Zenta Nakata

Photo Diary

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最近の記事

折々の1本 -2021年7月②-

写真は、カメラを使えば誰にでも(心身ともに体調が悪かったとしても)簡単に写せてしまう、そこが長所と言っていいかもしれません。 でもときに容易に写せるという長所が逆に働いて私をものすごく不安にさせます。 不安な気持ちになるのは、写真以外の私の趣味が語学やランニングだったことも関係しているのかもしれません。語学やランニングは、今日の自分が正しい努力をすれば過去の自分を超えることができます。達成感•充実感を味わいやすいです。 他方で写真は、自分自身が設定した基準をクリアできる

    • 折々の1本 -2021年7月①-

      季節によって、天候によって、街は表情を変えていきますね。その変化や差異をフィルムに焼きつけることに新鮮な楽しさを感じています。 洋服屋さんに並ぶ洋服は、誰にどのように着られるか選ぶことはできないし、売り手もほとんど関与することができない。同様にカメラ屋さんに並ぶフィルムは、誰にどのように撮られるか選ぶことはできない。 自分は、何か(フィルム)を受け取ったのだから、何かを世界に差しだすことができたら良いなぁとごくたまに思います。本当にごくたまに。 好きな写真を好きなように

      • 折々の1本 -2021年6月②-

        配慮が足りないところがあるかもしれませんが、SNSでは繋がりのある一人ひとりとの関係性や距離感を大事に意識するようにしています。 この「距離感」について写真家の幡野広志さんが書いていたことが記憶に残っています。 〈本当にコミュニケーション能力が低い人というのは、相手との距離感が遠い人ではないんです。相手との距離感が近すぎる人のほうが、むしろコミュニケーション能力が低い人なんだとおもうようになりました。〉『なんで僕に聞くんだろう。』 いきなり距離をつめて詮索してくる人、信

        • 折々の1本 -2021年6月①-

          表現という贅沢な遊びをカメラとフィルムに私はさせてもらっています。 と書きつつも、私の中にはこれと言って表現したいことはないかもしれません。 写真を見てくれた人が、街歩きしたくなるようなシーン、いつも見ている光景がこれからはすこし違って見えるようなシーンを探し集めているのですが、「表現」とまでは言えない気がします。 素敵な誰かとつながろうとして写真を撮っている、というのが私の本音です。 自分が良いと思って撮影した日常光景•生活情景に対して、写真を見てくれた人から言葉を

        折々の1本 -2021年7月②-

          折々の1本 -2021年5月②-

          最近、道尾秀介さんの小説を読みました。 ①雨ふりでミステリが無性に読みたくなったから②以前、道尾さんが、作中の情景描写は基本的に《自分が見たことがないもの》を書いて、《自分が知らない世界》に読者と一緒に入っていく感覚で小説を書いていると語っていたから、本屋さんで文庫本に手が伸びたんです。 私自身も、《自分が知らない世界》を、厳密に書くと、とてもよく知っていると思い込んでいた世界の中で《実際はよく知らなかった世界》を写真にしたいと思っています。 みなさんは最近、SNS上で

          折々の1本 -2021年5月②-

          折々の1本 -2021年5月①-

          Twitterで写真を投稿するときのキャプションを英語にしてからもうすぐ2ヶ月になります。主観的な言葉も添えないようにしてきました。 海外の人とも繋がりたいから、など様々な理由があるのですが、おっきな理由は、写真を見てくれた人が感じたこと/とらえたことが「正解」という状態にしたくなったからです。見る側が世界を感じられる投稿をする人たちに対する憧れもあります。 最近プライベートで私自身の性格的な大きな問題に気がつきました。 これは例え話ですが、女の人と1日東京散策するとし

          折々の1本 -2021年5月①-

          折々の1本 -2021年4月③-

          最近『スモーク』という映画を観ました。 タバコ屋の店主が、4000日間1日も欠かさず毎朝同じ時間に同じ場所で写真を撮ること、それを一生をかけた自分のプロジェクトとして取り組んでいたことから何かしらの影響を受けた気がします。 それが彼の街角の記録であったこと、そこが世界の小さな片隅に過ぎなくても色んなことが起こるのを彼が知っていたこと、この2点にとても励まされました。ゆっくりゆっくり生活圏の光景を観察して記録したいと思えたんですよね。 私自身は観光地やスポットに行って撮影

          折々の1本 -2021年4月③-

          折々の1本 -2021年4月②-

          写真を組むときに違う撮影地の写真をミックスすることが私は多いです。 AとBを別々で見るよりも隣り合わせた方がよりよく見えることがあるかもしれない。その可能性を模索しています。 こういうことに興味を持つようになったのは、お世話になっていた美容師さんがDJをやっていて、お客さんが良いと思ってくれる曲をセレクトしそれをノンストップでつないでいく作業の魅力についてよく話してくれたからです。 A曲とB曲を別々で聴くよりもミックスした方がよりよく聴こえることがある。その2つが重なっ

