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オトナ女子と、SNSとの向き合い方。

最近、結構心にズドーンとくる、悲しいことがあった。

あまりにもショックで、その瞬間は涙も出なかった。でも後から、ワンワン泣いた。本当にワンワン、うおーーーーんと、犬みたいに。嗚咽と鼻水と心にツーンとくるのを全部吐き出す感じで。治ったと思ったら、またお風呂で泣き始めたり、料理してふとお皿洗ってる時だったり。

でもそのおかげで、5日目くらいには涙が止まった。多分涙は枯れたのか、楽になってきたからなのかわからないけど、そこから、だんだん冷静に考えられるようになった。

わたしの場合、悲しいことやモヤモヤ、考えたいことが溜まると「一人」になる。多分これは、自分の中で「消化する」必要があるから。人と話して消化する人、一人になって消化する人、人それぞれ。

久しぶりに無気力になって、なんなら食欲もなくなった。何もいらない、何もやりたくない。体と心がぽっかり空いた感じ。

でも、空っぽになって、残ったのは「自分」だけ。どんなに落ち込んでも、自分の気持ちからは逃げられない。だってこのわたしで生きちゃってるから、しょうがない。

で、長くなってしまったけどここからが本題。自分からは逃げられないと気づいちゃったなら、「OK、とことん向き合ってやる!」と受け止め、自分と本気で向き合うことにした。本気で。

形から入るわたしがまずしたことは、「とことんひとりになってみる」ということ。友人や家族(日本)には、悲しいけど大丈夫と説明し、ひとりでいる時間を作った。そして、ひとりでいるときは、外部からの情報を遮断するために、SNS(ソーシャルメディア)を全て辞めてみた。

そうすると、面白いことに、見えてきたことがいくつかある。

まず、いかにSNSに自分の時間を使っていたかということ。わたしは人前で携帯をみるという行為があまり好きではなく、自分の中ではSNSに依存していないと思っていた。でも、全て辞めてみてから、そんなわたしでも毎日の生活中に、生活スタイルとしてしっかり根づいちゃっていたことがわかった。朝起きてメッセージのチェック、仕事の合間の休憩時間、寝る前のぼーっとした時…などなど。

隙間時間だけど、無意識って怖い。集めれば、大切な1日の時間になる。SNS反対と言っている訳ではないし、好きな人は好きでいい。ここでのわたしは、SNSよりも自分と向き合う時間を優先したいと思ったので、日記を書いたり、本を読む時間に変えた。

大切なのは「自分の時間を意識して選択する」ということ。ダラダラしてもいい、何もしない時間でもいい。自分がいいと思える、好きな時間の使い方を今後も続けていきたい。

SNSの投稿についても、発見があった。わたしもたまに、旅行に行ったり、おいしいもの、嬉しいことなどストーリーやポストを投稿したりしていた。でも今回、一切の投稿を辞めてみて「何のための投稿だったんだろう?」という疑問が湧いた。

自分が好きなこと、嬉しかったことを友人に紹介したい、見せたい。根本的にはこんな感じのフワッとした理由だと思う。でも、「こんなにおいしいもの食べて、すごいところに行って…」と、もしかしたら自慢したい気持ちも少しあったのかも?という、自分の気持ちに気づいた。そして、友人たちの情報がSNSから入って来なくなって「なくてもいい、意外と人に興味ないかも(笑)」って思った。

まわりからの目、まわりへの興味がなくなって、改めて見えたのは「自分の価値は自分で決める」ということ。SNSからのイイねでもなく、まわりからの意見ではなく、わたしのことはわたしで決める。わたしがどう思うかで、全て決まる。

むしろ自分以外に誰が決められるんだろうか?こんなにもわたしを知っているのは、わたししかいないのに。

こんな感じで1週間、自分とところん向き合って、大事なことに気づけた気がする。SNSとの付き合いも、自分が見たいと思えば見ればいい、繋がりたかったら連絡すればいい、疲れたと思えば、チェックする必要もないし、何もしなくていい。

そうやっていつも、自分の心に聞いて、自分の意思を持って、SNSとも上手に付き合っていけばいいと思う。

相変わらずまだ、悲しいという気持ちは残っているけど、この悲しいも大事なわたしの感情。蓋をせずに、優しくハグする感じで、受け止める。

無理せずにゆっくり、前に進んでいこう。
ひとりを超えて、いけると思う。


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