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日本の森、モリのニッポン紀行

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「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no… もっと読む
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2023年3月の記事一覧

水主神社十座@山城國久世郡。

木津川東岸、城陽JCT南の畑地にお椀を伏せたような巨大な森。「並大。月次新嘗。就中同水主坐天照御魂神。水主坐山背大國魂命神二座。預相嘗祭。」と社名下にここまで長い文言は「神名帳」でも珍しい。水主直の御祖の偉大さを誇示? 綴喜郡筆頭、樺井月神社も越郡鎮座。
写真は京都府城陽市。

石田神社@山城國久世郡。

神社の昔の住所、「字大将軍」に方位神ではない「ダイジョウゴ(大将軍)」を思い出した。以前訪ねた若狭では樹下に祖先をまつる小祠を置くタブノキをダイジョウゴと呼んでいた。祖先の霊をまつる=ダイジョウゴ=大将軍、神社の起源としてありなのではと想像たくましくする。
写真は京都府八幡市。

地祇神社@山城國綴喜郡。

風はなく陽も当たらない境内は少しひんやりした。観音寺境内の奥、森の入口に立つ鳥居。寺院と比較してその規模は小さく、簡素な造りの本殿は覆い屋のなかに鎮座する。「天神地祇」という二社が並存する綴喜郡だが、天神社に対する社名は「チギ」でなく「クニツカミ」と読む。
写真は京都府京田辺市。

天神社@山城國綴喜郡。

天つ神と国つ神を合わせて「天神地祇」というが、同じ郡内に両名を冠した神社があるとは不思議だ。小高い丘へ至る急坂を上がると桧皮葺で朱色の本殿後方に出た。近くに寄れば彩色とともに獅子や武人が描かれ神々しい。ちなみに正面からは鬱蒼とした木々が覆う石段をへて境内へ。
写真は京都府京田辺市。

甘南備神社@山城國綴喜郡。

一休寺を過ぎたころ、要所に甘南備山へと誘う矢印。山への入口にある駐車場は満車、自転車はバイクラックへ。舗装路歩き二十分ほどで視界の先に鳥居が見えた。狭い境内に合わせ小さめの社殿。「平安京造営の際に京の中軸線の目印になったとみられる」と案内板に。興味深い。
写真は京都府京田辺市。

酒屋神社@山城國綴喜郡。

由緒を見ると、ひと月前に訪ねた河内国丹比郡鎮座の酒屋神社とどうやら関係があるらしい。河内の中臣酒屋連の一族が来住して酒造りを伝え、その祖神である津速魂神をまつったという。一方、神功皇后が神社後方の山上に酒壺を安置したという伝説も。どちらも酒が絡んだ内容だ。
写真は京都府京田辺市。

佐牙乃神社@山城國綴喜郡。

二棟が並び建つ朱色の本殿は北殿に佐牙弥豆男神、南殿に同女神をまつる。説明板には造酒司の奉幣があり、酒造りの発祥に関係する由が記されている。ということは「佐牙」=「酒」なのか。祭神二神は酒造の神? なお旧社地といわれる「大神宮跡」は畑地に木が数本立つのみ。
写真は京都府京田辺市。

棚倉孫神社@山城國綴喜郡。

参道の坂を上がりきると道路上を流れる天井川をまたいで、今度は境内まで下り坂。由緒を読むと、例祭時に「ずいきみこし」なるものが出るという。実際に拝殿左側の建物には実物の御輿が展示されていた。ずいき始め穀類がびっしりと表面を飾る。御輿も川も珍しいものを見た。
写真は京都府京田辺市。

粟神社@山城國綴喜郡。

梅林で有名な土地柄、青谷川沿いにもたくさんの梅の木を目にした。調べると梅は城陽市の木、やっぱり。川と国道の合流地点に森があり、木々に隠れて鳥居が立つ。拝殿奥の覆屋内には延享元年建立で目を凝らすとうっすら朱色の本殿。境内にベンチ置かれた小広場、いいなと思った。
写真は京都府城陽市。

内神社二座@山城國綴喜郡。

「ん?」畑地のなかのこんもりした森に入ると違和感。なぜ拝殿左側に社殿? 謎はすぐに解決。本殿を新しくした後も江戸中期の建築物として価値が認められ保存してあるようだ。「往古は内里の巽の方七百米距てた地に在り」と由緒の言葉通り、現社地東南方向に小字「古宮」
写真は京都府八幡市。

高神社@山城國綴喜郡。

入口見張る狛犬前の数本の杖にきつい上り坂を覚悟。上り始めると火袋に「多賀神社」とある常夜灯。社名「高」=「多賀」と教わる。桃山時代建立の本殿正面に立ち参拝。舞殿の大絵馬には「明良日々」の文字。明るくて良い日を過ごせますように。五十路迎えるおじさんもそう願う。
写真は京都府井出町。

咋岡神社@山城國綴喜郡。

社名「咋岡」と地名「飯岡」。共通の文字通り斜面を上がる。竹やぶと森の木々により日光が遮られた入口付近には社叢の主で「京都の自然二〇〇選」に選ばれたスダジイが鎮座坐します。神社は江戸期に移設されたそうだが、高台から木津川望む絶好の場所だけに古墳も多い「岡」。
写真は京都府京田辺市。

月讀神社@山城國綴喜郡。

JR大住駅で輪行してきた自転車を組み立て、起伏のある道を走っていくと目前に神社の森。説明によれば大和王権に服属させられた隼人族が居住した場所。つまり「大住」=「大隅」ということか。土地に伝わる「隼人舞」は途絶えたものの、鹿児島の隼人舞をもとに復活したという。
写真は京都府京田辺市。

朱智神社@山城國綴喜郡。

ペダルを漕ぐと後ろにひっくり返るような勾配のきつい坂道。その先に神社があるのが不思議だ。拝殿前まで続く石段や慶長年間建立の本殿の資材をどのように運んだのかとても気になる。祭神は迦爾米雷命だが、社宝には牛頭天王立像。どうりで「天王〜」とつく地名が多いわけだ。
写真は京都府京田辺市。