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【エッセイ】より深い学びを得るための閑雅方

旅の醍醐味

「あなたの旅の醍醐味は何ですか?」

そう聞かれたら、皆さんは何と答えるだろうか?

「綺麗な景色を見ること」
「美味しいものを食べること」
「現地の人と出会うこと」

など、何を楽しみにするかは人それぞれ変わるだろう。

ちなみに私の妻は「古い服や下着を捨てること」だと言っていた。1週間程度の旅行をするとき、妻は古い服や下着をたくさん持って行き、着たモノはそのまま捨てて、帰る時にはスーツケースが少し軽くなっている状態にするのがたまらなく気持ちいいのだと言っていた。なんでも旅先で服を洗わなければいけないという行為が面倒らしく、そのためもう捨ててもいいようなモノを持って行くことで、いらない服も処分できるし、現地で新しい服も気兼ねなく買うことも出来るので一石二鳥なのだそうだ。

最初に聞いたときには、ずいぶんマニアックな醍醐味を持っているものだと思ったが、今では自分も同じことをしている。確かに下着の捨てるタイミングは意外と難しい。靴下なんかは穴が空くまではいているし、そんなに高いものではないのだから、さっさと買い替えればいいのに、貧乏性で捨てることが出来ない。

そういったギリギリの下着類を旅行に行くときにまとめて持って行き、1日着たらそのまま捨ててしまうのは意外と理にかなっていて、今では私も旅行に行くときは、捨ててもよさそうな服をあえて選ぶようにしている。

ちなみに私が最も好きな旅行先での醍醐味は、早朝に現地を走ることである。出張でも私はランニングシューズと、ランニングウェアを持って行き、朝早く起きてホテルの周りを走ることを一番の楽しみにしている。

観光地を走って巡る醍醐味

 例えば以前京都に行ったときは、京都の中心地から出発して10kmほどランニングしてみた。時間にして約1時間半程度である。しかしその間に金閣寺、銀閣寺、清水寺、京都御所を見て回ることが出来た。おそらく普通の旅行客であれば1日かけて回るコースだと思うが、それを1時間半程度でぐるっと回ることができた。もちろん朝一なので、どこもまだ閉園していて中に入ることは出来ない。

しかし、誰もいない京都御所の周りを走ったときに、幕末に長州藩と幕府・薩摩連合軍が戦った「蛤御門」を見て、歴史好きとしては感動を覚えた。これだけでも、十分に京都を堪能することが出来た。

 そして京都以外でも走って良かったのは四国の香川県に行ったときに「四国八十八箇所巡り」の寺を走ったときだった。皆さんもご存じだと思うが、四国八十八箇所巡りとは、真言宗の開祖である弘法大師(空海)にゆかりのある八十八箇所のお寺を回ることである。

人間には八十八個の煩悩があるとされており、その煩悩を八十八箇所の寺を巡ることによって消し去ることができ、願いが叶うという言い伝えがあり人気となっている。しかし八十八箇所全部を繋ぐと全長は1450kmにもなるため、通常は複数回に分けて回るらしい。

 私は出張で香川県に行ったときに、ホテルから走ることができる4か所のお寺を回ってみた。京都とは異なり、中に入るための拝観料は取られなかったので中までしっかり入って見ることができた(お寺によっては宝物館などで入館料がかかるところもあるらしいので、すべてが無料という訳ではない)。

そして各寺には弘法大師の仏像があり、誰もいない早朝の寺の中で弘法大師のお顔を拝顔したときには、感動とともに何やら身が引き締まる思いがした。おそらく巡礼者の多くも、弘法大師像を見た時に同じように感じたのではないだろうか。

同行二人

それにしても、八十八箇所全てを巡るのは、たとえ車を使ったとしてもかなり大変な道のりである。それを昔の人は歩いて回ったのだから、おそらく三か月近くかけないと回ることが出来なかったはずだ。それだけ辛い巡礼なのだが、巡礼者には「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉が支えとなっているに違いない。

「同行二人」とは、巡礼者が八十八箇所を回っている間、弘法大師も一緒に巡礼してくれて、辛く険しい道のりも一緒に乗り越えてくれるという意味だと言われている。

しかし、この「同行二人」には実はもっと深い意味があると、有名な宗教学者が言っていて、それがとても印象に残った。

 「同行二人とは、二人で修行することによって、お互いが新たな境地に至る」という意味だというのである。
(おそらくこのあたりの解釈は様々な意見があると思うので、ある一つの仮説として聞いていただきたい)

弘法大師は1,000年以上前に命を懸けて中国に渡り、仏教を深く学び、その教えを日本に持ち帰り、真言宗を打ち立てた人である。当然私たちが想像もできないような苦行も経験してきたはずである。

そのため現代でも修行と言えば最後は一人で自分と向き合うことをイメージするのではないだろうか。しかし、弘法大師は「二人で行うこと」に大きな意味があると言っているのである。

これはどういうことかというと、本来の仏教の修業とは釈迦の教えを学びとり悟りを開くという作業である。しかし、釈迦の教えを学ぶためには経典を読むだけでなく、師匠から弟子に非言語で伝わってきた秘密の教え(密教)を学ぶ必要があるそうなのだ。それは、言葉では体系化することが難しいため、弟子は師匠の言葉や行動から学び取らなければならない。そういった秘密の教えが脈々と先人たちから受け継がれてきているのである。しかし、この師匠から弟子に伝えるときに、実は師匠も教えを通して、今まで以上の深い体感を伴った新たな境地に至ることが出来るというのが「同行二人」の本当の意味なのだ。

