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「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
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#旅のフォトアルバム

❨9❩1971.9.10 金 晴 ぶらじる丸9日目:移民船

❨9❩1971.9.10 金 晴 ぶらじる丸9日目:移民船

船中の人達を見ると、全て楽しそうに見える。
しかしこの船を降り立った時、恐らくきびしい表情に変わるのではないだろうか?

船は、南米移住に向かう人達や、観光客やその他色々の目的を持った人達全部、平等に乗せて進んでいる。

❨15❩1971.9.16 木 晴 ぶらじる丸15日目:仮装パーティ

❨15❩1971.9.16 木 晴 ぶらじる丸15日目:仮装パーティ

 風が波をなで、海は砂漠の様な滑らかな面を見せてなぎっていた。
素晴らしい景色だと思った。
低い波間を一羽の鳥が隠れるように飛んでいた。

 今日まで武蔵の本を読んできた。面白い。
ちょうど同年の頃の話なので余計興味をさそう。

 夜、仮装ゴーゴー・パーティがあり、四人グループを作り、インディアンの姿で出た。
一組ずつの紹介にはテレくさかったが、今夜の特別賞をもらった。
ウレシカッタネ!
ダンスも

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❨18❩1971.9.19 日 曇 ぶらじる丸18日目:『呑米』誕生

❨18❩1971.9.19 日 曇 ぶらじる丸18日目:『呑米』誕生

16日間の船旅が終わろうとしている。
楽しかった。俺にはあまりにも豪華な生活だったと思う。
友達になったばかりの人達と別れるのも惜しい。

荷物の整理やら何やらで、一日落ちつかない有様。
夜は十人程集まり、ウイスキーとビールを飲む。
ちゃんぽんしたせいか最後にもどしてしまった。…それ程量は多くもなかったのに。
沖縄の子どもたちと、遅くまで話をしたり歌を唄ったりして明方まで過ごす。

同部屋の友人か

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❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

カリフォルニア州 ロング・ビーチに船は着いた。
少しその景色を見ただけで横になった。寝たのは二時間半。

船友達と港で別れ、荷をすべてつけ、正午走り出す。
まだ港に残っていた人達が見送ってくれた。
桑原さん、上田さん等と後で会う約束をした。

今夜の泊まりをリトル・トーキョー(ロサンゼルスの日本人町)という事だけを皆んなと約束して、夢中で走る。

車右側通行、全ての文字が英語という事が、 “外国へ

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❨42❩1971.10.13 水 晴  サン・ルイス~ユマの砂漠(San Luis~Yuma Desert)

❨42❩1971.10.13 水 晴 サン・ルイス~ユマの砂漠(San Luis~Yuma Desert)

サン・ルイスから、ユマの砂漠を走る。
流石、広い。
半日タップリかけても、まだ出なかった。

走っても走っても、広野と空と道が見えるだけ。
秋というだけあって、くそ暑くはないが、長く走っていると体はひからびて、水がたまらなく恋しくなる。

時折俺の前を、白いワニのような小さな動物が走って、すぐ草の中へ 消えて行く。

道脇に花も咲いている。黄色い小さな花だ。
こんな所に、またよく。

町の手前15

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❨43❩1971.10.14 木 晴  ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

❨43❩1971.10.14 木 晴 ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

なんとか無事夜が明け、ホっと一息。
車の音がちょっとうるさかったかナ。

ノンビリかまえて、踏み出した。
昨日16kmと聞いたので、1時間もこいで朝食にありつけると思ったからだ。

ところが、行っても行っても何にもなく、砂漠だけ・・・

よ~~~く考えてみれば、あれは16kmじゃなく、60kmだった。

あゝ、なんたる事。
陽は高くなり、腹は減り、水もない。
昼近くまで朝めし抜きで走り、11:30

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❨102❩1971.12.12 日 晴  親切なホセ(エルサルバドル最終日)

❨102❩1971.12.12 日 晴 親切なホセ(エルサルバドル最終日)

二人目のホセ。なんて親切な男!
俺はこんなにも純粋な男に、今まで会ったことがない。

一緒にいるだけで 心がなごんでくる。
2人の小さな女の子がいた21才。
貧い家庭だが心から親切にしてもらい、旅に来た悦びを感じた。

ナイフとオスカにもらった地図をプレゼント。
5色ナイフとボックスをもらう。
コーヒーとパンの朝食をごちそうになり、El Carmenを出る。

この国は、小山が多い。
小さな山が

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❨119❩1971.12.29 水 晴  パナマシティ・イン

