折々の1本 -2021年3月②-
過去を支えにして生きるためにも、楽しいこれからをつくるためにも、写真を撮影するのと同じように今の気持ちを書き記しておきたいです。
もし「視点の違いが世界の違い」だとしたら、ほんの少し視点を変えれば、ほんの少し(自分の)世界を変えられるかもしれない。
浅草に来ると浅草寺の壁を背景にして市井の人の肖像を撮り続けた写真家•鬼海弘雄さんのことを思い出します。
〈時代をまたぐ価値観がないとお互いにゆるやかに生きられない。お互いにゆるやかに生きるってことがひとつの文化の1番希望だろうなぁ。〉
と仰っていたのが忘れられません。
私が大事に胸の中にしまっている鬼海さんの言葉がもう1つあります。
〈文章ってのは上から啓蒙みたいに流せるけど、写真とか映像ってのは、見る人が自分を主役にして読まないことには言葉が出てこない。〉
写真を見る人を主役にできて、読んでいるときに言葉が自然と出てくる写真を撮る人に私は憧れています。
見る人の心のスキマに入ってくるような写真。
「自分」を思い出したり「自分」を考えたりすることができる見飽きない写真。
私の場合、人生とは何か?ということを考え込むと段々と暗い気持ちになってしまうようです。だからそんな時は、1日というカバンの中に何を詰め込むか、詰め込まないか、中身のことを考えるように心がけています。
ある日、浅草から秋葉原までの景色を集めてくると決めて、私はこの37枚をカバンの中に詰め込みました。
ある1日の詰め合わせを最後まで読んで下さってありがとうございます。
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