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日本修行編 第1話

やっぱり食べ歩き...


2015年8月に帰国した僕は、職場探しも含めて趣味でもある食べ歩きから始めることにした。

先に言っておくと、どうしてこんなにお金があるんだ?っと疑問に思う人もいるだろう。
タニマチがいるだろうとか、ボンボンだとか色々勝手に思われるだろうけれど、確かに一回の食事の金額は、普通に考えれば数日、もしくは数週間、1ヶ月分の食事代だったりするかもしれない。
だけれども、音楽家がコンサートへ足を運んだり、楽器や楽譜を購入したり、モデルが洋服を買ったりするのと同じで、僕にとっては自然のことで、料理人で有る限り、料理のことに関してだけは誰よりも詳しく、好きでなければいけないと思う。
僕自身、週6日勤務で月々¥3万という給与で働いてきたこともある。
アリネアでは、時給制で極度の残業手当がついていたため月¥40万円ほどはいただいていた。それが多いと思うか少ないと思うかは、個々の基準による。
実際、若い料理人 (当時の僕くらい) で食べ歩くお金がないとかいうのは、タダの言い訳でしかない。
18歳か20歳から初めて、月の給料が¥12、13万程度でも充分に月に1、2件もしくは2、3ヶ月に1件以上は食べ歩く位の余裕はできる。
レッドブル以外に基本使ってこなかった18歳からの給与がこうやって、たまに開放されているわけだ。
どでかい豚の貯金箱の放牧の時間だ。

色々下調べして、いくつかお店を絞り込み、運良く予約が取れたお店を食べまくる。
当時も予約が難しいお店はあったが、現在ほどアホみたいに何年先なんて状況ではなかった。

和食で小さい頃からどうしても食べてみたい料理があった。
それは今では自分の大好きな料理の一品でもあるグジの若狭焼き

料理の鉄人王様のレストラン天皇の料理番美味しんぼとそれぞれが影響があった番組やアニメ、漫画ってたくさんあっただろう。
僕はSMAPの中居くんが主演の味いちもんめに心奪われていた。
今でも、つらくなったら大黒摩季さんのら・ら・らを聞く習慣は変わらず、ら・ら・らを聞くと主人公の伊橋(中居くん)が毎回言う「今に見てろよ!」という気持ちが湧き上がり不屈の精神がみなぎる。
味いちもんめの話の中で、伊橋がグジの若狭焼きを作る話がある。
ちなみに、グジっていうのは関西の方の呼び方で甘鯛のことだ。
お酒を吹きかけながら炭火の上で、何度も何度も丁寧に焼き上げたグジの食欲そそる光沢とお客さんが頬張る光景に僕の眼と胃袋はブラウン管越しに奪われた。

そのグジの若狭焼きをスペシャリテとする料亭が京都にあると調べあげ、その一品を堪能するため京都から食べ歩きを始めることにした。

せっかくだから京野菜を使った洋食も気になり、ラ・ファミーユ・モリナガというフレンチを皮切りに、去年3星へと昇格した祇園さゝ木へ。

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祇園さゝ木では、名物のピザ釜があるカウンターの予約が取れず気分が沈んでいたら、大将の佐々木さんが電話に出てくれ、裏口から入りキッチンの中にあるシェフズテーブルのような席で食事ができることとなった。

粋な計らいのおかげで、キッチンの全ての動きを楽しませていただきながら、最後は東京での仕事を終え、急いで帰ってこられた佐々木料理長の蟹チャーハンで〆くくった。

翌日は、待ちに待った憧れの一品を堪能しに、一子相伝京の味なかむらへと足をはこんだ。 ここもミシュランでは発売当初から3星を獲得し続けている。

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目当てのグジの若狭焼きの前に、料理概念を変えるような一品をすすった。
もう1つのスペシャリテである白味噌の雑煮だ。

