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折々の1本 -2021年6月①-

表現という贅沢な遊びをカメラとフィルムに私はさせてもらっています。

と書きつつも、私の中にはこれと言って表現したいことはないかもしれません。

写真を見てくれた人が、街歩きしたくなるようなシーン、いつも見ている光景がこれからはすこし違って見えるようなシーンを探し集めているのですが、「表現」とまでは言えない気がします。

素敵な誰かとつながろうとして写真を撮っている、というのが私の本音です。

自分が良いと思って撮影した日常光景•生活情景に対して、写真を見てくれた人から言葉をかけてもらえるのが純粋に嬉しいんですよね。

カメラという誰にでも簡単に写せる便利な道具を使って多くの人が写真を投稿していますから、写真を見てもらうことも言葉をかけてもらうこともかなり難しいです。

何かしら人と違うことをしないといけない。でも私が撮りたい写真は普通の写真…。

早い段階から、私は撮影•編集ではなく、撮るときの《街の歩き方》、写真を組み合わせたときの《街の見せ方》で個性を出し、話しかけたくなる投稿を目指していこうと決めました。

私がSNSで写真を見る限り、多くの人は、事前に自分自身に対してプレゼンをしていて、ここに行けばこういうのが撮れて、ここから撮影した写真は自分のトーンに合いそうだから、とあらかじめ「撮りたい素材」を持って目的地に向かって歩いてる気がします。まったく悪いことではありません。

ですが私はこの歩き方では、独自の視点を街にからめて、自分が本当に良いと思った光景を1枚ずつ積み上げてる実感が湧かないんですよね。

私は特別な素材を用意しません。事前に気になる喫茶店、古書店、パン屋、眺めの良い場所など仮の目的地を決めたら、とりあえずその場所がある駅に行ってみます。仮の目的地に向かう途中に見えるもので自分の目を楽しませようとする、少し退屈するぐらいがちょうどいいです、そうやって歩いてシャッターが切りたくなる瞬間をゆっくり探します。

明確な何かが今はないとしても、表現しようとする自分でいたいので、自分の道を自分の歩幅で焦ることなく歩いていこうと思います。そこから個性が際立ったら嬉しいですね。

貴重なお時間を使って最後まで読んでくださったことに感謝します。

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