折々の1本 -2021年6月②-
配慮が足りないところがあるかもしれませんが、SNSでは繋がりのある一人ひとりとの関係性や距離感を大事に意識するようにしています。
この「距離感」について写真家の幡野広志さんが書いていたことが記憶に残っています。
〈本当にコミュニケーション能力が低い人というのは、相手との距離感が遠い人ではないんです。相手との距離感が近すぎる人のほうが、むしろコミュニケーション能力が低い人なんだとおもうようになりました。〉『なんで僕に聞くんだろう。』
いきなり距離をつめて詮索してくる人、信頼を積み重ねてないのに(求めていないときに)アドバイスしてくるする人は少し怖いですよね。
繋がりがある方々とは、遠すぎず近すぎずな良い距離感で写真や言葉の交流をしてゆきたいです。いつもありがとうございます。
写真を撮ることに関しても、私は「距離感」にものすごく気をつかいます。(被写体にもよりますが)近すぎると見てくれる人が写真の世界に入り込むスペースがなくなるので一歩ひいて撮影することがほとんどです。踏み込みすぎてない写真を見てるときの方が自分自身がリラックスできるというのも引いて撮影する理由です。
距離をとることって、単に被写体から離れるというよりも、私の頭の中では、自分と被写体とのあいだに「親しみやすいトビラ」を用意して、そこから見てくれる人に写真の世界に入ってもらえるようにするイメージです。
ぜんぜんまだ見つけられてません、そのトビラを。
見てくれる人が主役の、見てくれる人の写真を撮りたい、というのはさすがに気持ちが昂りすぎです。
が、なんでしょう、人それぞれ、自分の暮らしや写真や世界観を調整し、作り替えることによって、受け身で生まれた人生を主体的に切り開いていこうとしてると私は思うんですよね。
私がnoteに文章を書くようになったのは、刺激的なnoteを書いて読ませてくれた人たちのおかげです。
私が曇りの日に写真を撮るようになったのは、撮りたくてウズウズしてくる曇りの写真を撮って見せてくれた人たちのおかげです。
私も、見たり読んだりしてくれた人が、自発的に自分を変更したくなるような写真や文章をつくりたいです。
長い文章を最後まで読んで下さってどうもありがとうございます。
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