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出汁を使わず、店の庭にある井戸水と一子相伝で伝えられるという調合された白味噌と焼いた丸餅だけで仕立てられる逸品...
こんなに清らかでいて、丸く淡く、深みのある味は初めてだった。
おいしさを1口目から感じるのだが、2口目、3口目と進むごとに美味しさが増してくるのに嫌味がまったくない。

という言葉の意味と精神を料理に感じた夜だった。

メインディッシュの若狭焼きも堪能し、和食の淀みないおいしさに心は奪われ続けることとなった。

大阪へ移動し、常に話題の中心にあり続け、0.01mm・0.01gの妥協も許さない針の如く洗練されたレストランHAJIMEへと向かった。
予約時に、偶数での予約ということで、同伴者を探すのにかなり苦労したことを今も覚えている。
海外での生活が長く、今でもそうだけど同業者とも基本つるまない僕は、今よりも友達と呼べる人が少なかったため、食べ歩きのほとんどが一人だったからだ。

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当時のHAJIMEは料理の撮影が禁止されていたため、残念ながら料理の写真はないが、HAJIME2015などで調べると色々な記事が出てきて見ることができるぞ。

関係ないんだけども、ぶっちゃけ僕は、大阪という街は苦手な街の1つだ。
大阪に限ったことでもないんだが、渋谷や原宿、地元の福岡だと大名あたりかな。 人が多いのとプレッシャー (人当たり) が強いところが苦手だ...
余程、テンション高い時じゃないと、秒で疲れ果て、吐きそうになってしまう...
なかなか改善できない。

関西を味わい尽くし満喫し (本能寺で信長の日本刀を見た以外に観光名所的なのは1つも行っていない)、東京へと食べ歩きの歩みを止めない。

東京では、当時一人暮らししていた兄ちゃんの部屋に居候しながら昼夜食べ歩きを続けた。
最初の頃は電気を決してつけずドアノブを下げてからゆっくりとドアを開け静かにソファーベッドに眠りについていたけれども、やっぱり毎晩遅くに帰るのは気が引け、3日に3日はたまたま路地を彷徨っている時に見つけた神楽坂の裏にある居酒屋に始発まで常連のお客さんたちと共に入り浸っていた。
当時の僕は、もちろん財布の中は食べ歩き用のお金しかなく、焼酎やウィスキーのロックを頼み、お酒がなくなり、溶けた氷の水をチビチビと飲みながら長居するイヤな客だったにも関わらず、お店のお姉さんやお客さんのおっちゃん、おばちゃんたちはイヤな顔1つもせず、時にはご馳走してくれたりと仲良くさせていただいていた。

そんな華々しい? 東京生活を送りながら、ミシュラン2星の六本木のエディション・コウジ・シモムラRED U-35で第一回優勝を飾った杉本シェフのラ・フィネスラ・ベットラ・ダ・オチアイ、移転後2日目のフロリレージュレフェルヴェソンス石かわ、うなぎのかぶと、そして軽井沢のユカワタンで締めくくった。

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フロリレージュで食事をしていた時、僕の隣の席で召し上がられていたワインと美食好きの方達と仲良くなり、その方々とは今でも仲良くさせていただいています。

それらをJapan Gastronomy 2015と名付けて全ての食べ歩いたレストランの写真やメニュー、領収書をファイルにまとめてある。
Japan Gastronomyの他に、American Gastronomy... French... Europe...と今では4、500件以上にも及ぶガストロノミーレストランのファイルがまとまってある。

その中でも、当時ボキューズ・ドールで3位に日本人で初めて輝いた時の浜田さんが在籍していた時のユカワタンは最高の経験の1つだった。
信州という制限を自らに課した上で、創作された料理の数々には驚き、絵画のようなドレッセ (盛り付け) のセンスに心をうたれた。

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それからプータローの時期が少し続く中で、鈍っていく腕と身体に不安と焦りの中、イベントと研修、ヘルプに就職まで身をおき、その中で僕は洗礼を受け、トラウマを刻むこととなる...

To be continued...

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