つまり「教える」という行為は、師匠から弟子に「一方通行」の行為ではなく、師匠も弟子に教えることで新たな悟りを得る「二方向性」の行為なのである。

転職で話せない過去

 このことについては、私も卑近な例だが身に覚えがある。

私は普段仕事で障害者の就労支援の仕事を行っているのだが、私が障害者の方たちに直接訓練プログラムを行うときがある。私自身はこれまでに人材紹介業に携わったり、また事業責任者として何百人と面接を行ってきた経験があるので、おそらく人よりは転職や就職活動というものへの知見はあるつもりである。

 そういった内容を踏まえて教えているのだが、以前私が訓練プログラムを実施しているときに、ある男性から「自分は転職回数が多くて、書類選考でいつも落ちてしまいます。また面接の中でそのことを突っ込まれるといつも戸惑ってしまい、なんて話せばいいか分からなくなるんです」と相談を受けた。

 これは面接対策の中では比較的よくある質問で、一般的な回答としては転職をしたことで得たプラス面を話すようにしましょうと言われている。この時も私はそのように伝えようと一瞬考えた。しかし、実際私が面接官だったときに、その人の転職回数が多いとわかると、最初に頭に浮かぶのは「この人は嫌なことがあるとすぐに物事を投げ出して逃げる人ではないか」ということだった。そのためもし入社をしたとしてもまた嫌なことがあったら会社を辞めてしまうのではないかと感じていた。

 つまり「嫌なことがあったら、すぐに辞めてしまう人(こらえ性の無い人)」という思い込みに対して、「私は様々な会社で色んな仕事を経験してきたので、御社の業務においても柔軟に対応できます」と職歴の多さのプラス面だけ話されても、「すぐに辞めるのではないか」という懸念は払しょくすることは出来ていないのである。

正直さは武器になる

 そのため私は、一般的な回答では転職回数の多さに対する懸念を払しょくすることはできないと思い、それを伝えることを思いとどまった。では私は過去数百人の面接をする中で、転職回数が多い人を全て落としていたかというとそんなことは無かった。30代で10回以上転職した人も採用したことがあったし、実際そういった人が入社して活躍してきた姿も見てきた。

では彼らは他の人と何が違ったのだろうか?
そう思ったときに一つの答えが思い浮かんだ。

 彼らは「とても正直な人」だったのだ。

 実は転職回数が多い人の特徴の一つとして、自分の過去の出来事の中で、面接官に対してマイナスの印象を与える内容を隠そうとする傾向があるのである。それはすぐにわかるようなレベルで隠している人もいれば、巧妙にこちらの質問をかわす話術に長けた人もいる。

しかし、この「何かを隠している」という違和感は、文章や態度、目つきからも何となく伝わってくるのである。そのため、面接官も「何かこの人の説明には腑に落ちない部分がある」と、面接が終わった後もしこりのようなものが残るのである。実はこの違和感がその人の面接の評価を決める大きな要素になっているのだ。

ところが、私が過去に採用した転職回数が多い人たちには、この違和感がなかったのである。

彼らは、自分が転職を繰り返してしまったことを隠そうとはしていなかった。むしろそのことに真摯に向き合っている印象を受けた。そして自分がなぜ転職を繰り返してしまったのか、自分の中にある弱さや改善しなければいけないポイントは何なのかをとてもよく理解をしていた。

 人間だれしもそうだと思うが、自分の弱さや欠点に向き合うことは容易いことではない。自分の弱さを見せることは相手に隙を見せることであり、人によってはその隙を突いてきて自分が不利な状況に立たされる可能性すらある。

 そのため人は自分の弱さをさらけ出すことを極端に恐がるものだ。それが面接であれば尚更だろう。面接では出来ることなら相手に良い印象を与え採用してもらいたいと思うはずだ。その時に自分の弱さの話しをすることは実はとても勇気がいることなのである。

 しかし、私は面接の中でそういった自分の弱さに向き合い、それをこれから改善していきたいと本気で考えている人たちに対しては

「この人は正直な人だ」
「この人にならもう一回チャンスを与えてあげても良い」

と感じ、採用を決めていたのである。

本気の反省は人の心を打つ

このことを思い出した私は、質問をしてくれた男性に

「転職回数が多い場合は、『本気の反省』を伝えるようにしてください」「過去の転職の際に、今思えば自分に課題があった部分を見つめなおし、それに対して本気で反省をすることで、次の就職ではそれを繰り返さないということを相手にちゃんと伝えましょう」
「そしてその正直さは職歴書の文章からも伝わるので、きっと書類選考も通りやすくなると思います」

とアドバイスした。そしてそのアドバイスを忠実に実行した彼は、見事就職を決めることができ、その後私に喜びの報告をしてくれた。

 それから私は転職回数が多かったり、言いにくい過去がある人に対してはこのアドバイスをするようになった。もちろん会社によっては正直に話したとしても受からない会社もあるだろう。しかし、本気で反省し、それを次に繰り返さないように努力している人にチャンスを与えたい考える会社は必ずある。

 自分を偽って入社できたとしても、その会社がその人にとっていい会社かどうかは疑わしいだろう。「正直さ」をいかに伝えるか、それが就職活動の成否を大きく分けるカギなのである。 

これが、私が体験した「同行二人」の例である。

おそらく皆さんも人に教えることで、新しい気づきを得ることはたくさんあるのではないだろうか。教えるという行為を「一方通行」の行為と考えるのではなく、「二方向性」の行為であることを意識することで、きっと皆さんもより深い学びを得ることが出来るはずである。

是非皆さんも「同行二人」による深い理解を体験していただければと思う。


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