24歳の誕生日を迎えて

良い節目なのでまとめようと思う。

これまでの自分はただのパフォーマンスや言い聞かせる為の言葉を使用していた。


決して全てが嘘というわけではないが、全てが本心だとも断言できないような上澄みを耳触り良く言葉にする癖があった。
それこそ、Twitterやnoteでは全てをさらけ出しているつもりだが、もしかしたら隠し通したい本音もあったかもしれないと私は思う。

母の誕生日に「ママの子供で良かった」「産んでくれてありがとう」と伝えたのも
「生きてて良かった」などと思ってもいない言葉を口にしたのも

全ては自分の存在を肯定したかった。されたかったから出た言葉であった。

愛されていると信じたかった。大切にされていると思い込みたかった。生まれて来なければ良かったとは思いたくない。この24年間はそんな気持ちばかりだったように思う。

様々な人と出会い、様々な価値観に触れ、現実逃避で物思いに耽ける自身と向き合う勇気も持てたが故の変化を書き記したい。

家族への感情の変化

1番顕著に出ているのはここな気がする。
以前のnoteでは恨み辛みを吐き出した。

↑これです。

今思うとこれは完璧に本心のままに書き連ねてる。
「関心が欲しかった」と。
私は親に愛され大切に思われてる自覚が欲しかった。
産まれた理由がただの親のエゴであるとしても、それをこちらに見せないでほしかった。
私の意見や感情に向き合い、尊重してほしかった。

親の都合を押し付けられるのは産まれたことだけで充分だった。生きる意味は自分で見出すから。
生き方すらも縛られていたように感じる。常に親の指示を仰ぎ、機嫌を損ねないように言葉に気を使い、やりたいことをどうにか伝えるようにしていた。

けど、今は少しだけだけど、親の機嫌を気にしないようになった。
恋人との結婚を視野に入れていることで、父親代わりとして私を育ててくれた伯父にも会ってもらわなければいけないのだが、そこでも親の指示が入った。
「せめて髪色を暗めにしてもらえ」「茶髪がギリギリの範囲だろう」と。
まぁ今彼は結構派手な髪色をしている。暗くするのは大人として当然だろう。結婚という儀式には家同士の繋がりという概念も入るのだからそれなりにお互いの親族への気遣いや見た目の細やかな部分はどうにかしなければいけない。
だが、私はどうしてもその後に続いた言葉が許せなかった。
「伯父に気に入られるようにしろ」と。

彼だって立派な社会人だ。まして結婚の報告であれば最低限取り繕うことくらいはすると思う。そこまでわざわざ指示を受けないと出来ない人間だと思われているのか。
そして私が、どれだけ苦言を呈しても結局親の指示に従うことが絶対だと。絶縁を視野に入れていないと思われているのか。
まるで恋人が社会人としての態度がなっていない、私がその程度のことも分からない子供だと馬鹿にされているようで異常に腹が立った。

「一応、髪色に関しては伝えておく。それでもこれは私の人生だから。これから先伯父だろうがママだろうが、私の道を指定するような言葉は絶対に聞かない。人生の先輩としてのアドバイスは受け取るけど、それを加味して考えることはあってもただ指示に従うだけの生き方なんて御免だわ。」
と口にした。ずっと言いたかったことを口にできた。絶対的な愛情を注いでくれる恋人がいる少し歪んだ自信で、親や親族に見捨てられようと問題ないと思えるほどに変化した。
まぁいずれは私が捨てるつもりになれたのも大きい。

幾つになっても自分の意思と周りの影響で人は成長できる、変われることを学んだ。

自分の向き合い方の変化

これが一番大きい気がする。
人と話している時に感情を言語化するのは未だに苦手だ。
誰かの言動によって浮かんだ感情の軸がどれかもわからないのに、思ったこと、感じたこと、それらを「上手く」伝えようとしてしまう。

この間恋人と衝突した際、怒りや悲しみ、嫉妬、そういった感情の根幹にあったのは「自分が彼の要望に応えられない負い目」だったことが自覚できた。

私は精神的な問題が大きくて働けていないから彼氏にいつも金銭的な負担をさせてしまっている。そんな状態で「どこそこへ行きたい」「これやりたい」そういった気持ちを口にするのは分不相応だと思っていた。
働けるようになったらその負い目も減るだろう。少しは言えるようになるだろう。じゃあ彼氏には見えないように私の奥底に置いておいて、仕事を探すモチベーションにしよう。
それが仇となり彼氏の行動に怒りが湧いて言い争いになってしまった。
伝えておけばよかった。「彼氏とここ行きたいって思ってるから仕事探し頑張る」とか、喧嘩腰にならない、もっと可愛くてマイルドな言い方があったはずだ。
それを隠していれば相手に伝わるはずがないんだよ。私馬鹿だね。

でも今回お互いが思ってることを殴り合いの如く言い合って、何となくだけどわかった。
私は彼氏に負担をかけたくなかった。彼氏も、メンタル的に問題のある私を焦らせるような負担をかけたくなかった。だからすれ違ってズレていってしまっただけで、根幹にはどっちも大切だから負担をかけないように本心を隠してただけだった。
アホだなぁ。って笑ってしまった。

感情的になることが怖くなくなった。だって言い合いになっても、お互いにちゃんと大切に想い合ってるのは変わらなかったから。
彼にもそれなりの問題があることに気付いたが、それは彼が自分で向き合うことで、私が無理やり修正しようとするようなことじゃない。

他人の問題を自分事にしてしまう私が、今はきちんと分けて考えていられる。
隠そうと、諦めようと、お互いにそう思って言わずにすれ違ってしまったのが悪かったと自覚して「私はここ行きたいとか、これペアで買いたいとか、もっと話したい」って伝えられたから、仕事を探すモチベーションがもっと増えた。それだけでも確かに私は前に進んでいると思えた出来事だった。

色んな人に話を聞いてもらったり、色んな人に支えられて生きてるのを自覚はしてた。「みんな支え合って生きてるんだよ」と他人を励ましながら、自分が支えられることに負い目に感じていた。ダブルスタンダードってやつだ。

変な話だが、今は本心から「生きていて良かった」そう笑える。

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