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【エッセイ】はみ出し者だから見えた組織の「心理的安全性」

組織のはみ出し者

「おまえ、面倒くさい奴だな」

これは私が働いていた会社の上司から言われた言葉だ。
思い返せば、私は「面倒くさい社員」だった。

そもそも入社する前から私は面倒くさかった。
新卒で内定をもらっていた会社に入社する1か月前に「内定を辞退したい」と人事部宛にメールを送り、採用担当者を慌てさせた。また新入社員の「配属希望届には第3希望まで書いて出すように」と指示があったにも関わらず、第一希望の部署しか書かずに提出した。そして入社した後も自分がやりたくないことは「イヤです」と言ってやろうとしなかった。

挙句の果てには、自分が他にやりたいことが見つかると前触れもなしに突然「会社を辞めたいです」と言って上司を困らせた。その後に上司と話すと「やっぱりもう少し続けたほうが良いか」と思いなおし、退職を撤回するのだが、結局1年間に3回も「辞める」と言い出したものだから、最後に上司から出たのが冒頭の言葉だった。

新卒で入社した会社には一回退職をして出戻りで再入社し、結局通算で13年間もお世話になった。その間、複数の上司の下で仕事をしたが、きっと何度も私のことを「面倒くさい奴」と思っただろう。
ただ、自分も単に不満や自分勝手な意見を言っていたわけではない。自分なりに正しいと思う考えや、会社にはぜひこうあって欲しいという思いがあり、それを主張していたのだ。

自分にも会社にも妥協したくなかった

私は社会人になるまでに人より多くの時間を費やしていたため、他の社員より努力をしなければいけないと思っていた。しかし特別な才能などない自分のような人間は人の何倍も努力をしなければ一人前になれないと思い、誰よりも泥臭く働いていた。だからこそ、自分に妥協をしたくなかったし、その分組織にも「こうであって欲しい」という要求を出していたのである。

しかし、考えてもみれば、組織のやり方に文句を言う社員は普通煙たがれるはずだが、それでも自分を受け入れてくれ、それなりの役割をあたえ、新しいことにチャレンジさせてくれたこの会社はかなり「良い組織」だったと思う。

そして最近よく聞く「心理的安全性」という概念がまさにこの組織には当てはまっていたと思った。
そこではみ出し者の私から見た「心理的安全性」がある組織とはどんな組織なのかを考えてみたい。

組織の心理的安全性

そもそも「心理的安全性」とは何かという話しだが、これはハーバード大学教授のエイミー・C・エドモンドソン博士が1999年に提唱した概念である。博士は「チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと」と定義している。

やや抽象的な表現なので分かりにくいが、例えば皆さんの職場で、自分が上司の顔色をうかがわずに自分の意見を言えるかどうかを想像していただきたい。もし「いまこれを言ったら上司に嫌われるかも」「本当は違うと思うんだけど、他のみんなは頷いてるから、自分もいったん同意しておこう」と考え自分の意見を言わずにいたとしたら、そこには心理的安全性が無いということだ。

これは自分の意見を発言したらリスクがあると感じるから、その行動をとらなかったと言える。
リスクには「自分の評価が下がる」「上司から嫌われる」「同僚から空気の読めないやつと思われる」「面倒くさい奴だと思われる」といったことが含まれる。

特に日本人は「和をもって貴し(とうとし)となす」という諺があるように、何事をやるにもいさかいを起こさずに仲良く事を進めることを良しとする文化があるので、誰か一人が調和を乱すような態度を取ることを本人も周囲の人も嫌がる傾向がある。

しかし、現在はそういった態度がむしろデメリットになってきているのだ。
比較的将来の見通しが立っている時代であれば皆で力を合わせて努力することが大きな武器となったが、将来への不確実性が増した現代においては出来るだけ多くの意見を取り入れ検討しなければ、正解を見つけることができなくなってきた。

その時に、本当はあなたが考えたアイデアが組織をより向上させる「ナイスアイデア」だったにも関わらず、上司の顔色をうかがって「上司の意見と違うから、言わないでおこう」と発言しなかったとしたら、大変な機会損失を起こしてしまうことになる。

