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自分の可能性を最大限に引き出すための「思考方法」~第三話~

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例えば皆さんもご存じの「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」の創業者であるカーネル・サンダースは65歳でKFCを立ち上げて世界的なチェーン店にまで成功させたのは有名な話しである。

ちなみにカーネル・サンダースの本名はハーランド・サンダースという。
「カーネル」はアメリカのケンタッキー州で名誉市民に与えられる称号で、陸軍の大佐という意味の「カーネル」とは関係がない。

つまり「ケンタッキー・フライド・チキン」は「ケンタッキー州の揚げ鶏」で、「カーネル・サンダース」は「ケンタッキー州の名誉市民のサンダース叔父さん」という意味なのだ。

話しはそのカーネル叔父さんに戻る。
彼は完璧な「未来思考型」の人間だ。KFCを立ち上げるまでに彼は40回以上の転職をしている。まともに定職に就いたのは40歳を超えてからだ。

1920年代にガソリンスタンドの事業を開始し、時流にも乗って順調に業績を伸ばすことができた。しかしその後1929年の世界恐慌で事業は倒産。そしてもう一度再起を図ってガソリンスタンド事業を始めたときにレストランを併設し、そこで自家製のフライドチキンを売り出したのがケンタッキー・フライドチキンの始まりである。

ところがお店の目の前の国道に突然迂回路ができ、車の流れが一気に変わってしまい、レストランもガソリンスタンドも再び倒産するという災難に見舞われた。

この時カーネル叔父さんは65歳。もう引退してもいい年齢だったが年金だけではとても暮らしていくことができず、再び事業を興そうと試みたのだ。
そして今度はオリジナルチキンのレシピを売ることを思いつき、アメリカ中のレストランに売り込み始めた。一説にはその数は1000を超えたらしい。

言っては何だが65歳で財産を全て失った男性が1,000店舗の飛び込み営業を行うなんて普通に考えたらありえない話だろう。彼はその間ワゴン車一台で車の中で寝泊まりしながらレシピを売り続けたのである。

しかし彼のレシピは少しずつ評判を呼び、フランチャイズの基礎が出来上がり始めた。そして74歳でフランチャイズ権を売却した時には600店を超えるまでになっていた。
その後も90歳で亡くなるまで世界中を飛び回りKFCの普及に努めたのだった。

恐らく彼が少しでも「過去思考」で発想していたら、KFCの成功はあり得なかったはずである。40回も転職すること自体、彼が「未来思考」であることを物語っている。
「過去思考」で考えたら40歳のころには、もう自分と家族の食い扶持を稼げる安定した仕事に就ければ何でもいいとなりそうだが、彼は40歳を過ぎてからガソリンスタンド事業、モーテル事業、レストラン事業、KFCのフランチャイズ事業と新しいことに次々と挑戦している。

これは彼が自分の将来を過去の実績ではなく、自分が叶えたい未来の姿を想像して行動していたからに違いない。
残念ながら彼が本当に成し遂げたかったゴールが何なのかは分からない。しかし、少なくともKFC事業が軌道に乗り始めてからは「世界中にKFCを広め、自分のレシピで調理されたチキンを食べて喜んでいる人たちを増やす」と言ったゴールイメージを持っていたのではないだろうか。

最終話に続く

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