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自分の可能性を最大限に引き出すための「思考方法」~第一話~

私は高校を卒業したとき、偏差値が24しかなかった。

よくその学力で大学に行こうと思ったなと自分でも思うが、しかしその時の自分にはどうしても大学に行かなければいけない理由があった。

私は静岡県の浜松市という街で産まれた。
今は人口が100万人を超え政令指定都市になっているが、私が子供のころは浜松駅周辺は栄えていたが、そこから少し外れれば、どこにでもある田舎町が広がっていた。
傍から見れば名産や名所と言われる、その場所ならではのオリジナリティもあるのだろうが、地元に住んでいる人にとってはごく普通の風景になっていて、それに価値を感じている人は殆どいないだろう。

私もその環境に何の違和感も持たずに幼少期から高校生の時まで過ごしていた。
ところが高校3年生の時に、地元のお祭りに出たときに自分の中で大きな気づきが芽生えた。

「このままここにいたら俺の人生終わってしまう」

その時通っていた高校は進学とは無縁の田舎の学校だった。もともと商業科だけの女子高だったのが、私が入学する数年前に共学になり普通科が出来た。そのような経緯もあり高校の8割の生徒が女性で、多くの学生は卒業するとそのまま地元の企業に就職していった。ごく一部の学生だけが進学していたが、それでも専門学校か短大、良くて地方の四年生大学に進学をするくらいで、名のある大学に進学している人など一学年に数名いるかどうかという高校だった。

当然私も勉強は大嫌いで、学校の授業なんてほとんど聞いていなかった。
学校が終われば友達の家に入りびたり、ゲームや麻雀をして遊び、家に帰っても特に何をするわけでもなくテレビを見て寝てしまった。

その生活がおかしなことだとも思っていなかった。高校の友達は多かれ少なかれ同じような生活をしていた。卒業後の進路なんて、就職するか専門学校くらいには行こうかなと漠然と考えていたくらいで、真剣に探すこともしていなかった。先輩たちの進路を聞いていれば、この高校から行けるところはだいたい分かる。その選択肢の中から可能性の高そうな進路を選ぶのが当たり前の考えだった。

ところが高校3年生の5月に地元の祭りに参加したときに、違う高校に通っている幼なじみと話していると彼から「卒業後は東京の大学に行くつもりだ」と聞かされた。
彼は中堅クラスの進学校に通っていたが、予備校にも通い受験勉強をしているというのだ。

その話しを聞くまで自分の頭の中に「東京の大学」も「受験勉強」という言葉も全く入っていなかった。今の高校からそんなところに行く人なんてほぼいなかったし、自分の学力からして、選択肢に入れることすらせず消去していたのだ。

しかし、その言葉を聞いたとたんに私のものの見え方が変わった。
あたりを見渡すと子供のころから変わらない景色が広がっていた。近所の友達のお父さんたちがお酒を飲み、毎年変わらないような会話をしていた。多少歳を取ったがいつも見る顔ぶれの人たちがそこにいた。
そしておそらく来年も再来年もこれは続いていくのだろうと思った。

そう感じた瞬間に私は急に恐ろしくなった。

「ここにいる人たちは自分の10年後、20年後の姿だ」

自分もこのまま高校を卒業し専門学校に行き、地元の会社に就職し、結婚して子供が出来たら、この街から出ることはおそらく一生ないだろう。
そして毎年この祭りに参加し「お前も大きくなったなあ」なんてことを今度は自分が近所の子供たちに声をかける側に回るに違いない。

そう考えたときに急に自分の将来が既に決まってしまっているような感覚になった。

「18歳で自分の将来が決まるなんて絶対に嫌だ」
「自分もこの街を出たい」

初めて生れ育ったこの街から出たいという衝動が生まれた。
そして自分も大学に行こうと考えるようになった。
自分が将来何をしたい、何を勉強したいなんてことを考えたわけではなかった。とにかくこの街からでなければ、自分の人生は18歳で全て決まってしまうという恐怖から逃げ出したいという、ただそれだけだった。

第二話に続く

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