道草ピーターパン
掌小説集です
エッセイ集です!日常の何気ないことをいろんな角度から眺めて、感じて、発信できればといいなぁと思っています。 よろしくお願いします!
連載小説です。 誰しもが心に抱える裏側の自分。 つい否定したくなる自分の影に人は向き合うことができるのか。 そして、自らの表と裏に出会うとき、人は何を考え、何を感じるのか。 人は今この瞬間しか生きることができない。 この世界で生きることの意味を問い続けたい思いを込めて書いた作品です。 あなたには、どんな裏側がありますか? そして、あなたは、そんなあなたの裏側も含め、あなた自身のことを愛していますか?
海を駆け抜けた一人の男がいた。 日本最高傑作といわれた戦艦大和を護衛する護衛艦にその男はいた。 これから補佐する戦艦大和には、空高くそびえる機関砲が規則正しくも勇ましく備えられている。軍人になった当時から、その全貌を一目見たいと憧れた青年の心を掴んで離さないほど、大和のたたずまいは美しく、彼にとっては、自らの命、そして、志を映し出した絶対的な存在として、いま、その護衛に当たれる栄誉に酔いしれているのであった。 瀬戸内海に浮かぶ小さな島で育った彼は、自らの命を国家と海に委ね、
生きていると、『何が起こるかわからないな』と思うことに出逢うことがある。 きっと他の人からすれば、びっくりするほどのことでもないんだろうけど、俺の中ではそれなりにインパクトのある出来事だったりする。 そして、いつも呟く。 『なんで俺だけいつもこうなるんやろなぁ……』 俺の内側の、なかなかに深い部分から、かすかに危うさを秘めた波動とともにせり上がってくる感覚に押し出されるように、ついついそんな言葉が口から飛び出してしまう。 もともとネガティブとまではいかないま
****** 森の入り口を案内するように、シロツメクサが元気よく咲いている。 子供の頃、春の森が好きだった。 花の匂い、鳥の声、風に吹かれて草木が揺れる音。 その全てに色があり、華やかだった。 「変わんないなぁ」 アシナガの森に立ちながら、葉山ヒカルはひとりつぶやいた。 森には春の陽が放射線状に差し込み、まるで光のシャワーのように草木に降り注いでいる。 その昔、神武天皇がこの森で旅の疲れを癒やしたことがあるという言い伝えは本当だったのかもしれないと思うほ
****** 「だからあんたらメガバンクは信用ならんとよ!」 岡崎勤が顔を真っ赤にしながら応接テーブルを叩いた。 「なんでもかんでも金利で解決できると思っとるとか?証書融資の金利下げてやるから、この岡崎産業の代わりを出せとはどういことや?わしをバカにしとるとか!」 岡崎の怒りは益々大きくなった。 「社長、そういうつもりで申し上げたわけではありません!ただただ、岡崎産業様とのお取引を……」 葉山ヒカルがはじようとした弁明を岡崎勤が遮った。 「結局、あんたらメガバンクにと
****** 「葉山さん、担当が変わって早々で申し訳ないが、手形の15億を返済しようと思っとるとですよ。すまんが、手続きばお願いできますやろか?」 そう言って、革張りの応接ソファーに深く腰掛けた岡崎勤が、縦縞のダブルのスーツのボタンを締め直しながら、葉山ヒカルをまっすぐ見た。 「社長、15億とは、手形で出している融資5本を全てご返済なさるということでしょうか。何か、当行に不手際がございましたでしょうか」 今日が訪問3回目だ。 まだ、腹を割って話せるほど距離を詰めること
****** 春の長雨は、アシナガの森の生き物たちにとっては恵みの雨だ。 植物たちは思い切りその芽を伸ばしていくために、大地からの恩恵を思う存分吸い込んでいく。 動物たちもまた、草木に降り注ぐ天然のシャワーを浴び、身体いっぱいに春の訪れを感じ、心躍らせる。 冬の間、土の中や森の奥深くで、その寒さにじっと耐え忍んできたのだ。 温かな春風とやわらかい陽の光とともに、大地に注がれる沢山の恵みは、生き物たちの心と身体を本来の姿に開放していく。 ここ数日の長雨で、ノエル
****** 社宅は築30年の鉄筋コンクリート造の4階建だった。 敷地の四方を万年塀が囲み、白色で塗装された外壁は雨風できた灰色のシミが目立つ。窓の半分まで転落防止の鉄柵がはめ込まれた外観からは、昭和のアパート感がプンプンと漂ってくる。 今どき、異動の辞令とともに社宅への入居の辞令まで発令される会社も珍しいのではないだろうかと思いながらも、10年以上この文化しか知らないと、自分の住まいを銀行に決められることにすら、何の抵抗感もなく受け入れてしまえるのだから不思議だ。
****** 「葉山さんは八王子のお生まれですかぁ。わしも若い時にはしょっちゅう東京に遊びに行きよったとですよぉ。八王子いうたら、北島のさぶちゃんが住んどるっちゅうてねぇ。