こういったチャンスを活かすためには、組織の中で自分が自分の考えを言ったとしてもリスクが無いと感じられる「心理的安全性」が必要だというのが、エドモンドソン博士が提唱していることなのである。

はみ出し者も活躍できる組織

そう考えた時に、私が自分の考えを臆さずに出すことができていたのも、組織に「心理的安全性」があったからだと言える(もちろん私が性格的に自分の考えを発信するタイプであるということももちろん関係があると思うが)

しかし現実的には「心理的安全性」が無い組織の方が多いのが実情である。
私の本職である障害者支援の現場では「発達障害」の特性を持った人と接することが多いが、彼らの中には「場の空気を読むことが苦手」「衝動性が強い」という特性を持っている人たちがいる。その人たちは私同様、衝動的に行動してし、その場の空気を読まずに自分の考えを正直に言ってしまい、周りから白い目で見られるという経験をしている。
そして、それが理由で上司から叱責を受け、周りと強調して働くことが出来ないことで組織の中で孤立してしまい退職してしまったという人が数多くいる。中にはそれが原因でメンタルを病んでしまい、二次障害として精神疾患を患ってしまう人もいるのだ。

ところが、そういった特徴を持った人たちが活躍している職場もある。
それがまさに「心理的安全性」がある組織なのだ。

心理的安全性のある組織の形

「心理的安全性のつくりかた」という本の中で著者の石井遼介氏は「日本の組織では①話しやすさ②助け合い③挑戦④新奇歓迎の4つの因子があるとき、心理的安全性が感じられる」と説明している。

この4つは私の体験とも合致する要素である。
私が最初に配属された部署はまさにこの4つが揃っていた。

私が配属されたのは、インターネットの求人広告媒体を運営する組織だった。
今では「正社員」「派遣社員」「アルバイト・パート」「インターン」の情報でも、すべてインターネットで検索して探すことは当たり前の時代になっているが、私がこの仕事を始めた20年前ではまだ求人雑誌を買って調べることが主流だった。

特に私が担当していたアルバイト求人に関しては、「フロムエー」や「an」といった雑誌をコンビニや書店でお金を出して購入して調べていた。もちろんインターネットで求人を探そうと思えば見つけることはできたが、それでも本格的に検索して応募することが出来る仕組みはまだなく、私が配属された事業部は、インターネット求人の黎明期に自社媒体で勝負を仕掛けていたのである。

この求人業界には既にビッグプレイヤーである「リクルート」がいたが、リクルートもまだアルバイト求人の領域ではネットへのシフトが遅れていた。理由は「フロムエー」という雑誌の売上が大きかったので、無料でネット検索できるとなると、既存の雑誌の売上を毀損することが目に見えていたので、大きく舵を切ることが出来なかったのである。まさに大手企業が「イノベーションのジレンマ」に陥っている状態だった。だからこそまだベンチャー企業だった私がいた会社にもチャンスがあったのである。

売上を上げるためにはやはり大手のクライアントに入り込んでいくのが一番効率がいい。
しかし、そういったクライアントにはリクルートも当然入り込んでいるので、それをひっくり返すためには、ありとあらゆる手段を講じなければいけなかった。クライアントからしても紙の求人広告に慣れているからインターネットに切り替えるだけでも新奇性を感じていた。人はやはり慣れたものを選択する心理が働くので、新しいことにチャレンジしてもらうためには魅力的な「企画」を用意しなければいけなかった。

新奇性と挑戦

当時私は先輩から大手クライアントの担当を引継ぎ、朝から晩まで企画を考えていた。それは常に新しいことを考える「新奇性」が求められており、私自身が「こんな提案して良いのかな?」と思うようなことも、上司から「やってみよう」と許可してもらい「挑戦」させてもらえた。

また新しいことを考え実行するためには一人の力では限界があるため、周りにいる人たちと協力することが必要不可欠である。特に企画を考える時にはどうしても考えが煮詰まってしまって良いアイデアが出ないこともあった。そんな時私は他の営業スタッフにどんな提案をしているのかを聞きに行ったのだが、皆快く自分のアイデアを教えてくれた。