❨119❩1971.12.29 水 晴 パナマシティ・イン

重い。ペダリングがものすごく重い。
疲れも重なって、少しの坂になると、もう踏めない。

この国の道は総てコンクリートで出来ており、継ぎ目のところが少し開いていて、自転車にとっては、頭に来る。
それにあまり広くないし。

今日は最後の山。峠に挑戦。

押して登っている所を、全く予想しなかったが車が止まった。
キャナル・ゾーンまで乗せてもらう。

やあ、長い坂道。
一日タップリかかるところ、10時前に

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❨166❩1972.2.14 月 晴→曇(時々雨)  赤道通過:エクアドル(Ecuador:Ibarra→)

❨166❩1972.2.14 月 晴→曇(時々雨) 赤道通過:エクアドル(Ecuador:Ibarra→)

走り終った今、俺はボンヤリ、ローソクの灯を眺めてこの日記を書いている。

日本へ帰りたい。でも帰れない。
夜は一層孤独になる。
慰めてくれるものは何もない。
ただじっとこらえているしかない。
明日を考えることによって、俺はこの暗い夜を耐える。
80kmの山道を越えて来た今日という日を、噛み締めて黙りこくっている。

今日は、赤道を通過した。
何人の人と言葉を かわしただろう。
そしてどれだけ世話に

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❨168❩1972.2.16 水 曇  リオバンバまで汽車に乗る(Ecuador:Riobamba)

❨168❩1972.2.16 水 曇 リオバンバまで汽車に乗る(Ecuador:Riobamba)

30km程走ってから、汽車に乗る。

駅で休んでいて、駅長(兼雑役)と仲良くなった。
親切な駅長で、食物を買って来てくれたあげく、昼からリオ・バンバまで150km(17スックレス)、ただで汽車に乗せてもらう事になった。

貨物とあって、乗客はなし。
俺と機関師がいるだけ。

曲りくねった線路は、かなり高い山まで登った。
久しぶりに雪を見た。寒い。

約9時間、走って着いた。
今夜は、駅の事務所に

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❨200❩1972.3.19 日 晴  リオ・グランデの灯(Peru:Río Grande)

❨200❩1972.3.19 日 晴 リオ・グランデの灯(Peru:Río Grande)

23km走って、ダウン。
美れいな公園があり、しばらく横になり、足をマッサージする。
ちょっと、疲れが出てきたぜ。

この後10km走り、パンパの手前の村で昼寝。
三時半頃、雲が出てきて、日が陰り始めた。走った。

地平線に沈む真っ赤な夕陽。日本では見られまい。
砂漠を染めて、見る見る中に沈んで行く。
地平線に沈むまっ赤な夕日は、広漠たる砂漠を彩る唯一のデザイナーのように思えた。

夕暮時、見なれ

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❨223❩1972.4.11 火 晴  将来の事を考える/ポポ湖(Bolivia:Lago Poopó)

❨223❩1972.4.11 火 晴 将来の事を考える/ポポ湖(Bolivia:Lago Poopó)

まっ青な空。雲は、一っかけらもない。
気持ちの良い天気。

朝飯を取らしてもらい、九時、町を出る。
皆んな親切な連中だったぜ。

さて、この後が大変。すごい砂利のデコボコ道。
3時迄休まず、6時間歩いて走って、一つの町に着いた。
なのにやっと45kmーーーアベマリヤ!
イヤンなる所だぜ。

地図にあるポポ湖は、殆どかれて、水がないようだった。広い所だ。

夕方寄った店で、チャル・パータまでの道程を

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❨224❩1972.4.12 水 晴  夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )

❨224❩1972.4.12 水 晴 夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )

昼、ウワリの町で一本ビールを飲んだ。
その後の苦しい事。
一時間程、河原でひっくりかえって動けず。

さびれた町があちこちに見られた。

砂にタイヤが埋まって走れない所が何箇所もあった。
薄暗くなり、腹が減って、こんな道を走る時程辛い事はない。

夜、やっとの思いで町に着く。
ここから5時間、夜汽車に乗る(13.5ペソ)。
ウイウニの駅が終点。

窓から見る空の星が、美れいだった。
夜汽車っての

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❨226❩1972.4.14 金 晴  塩の砂漠/チリ:オヤグエ (Chile:Ollague)

❨226❩1972.4.14 金 晴 塩の砂漠/チリ:オヤグエ (Chile:Ollague)

寒い。水たまりには氷が張っている。
日中はものすごく日ざしが強い。

駅で知り合った、俺より一つ若い、奥さん持ちのロベルトの家に一日やっかいになる。

昼、11kmの所にあるイオウ採拓鉱まで自転車で行く。ひどい砂の道。

このOllagueは駅の町で、砂漠 (塩)と、いくつかの高い山に囲まれてなっている。
山の頂上には雪があり、そこから吹き下りて来る風が肌にしみる。

ここからアンタファガスタまで

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