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折々の1本 -2021年7月②-

写真は、カメラを使えば誰にでも(心身ともに体調が悪かったとしても)簡単に写せてしまう、そこが長所と言っていいかもしれません。

でもときに容易に写せるという長所が逆に働いて私をものすごく不安にさせます。

不安な気持ちになるのは、写真以外の私の趣味が語学やランニングだったことも関係しているのかもしれません。語学やランニングは、今日の自分が正しい努力をすれば過去の自分を超えることができます。達成感•充実感を味わいやすいです。

他方で写真は、自分自身が設定した基準をクリアできるかできないか、というようなメンタリティはあまり向かない気がします。今日の自分は過去の自分より良い写真を撮ったのか?私にも見てくれる人にも簡単には判断をくだせません。

でもなんでしょう、良い写真かどうか分からなくても撮り続けてるのって、撮るときに光景と少し対話ができて、撮った写真に少しだけ自分自身が写るからかもなって、ふと考えたりします。

今年刊行された写真集『flowers』の中で奥山由之さんが〈人は、自分を何かに反射させることで、初めて生かされている。物理的にも精神的にも。〉と書いていました。

日常写真とは何ですか?と聞かれたら、「日常との対話、と私の顔」と今の私は答えます。

(《顔》は飛ばしすぎたかもしれない、《立体的な佇まいのある記録》の方がよかったかな)

自分は1人ではなく、さまざまな自分の中から好きな自分を見つけることは可能で、その好きな自分を足場にして生活していきたいです。

最後まで目を通して下さってどうもありがとうございます。

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