私たちは営業なのでお互いに営業目標が課せられていて、営業成績でしのぎを削るライバルでもあった。その営業成績によって賞与なども変わるので、もしライバルに自分の営業手法や企画案を教えてしまったら、自分よりも売上を伸ばしてしまうかもしれないと考え、教えることを嫌がる人がいてもおかしくはなかった。
しかし、私のいた組織では(少なくとも私が見る限り)そんな考えをもって教えることを拒む人は一人もいなかった。むしろ教えたことで売上を上げることが出来た時に一緒に喜んでくれる人たちだった。
もちろん私も他の営業から自分の企画内容を質問されたときには快く教えてあげた。

お互いに助け合える組織風土

そういった「助け合い」の精神がこの組織にはあった。
これは営業同士だけではなく、営業をサポートしてくれるアシスタント、そして求人原稿を制作してくれるスタッフ、上司なども全員がそのスタンスだった。今思えばそれは個人として利益よりも、組織として明確に達成したいビジョンがあったからだと思う。

当時の事業部長は常に自分たちの事業のビジョンを語っていた。
「お客様に最高のサービスを提供する」「リクルートを超える」「達成したときには最高にバカ騒ぎする」など、常にスタッフの努力の先に、組織としてのゴールを示してくれていた。そのゴールを達成するためなら、お互いに協力することは当然しなければいけないことだと、私たちは感じていたに違いない。そして組織のトップがビジョンを掲げて、それに向かって進んでいるという実感があったからこそ、その実現のためには、お互いに言いたいことを言える関係性を作ることが出来ていたのだ。

もし組織が売上と利益を最大化させることだけを目的にし、個人成績だけで評価が決められていたら、人は利己的な考えを持つようになるはずである。当然自分の評価が下がることを避けるため、出来るだけ失敗をしない選択をするようになるだろう。上司がリスクの少ない選択を優先するようになれば、おのずと判断基準も安全な策を優先するようになる。そうなれば部下も上司が許可しそうな案しか出さなくなり、組織からは新奇性や挑戦は失われていくだろう。

ビジョンドリブン

しかし私がいた組織はそうではなかった。組織ビジョン実現のために、常に挑戦的な目標を掲げていた。
当然売上目標も厳しく、いつも月末ギリギリまで売上を追い続けていた。しかし、それでも私は自分の信念は曲げたくなかったので月末に売上が達していない時でも、過剰な値引きでお客様に提案することは、他のお客様にたいして不義理だと感じて「そんなことは提案できません」と拒否した。

ところが、そんな時でも上司は「いいから言われたことをやれ!!」と叱るようなことは決してしなかった。
私の意見にも耳を傾けたうえで対話をしてくれた。そういった会社とは反対の意見を出しても安心だという「話せる環境」を上司は作ってくれていた。

「心理的安全性」と「御恩と奉公」

ある意味私の「面倒くさい態度」はそういった上司の懐の深さに甘えていたからできたのかもしれない。
ただし、それも上司からしたら私が利己的な判断で言っているのではないということを分かってくれていたから付き合ってくれていたのかもしれない。これがもし私が自分の保身や利己的な考えで言っていたとしたら、おそらく見限られていたのではないかと思う。

そう考えると、組織と個人が仕事をする上で最も必要なことは、組織は個人にたいして「心理的安全性」を感じられる環境を用意し、個人は利己的な考えでなく、利他的な思考で組織に貢献しようとする「Give&Take」の関係が出来ていることが必要なのだろう。この関係性保たれていないと長期的に見て個人と組織のバランスが崩れてしまい、成果を出すことが出来なくなってしまうのだ。

しかしよく考えれば、これは何のことはない日本古来の「御恩と奉公」の関係ではないか。
つまり「心理的安全性」のある職場とは、日本人が最も得意な組織の関係だったというわけだ。
海外から来た概念をありがたがる前に、日本に古来からある仕組みを今一度見直すことが、もしかしたら今の日本には大切なことなのかもしれない。


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