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覚えていない記憶に触れる
伯母と話して、私に対して親族全員が激甘な理由に気付いたかもしれないと気付いたので備忘録。
感情ぐちゃぐちゃなので乱文かもしれない。
伯母から聞いた話
・母が私に対して理不尽な扱いをしているのは今に始まったことではない。
・幼少期からずっと母は私をネグレクトしてご飯を与えることもなかった。
・それ故に伯母が何かしら買って食べさせると逆ギレしてくる人だった。
・咎めればどんどん扱いが酷くなっていく
24歳の誕生日を迎えて
良い節目なのでまとめようと思う。
これまでの自分はただのパフォーマンスや言い聞かせる為の言葉を使用していた。
決して全てが嘘というわけではないが、全てが本心だとも断言できないような上澄みを耳触り良く言葉にする癖があった。
それこそ、Twitterやnoteでは全てをさらけ出しているつもりだが、もしかしたら隠し通したい本音もあったかもしれないと私は思う。
母の誕生日に「ママの子供で良かった」「産
母は、"少女"であった
少しだけ思い出したことを忘れないように書き記す。
私の母は"母"としての面はあまりない。それよりもずっと"女"であった。
或いは、未だ幼い部分が残る"少女"かもしれない。
40代半ばの女性に対して少女と記すのは少々おかしいかもしれないが、私から見たら母は"女"であり"少女"である。
私がなりたいと思う理想の母親像が所謂「母性神話」と呼ばれているようなものである部分に強く影響を与えたように感