をお休みできませんか?」

私は驚きすぎて、声も出ませんでした。

先生、なにをおっしゃってるんですか?

うつ病? 投薬? お休み? いやいやまさか! 

私はいまちょっと胃腸が悪くて、体力が落ちているだけです。だからぜんぜん平気です。そう言いたかったのですが、隣にいる妻の深刻な表情を見るとその場で先生に反論するのも憚られ、とりあえず神妙にお薬をもらい、自宅に帰りました。

その晩、私は自分の部屋で、お薬が入った白い紙袋をしばらく見つめていました。

これを飲むということは、自分がうつ病だと認めてしまうことになります。

さらに、先生は仕事を休むことも勧めていました。

私にとっては、どちらもありえない選択です。

休むということは戦線を長期離脱するということです。そうなったら私は社長としての責務を放棄することになり、スタッフにますます迷惑をかけてしまいます。

さらに、その理由がうつ病だということが分かれば、スタッフは私をどう思うでしょう。そして、私を社長に抜擢してくれたどんちゃんは今度こそ私に失望してしまうかもしれません。

そんなことは絶対に受け入れられない。

私は薬の入った紙袋を、ゴミ箱に投げ捨てました。



つづきはこちら↓

「社長の始末書」1 枚めはこちらから↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?