見出し画像

折々の1本 -2021年3月⑤-

1枚の写真だとインパクトに欠けるし、なんか謎。

でもそんなインパクトに欠ける謎写真であっても、それが群れになると、並べられると、言葉が浮かんできたり、意味合いを持ったりすることもあるんじゃないか...。

私がこのnoteに投稿したフィルム1本をプリントして、自宅に持ち帰る途中に駅のプラットフォームで落としたとします。

もしそれが1枚だけだとしたら写真を拾って見てくれた人は私という人間をイメージするのは難しいはずです。

でももし37枚の写真を拾って見てもらえたとしたらどうでしょう...。私がどんな言葉遣いをするか、どんなふうに異性をデートに誘ってエスコートするか、人との距離感は近いか遠いか、など私という人間を写真群から引っぱり出すことがひょっとしたらできるかもしれません。

ここまで書いてきたことは当たり前過ぎるかもしれませんが、写真が1枚だけだと謎、でも写真が複数枚集まれば「個が形成•生産」される可能性があることに私は励まされます。

写真を見てくれる人たちに私を見いだして欲しいと思っているわけではありませんが、この人は「カメラを手にして景色と向き合ってるときの自分自身を好きになろうとしてるんだろうなぁ」ということが伝われば嬉しいです。

写真や文章を投稿しても大多数の人からは評価されませんし、ほとんどスルーされます。それが自然です。私自身も多くの人から簡単に理解されてしまったら逆に不安になってきます。

そんな大多数にスルーされてしまう自分であっても毎日自分で自分の面倒をみて育ててあげないといけない。

苦しい思いをした時こそ、継続することを諦めてしまいそうな時こそ、自分の存在を肯定しようとすること、自分が自分を好きになろうとすることが大事だと私は思います。

厳密に書くと、自分を丸ごと好きになることは不可能ですが、写真を撮ってるときの自分が好き、あの人と一緒にいるときの自分が好き、というように「好きな自分」を増やし足場にして生きていくことはできるかもしれない、と考えています。

写真や文章を見たり読んだりしてくれた人が、それらを経由して、その人が自身のことをちょっとでも好きになれたら、その人が自身のことをちょっとでも好きになる入り口になれたら、そんなことをイメージして明日からも撮ったり書いたりしていきたいです。

長い文章を最後まで読んで下さってどうもありがとうございます。

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?