          折々の1本 -2021年4月②-

          折々の1本 -2021年4月①-

          言葉って難しいですよね。 LINE、E-mail、SNSのリプライなど、反射的に返した方が想いが伝わる時もありますし、ゴムボールが弾むようで気持ちもいい、仕事など場合によっては返信スピードが何よりも大事で信頼に繋がったりもします。 他方で、私の場合、反射で言葉を返すことの怖さを忘れてしまった時には必ず感情の交通事故にあいます。とくに自分のそばにいつもいてくれる人と起こりやすいです。ドカーン。ほんと笑えません。 SNSで1行か2行の返信をする時にそんなことする必要ありませ

          折々の1本 -2021年4月①-

          折々の1本 -2021年3月⑦-

          写真は自然な形で日常生活と地続きの光景を撮っていけると素敵だよなぁ、と思います。 ですが生活光景を記録するためだけにカメラをたずさえているわけではないので色んな街を歩く時間を積極的につくっています。私にとって撮影は街を散策してオリジナルの地図をつくることでもあるからです。 眺めていて楽しい大きな地図をつくるには、継続することが1番大事だと分かっています。が、なかなか難しいです。 今まで見落としていた瞬間に気づける自分、何か受け入れられない現実に抵抗しようとするハングリー

          折々の1本 -2021年3月⑦-

          折々の1本 -2021年3月⑥-

          カメラを持って街を散策してるときはワイヤレスイヤホンを片耳にだけ差し込んで音楽を聴いています。 ストリーミングサービスを利用して好きなアーティストのライブ音源を聴くことが多いです。 ライブの1回切りという感じ、一瞬一瞬をつかみとろうとする感じ、それがスナップ撮影に少し似ていて歌手の歌唱と生演奏と自分の気持ちがフィットします。 ほとんどのアーティストが年代ごと会場ごとにコード進行や歌唱法を変えたりして同じように演奏しません。 そのようなライブパフォーマンスに身体をくぐら

          折々の1本 -2021年3月⑥-

          折々の1本 -2021年3月⑤-

          1枚の写真だとインパクトに欠けるし、なんか謎。 でもそんなインパクトに欠ける謎写真であっても、それが群れになると、並べられると、言葉が浮かんできたり、意味合いを持ったりすることもあるんじゃないか...。 私がこのnoteに投稿したフィルム1本をプリントして、自宅に持ち帰る途中に駅のプラットフォームで落としたとします。 もしそれが1枚だけだとしたら写真を拾って見てくれた人は私という人間をイメージするのは難しいはずです。 でももし37枚の写真を拾って見てもらえたとしたらど

          折々の1本 -2021年3月⑤-

          折々の1本 -2021年3月④-

          1度だけでいいから「日の出」から「日の入」まで1日中歩いて、1枚、また1枚とシャッターをきり続けてみたいです。 小澤征爾さんの自伝的エッセイ『ボクの音楽武者修行』を昔よく読みました。 〈まったく知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じがするもので、ぼくはそのたびにシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。日本を出てから帰ってくるまで、二年余り、いくつかのゾクゾクに出会った。〉 正直なところ、私は家を出て平均2時間ぐらい街を歩いて家に帰るまで、「ゾクゾク」に出

          折々の1本 -2021年3月④-

          折々の1本 -2021年3月③-

          カメラをたずさえて街に出て、自分の歩幅で焦ることなく歩いてきました。 偶然の出会いに反応して撮影したフィルム1本。その写真を歩いた順•撮った順で並べています。 一歩ひいて見守るような視点が好きです。 SNSで日々写真を見てるとタイムラインに流れてくる確率の高い人気スポットが分かってきますよね。そのような場所でも良い光が差し込んでいたり自分が惹かれたら私は撮影します。 有名だからという理由でその場所を否定したら自分の可能性を狭めることになりますし、みんなが撮ってたから自

          折々の1本 -2021年3月③-

          折々の1本 -2021年3月②-

          過去を支えにして生きるためにも、楽しいこれからをつくるためにも、写真を撮影するのと同じように今の気持ちを書き記しておきたいです。 もし「視点の違いが世界の違い」だとしたら、ほんの少し視点を変えれば、ほんの少し(自分の)世界を変えられるかもしれない。 浅草に来ると浅草寺の壁を背景にして市井の人の肖像を撮り続けた写真家•鬼海弘雄さんのことを思い出します。 〈時代をまたぐ価値観がないとお互いにゆるやかに生きられない。お互いにゆるやかに生きるってことがひとつの文化の1番希望だろ

          折々の1本 -2021年3月②-

          折々の1本 -2021年3月①-

          1本のフィルムに焼きつけた景色を目の前に積みあげ、実際にその景色の山を俯瞰し、日々つけてきた足跡を辿っていきます。 写真と文章で自分と景色との関係性を目で見えるように保存したいという気持ちもあります。 以前読んだ紀行文に、山形県の「遊佐(ゆざ)」という地名の漢字が美しく軽やかで楽しげでスマートだからその土地を旅の目的地にした、と書かれていたんです。 さすがに山形県には行けませんが、私も東京都内で駅名が1番美しくスマートな駅に行ってフィルムに景色を焼きつけてみようと思い立

          折々の1本 -2021年3月①-