わしも一度は住んでみたかぁって思いよったことがあったとですよ。都会は面白か場所がたくさんあるっちゃもんねぇ。うらやましかとですよぉ」 岡崎産業の社長、岡崎勤は肩を上下に揺らし、大笑いしながら、葉山ヒカルと支店長代理の飯塚にお茶を勧めた。 葉山ヒカルが引き継いだ超大口取引先の岡崎産業は、創業70年の地元
****** 顔をゆっくりあげると、涙がレンズのように瞳を覆った。 絵の具を水に垂らした時にできるマーブル模様のように変形した空が見える。 まるで水の中から眺めているようだとノエルは思った。 しばらくこのまま眺めていたいと思ったが、まばたきすると、涙はポロポロと粒になって落ちていった。 スギゴケがノエルから流れ落ちたしずくをキャッチしたらしく、かすかに葉っぱのタップする音が聞こえた。 もう涙は出てこなかった。 身体中の水分が無くなってしまったのではないかと思
****** 駅舎がだんだんと大きく近づいてきた。小刻みに揺れていた電車は、ポイント切替のところで一瞬上下に跳ねた後、ゆっくりとプラットホームに向かって徐行をはじめた。 車窓からは街のずっと遠くまで、立ち並ぶ建物の全体を見渡すことができる。 高層ビルの隙間を縫うように走る首都圏の電車から見える景色とはあきらかに違うものがそこには広がっていた。 青く澄んだ空の先は、弧を描きながら視線の遠くむこうにかけてくだっていく。 葉山ヒカルは窓枠に頬杖をつきながら、ぼぅっとそれ
****** 足元はぺんぺん草の緑と白でにぎわっている。 アシナガの森も新たな季節の到来に心が踊っているようだとノエルは思った。 切り株の椅子の周りを覆うスギゴケの絨毯にも色とりどりの模様がそれぞれの芽吹きに合わせて頭を出した。 冬の寒さを耐え抜いた植物たちは、春になると勢いよくその芽を伸ばし、太陽の光を身体いっぱいに浴びる。押さえていた感情をぱっと開放するように咲く花々には、待ってましたとばかりにモンシロチョウが挨拶にやってくる。 しんとした森の空気もこの季節だ
****** 「社長、そこをなんとかお願いできないでしょうか。このとおりです。お願いします!」 富岡商事の社長室に葉山ヒカルの声だけが響いた。 革のソファーから離れ、社長の富岡正三の膝が少しだけ頭を出す高さの大理石のテーブルに隠れるように、葉山ヒカルは床に額をつけた。 「今月、社長のところにお借りいただけませんと、支店の営業数字が達成できないのです。なんとか、これまでのご縁に免じて、三億ほど手形でお借りいただけませんでしょうか。翌月すぐにお返しくださって結構ですから。お
****** アシナガの森にある切り株の椅子の周りにはスギゴケの絨毯が広がっている。森に差し込む陽の光がスギゴケの鋭い葉っぱにあたり、キラキラと点滅しながら鮮やかな光を跳ね返してくる。切り株の椅子の木肌もまた、その点滅する光で薄っすらと白くなる。 ノエルはその様子を眺めるのがお気に入りで、眺めていると時間が経つのを忘れてしまう。 今日もまた、いつものように光の絨毯をぼうっと眺めていた。 どのくらい時間がたっただろうか。ふと顔を上げると、視線の遠く先にある茂みがユ
****** 「葉山、今月の数字、大丈夫なんだろうな」 支店長の片岡から呼び止められ、葉山ヒカルは慌てて片岡の方に向き直した。 「あと三億弱というところです。これから月末の運転資金名目で富岡商事さんに提案に行くことにしています。富岡さんのところはこのところ業績も上向いていますので、おそらく計算書ベースで審査部も問題なく融資のOKをだしてくれると思います」 葉山ヒカルは、大手都市銀行のかがやき銀行横浜支店で渉外係の係長をしている。かがやき銀行横浜支店は、銀行内でも一、二
****** 「ノエル、ごめんね。許して、ノエル……」 グレーのヒールが静かに音を立てながらゆっくり離れていく。 ノエルはじっと涙が溢れ出そうになるのを我慢した。 「きっともう帰っては来ないのだ」 彼女の遠のく背中を見つめながらノエルは自分の心の中から大切な何かが剥がれ落ちていくのを感じた。 あの日からずっと森だけが自分を守ってくれているように思える。 アシナガの森と呼ばれるその森は、ノエルの家から歩いて15分ほどにある小さな森だ。針葉樹が所狭しと伸び、その重なり合った葉の
テレビの画面が砂嵐みたいに乱れるように壁の模様が波打つ。 規則的に揺れ動く地面が不安な気持ちを煽る。 地震に慣れていないわけではなかった。 関東ローム層は柔らかい地層だ。頻繁に起こる小さな地震は東京の風物詩でもある。 しかし、あの日は違った。 生き物が身の危険を察知したときにピンと耳を伸ばすように、全身の毛穴が一瞬にして硬直した。 ただ事ではない。 右に左に身体が揺さぶられる。 地球の引力のおかけで宙には浮かないが、必死で地面に吸い付こうとする。 どうしよう。逃げなければ。