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今あること、今いること

テレビの画面が砂嵐みたいに乱れるように壁の模様が波打つ。
規則的に揺れ動く地面が不安な気持ちを煽る。
地震に慣れていないわけではなかった。
関東ローム層は柔らかい地層だ。頻繁に起こる小さな地震は東京の風物詩でもある。
しかし、あの日は違った。
生き物が身の危険を察知したときにピンと耳を伸ばすように、全身の毛穴が一瞬にして硬直した。
ただ事ではない。
右に左に身体が揺さぶられる。
地球の引力のおかけで宙には浮かないが、必死で地面に吸い付こうとする。

どうしよう。逃げなければ。どこから外に出ればいい?
頭の中は生き延びるための手段を必死に探している。

揺れがおさまった時、顔をあげるのが怖かった。
おそらくこれまでと違う風景がそこにあるはずだと、内なる声が叫んでいるように思えた。
書棚は重なり合うように倒れ、書類は散乱し、来客用のコーヒーカップが無残な姿で散らばっていた。食器棚からは2メートル以上離れていたと思う。
脳みそはとにかく情報を求めていた。
何がどうなっているのか、すぐに知りたかった。
ガラケーのボタンを何度押しても待機中のマークがくるくる旋回するだけで一向に画面は進まない。
電話回線もダウンしている。
同僚と外に出ると、同じように状況をうまく飲み込めずにうろたえる人たちで溢れていた。

揺れるっ。危険を予知し身体が反応する。次の瞬間、最初の余震がやってきた。
身体中のセンサーが触手を伸ばし、感覚は研ぎ澄まされた。
緊張でいつもより景色が鮮やかに見えた。

1時間くらいが経っていただろうか。
「上の階の人たちは大丈夫か?」
拡声器を片手に上司が叫ぶ。
我社は9階建て。
私を含め多くの社員は3階のオフィスにいるが、7階から9階にも社員が働いている。
姿があるものもあれば、周囲を見渡しても姿の見えないものもいた。

「まさか……」
はじめて自分が汗をかいていることがわかった。

「すまん、行ってくれんか」
上司の目は本気だった。
「わかりました」
私はもう一人の同僚と上層階への階段室に向かった。
手には通信不能のガラケーを握りしめていた。
もしかしたら通信が回復するかもしれない。
通信できなくても写真は撮れる。
何かの役に立つかもしれない。
半導体を搭載するその塊は、電波という生命が吹き込まれない限りその価値が限りなくゼロになることを知った。

9階は息をのむほどの有様だった。
壁から離され、支えを失った書棚同士が「人」という字をいくつも作り出している。
足元にはコーヒーカップや湯呑の破片が散らばり、キラキラと光っている。
まるでここから先は危険だと言わんばかりにそのキラキラは目に刺さる。
一歩一歩を慎重に進めながらも、心臓は小刻みな鼓動を繰り返し、額からはヌメッとした汗が流れ落ちる。
「誰かいませんかぁ! 誰かいませんかぁ!」
必死に喉を開くが、声を出すのが苦しい。
できるだけ低い姿勢で、腰をかがめ、倒れた書棚やキャビネットの隙間に声をかける。
人の気配はない。
ただただ静寂で、でも澄んでいない空気が一体を占める。
舞い上がったまま停滞している埃に息が苦しい。
何度か余震が襲ってきた。
揺れる身体を地面に吸い付けさせようとする。その動きは本能からのものであることを理解した。

2時間ほど経っただろうか。
取り残された人がいないことを確認し、再び階段室に向かう。
地上階へ着いた時、どっと押し寄せる疲労感に膝が笑った。

相変わらず混乱は続いていた。
携帯電話の電波も不安定なままだ。
「大丈夫」
ただその3文字が届かない。そして、届けることもできない。

途方に暮れる中、テレビは勢いよく流れ出す灰色を映し出していた。
実感がわかない。
いま、帰宅すらできないでいる状況なのに、テレビの向こうの世界が自分たちの住む国の出来事であることも飲み込めない。
呆然と、ただ、画面をみているだけで、ただ、何もできず、ただ……

生きていることがそれだけで尊いことだと思った日から10年が経った。

再び私たちは命について考えている。
あの日、生かされている命に感謝し、日々を精一杯生きようと決意した。
生きたくても明日を迎えることのできなかった多くの同胞の無念さを無駄にしてはならないと思った。
同時に、自然の力の前に、人間は非力であると悟った。
すべてがなるようになっている。その中で生かされている。そう思ったことを今でもはっきり覚えている。

そしていま、私たちは目に見えない力と戦っている。
どこに隠れているのか、どこを飛んでいるのかわからない力に圧倒されている。
命とは。人とのつながりとは。絆とは。愛とは。
未知の脅威から身を守るように、たくさんの思いがメッセージとなり飛び交う。
前を向こう。いつかきっと良くなる。ポジティブに考えよう。
励ます言葉が街を彩り、気がつくと「頑張らなきゃ」「耐えなきゃ」と心が変換ボタンを押し続ける。

でも、本当は疲れ果ててしまっていた。

見えないことは予想以上に心にも身体にもこたえた。
良くなったことが形として目に映ることがどれだけ安心につながるか、これまでわかっているようでわかっていなかった。
私たちは知らず識らずの中で、目に見えるもので安心を手に入れていたのかもしれない。

そんなことを思いながら車窓からの景色をながめていると、ラジオから『世界で一つだけの花』が流れてきた。

じわっとその言葉がしみ込み、すっと身体が軽くなる感覚を覚えた。

今あること、今いること、それはすべて自分という花を咲かせるためのもの。
あなたの花はあなただけのもの。
あなたの花を私は咲かせることはできない。
そして、私の花をあなたは咲かすことはできない。
私の花は私だけのもの。
もともと特別なオンリーワン。

無理に前を向かなくてもいい。
つながりだけが全てではない。
誰かに褒められることがいい人生なわけではない。
あなたがあなたでいられること、それが全てなのだ。

10年後、何を思い、空を見上げているだろうか。

また必死で地面に吸い付くように生きているのかもしれない。
それでも自分だけの花が咲くように、自分らしく生きていられるなら嬉しい。

あの日、僕の見た空はきっと青かったに違いない。


〜東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、いまだ行方不明の方の一日でも早い安否が確認できますことを心よりお祈り申し上げます〜



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