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書くときに大切なのは、読者に「伝えたいこと」と「想い」だった

子どものインフルエンザや仕事でバタバタしていた今週。

三連休の初日の今日、私は重い腰を上げてようやく電子書籍の構成を完成させた。ストーリーテリング講座の課題でもある電子書籍の執筆。

一旦構成をスクールの先生に添削に提出できて、ようやくホッとしている。

人のコンテンツは書けるのに、なぜか自分のコンテンツを書こうとすると、発信しようとすると急に腰が重くなっていた。

「自分のノウハウなんて、誰が読むんだろう」
「既に他の人が書いているようなテーマだしなぁ」
「ほかにもすごい実績の人たくさんだし、私が書いてもな……」

ネガティブな感情、自己批判が多く出てきてやる気がでなかった。

最近あらためて気づいたのは、自分は「完璧主義」なんだなということ。「別に私は完璧にできていないから、完璧主義ではない」という謎の独自理論で完璧主義ではないと思っていた(笑)

でもいざ構成を考え始めると、思った以上に読者に伝えたいことがたくさん出てきて、内容を絞るのが難しくなっていた。

「この内容を書くと、読者に役立つのでは?」
「この本がきっかけで、誰かの悩みが解消されたらうれしいな」
「私はこの失敗をしたから、同じような思いをしてほしくない」

などなど、まだ見ぬ読者への想いや願いが動くと勝手に出てきた。ノウハウ系は自分には書けないと思っていたけれど、私にも書くネタはちゃんとあったんだ。

そうだ。文章を書くときって、読者のことを考えて伝えたいことがあるときは人はスラスラ書けるんだった。伝えられるんだった。

反対に、ベクトルが「読者」でなく「自分」に向いているときは、書けない。書いても自分で「イマイチだな」と感じてボツになることが多い。

仕事では当たり前の認識だったし書けるのに、いざ自分のことになるとなぜかピンとこないことがある。でも、文章の上手さや内容の有益さはもちろんだけど、最終的には書き手の読者への想いの強さも伝わる理由なのだろうなと思う。

私が書くからこそ、届く人が1人くらいはいるのかもしれない。そう思うと、ちょっと勇気が出てくる。

さまざまなnoteのフォロワーさんの記事を拝見していて、あらためてそんなふうに感じている。

ちょうど1年前、noteで知った作家の末吉宏臣さんやその読者さんの発信や行動を見て、少しずつ自分の感じたことの発信や電子書籍へも前向きになってきたこの頃。

昨年末吉さんとオンライン上で話したとき「今はどうやって?何を?を考えるよりも、(さおりさんの場合は)『感じること』を大切にしてみましょう」とアドバイスをいただいた。

正直、当時は「なぜ?」と思った。

その後、ふと「一人旅にいきたい」と感じたので勇気を出して行ってみて、いろいろなことを見て聞いて感じた。「あ、これはnoteに書かなければ。誰かに伝えなければ!」と謎の使命感を抱いたことがあったので、以下の記事を思い浮かぶままに書く。

すると予想以上の多くの方に読まれて「感じて伝えるって大切だなぁ」と気づいた。末吉さん、当時の私に必要なことを見抜いていてすごいと思った。

文章が書けないときは、感じることが足りていないときか、誰かに伝えたい気持ちが強くないときなのかもしれない。

そんなドンピシャなアドバイスをくださった末吉さんが、この度これまた自分にドンピシャなテーマの本『発信する勇気』を出版されるということで、ドキドキしながら以下の出版記念講演会に行くことにしました。

数年ぶりの東京、今からとてもワクワクです。

夏以来の一人旅、また楽しんでいこうと思います。わーい。
そして、そこで見て聞いて感じたことをまた自由に書きたい。

講演会に行く方、どうぞよろしくお願いいたします!

発信する勇気、楽しみだなぁ。

電子書籍の執筆もがんばるぞ。

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