見出し画像

どうやら大きな荷物を持って生まれてきたらしい


私が経験した苦悩の全体図は、広汎性発達障害注意欠陥多動性障害から来る日常的なストレスにより、双極性障害を発症した、ということなんだろうと思います。

逆に双極性障害にならなければ、発達障害に気づくことなく、生きづらさにただただ疑問を持ちながら生活していたことになるでしょう。今となっては考えられません。

27年間の人生旅行へ出かける前に、まずはこの3つに注目した「私の特徴、症状」をお話します。
分かりやすいよう3つに分けて、それぞれにフォーカスした内容で進んでいきますが、これらは境界線をはっきりと区分出来るものではなく、それぞれが影響しあっている状態にあります。

結局は「私」という人間を構成している要素に過ぎないので、線で区切ることは難しいのだと感じています。

ーーーーー

1. 双極性障害


双極性障害と聞いて、どのような疾患を想像しますか。

「双極」と名がついているように、簡単に言えば気分の波が二つの方向へ揺れ動いてしまう気分障害です。

気分の波は誰にでもあるでしょう。それのどこが病なのかと疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

他の疾患や発達障害なんかもそうですが、誰にでも起こりうる不都合の度合いが大きいのです。その度合いが大きすぎて、自分の力では対処しきれない。
だから、薬や専門家の力を借りる。それが障害です。

双極性障害には、うつの(落ち込む)時期と躁の(上機嫌な)時期があります。

うつの時期は、生きる希望も欲望もなくなり何も手につかず、鬱屈とした時を過ごしてしまいます。死んでしまいたいと願う日も少なくありません。

躁の時期は、欲望や活力に溢れ、生き生きとした時を過ごします。
一見問題なさそうですが、過度な気分の上昇が起こっているため、衝動買いやギャンブルによる破産、考え無しに何でも誰にでも言葉や約束を口にしてしまう故に、人間関係の崩壊を招く等の問題が起こることもあります。
お酒を飲んでご機嫌になっている状態に似ているかもしれません。

そのような二つの激しく両極端な気分が代わる代わる現れる、それが双極性障害という精神疾患です。

良いこともあります。
これは完全に私個人の話ですが、躁の時期は活動的でアイディアに溢れるので、才能を発揮できるのはこの時期のおかげだと思っています。
なので、薬によってこの波を抑えることも出来るのですが、そういった類の投薬治療は現在していません。

爆発的なアイディアが生まれなくなることが不安だからです。怖がりなんでしょうね。

ーーーーー

2. 広汎性発達障害


広汎性発達障害とは、自閉症やアスペルガー症候群などを含む発達障害の総称です。
(総称、とはまた違いますが、ここではそういう表記の仕方にしておきます)

アスペルガーということばは、耳にすることが多いのではないでしょうか。
よく、会話の展開を掴めていない人物や、理解に苦しむことばを口にした人物に対して「お前アスペかよ!」などと、罵る意味合いで使われている印象があります。

「脳の器質的異常や機能的異常が全く見つからない症例もあり,高機能自閉症やアスペルガー症候群は,高度な対人能力が必要とされる現代社会によってつくり出された障害であると捉えることも可能である。」(本郷ほか,2016)

けれど、確かにそうなんですよね。
アスペルガー症候群は、簡単に言えば「相手の話が理解できない」障害です。
私もあまり理解出来ていないと思います。

理解出来ていない、というよりは、感覚として相手の考えていることや話の内容を得られない、と言った方が良いかもしれません。ことばの先を想像することが難しいのです。

例えば、「ちょっと席を外すから鍋の火を見といてくれないか」と言ったのに、火を見続けるだけで吹きこぼれても火加減を調節してくれていなかった、という話はテレビなんかで見たことがあるのではないでしょうか。

私は障害が軽度で落ち着いているのか、経験からその先を予測することを学習し、「このことばの理由は何か」ということを考えながら行動しているつもりです。
けれど、結局は「つもり」でしかないので、もしかするとちぐはぐな事をしてしまっているかもしれないし、ことばの先に気づいてすらいないこともあるかもしれません。

社会的慣習や、暗黙のルールなんかも理解が困難です。
つまるところ、1から10(ここでの1は「これくらい分かるだろう」という想定のもとにある1ではなく、全く何も知らない人物に専門技術を教えるときの1くらい)を説明されてようやく理解するのです。
文脈に沿った会話ですら理解することに時間がかかります。今までの文脈をぶった切る「冗談」なんて、もっと理解が難しいです。

曖昧な尺度が掴めない、なんかもアスペルガー症候群を患っている方の共通した悩みの種なのではないでしょうか。
「何枚か適当にコピー用紙持ってきて」の「適当」、「ちょっと遅れるから待ってて」の「ちょっと」の程度が掴めないのです。
「適当」が5枚なのか10枚なのか、もっと少ないのかもっと多いのか。「ちょっと」がほんの2、3分なのか10分くらいなのかわかりません。

それと同時に、私はことばの知覚が苦手です。
ことばを耳で聴きとることも、思っていることを言語化することも得意ではありません。
(これは私が苦手と感じているというのもありますが、病院で検査結果が出ています)

J-popのような、歌の入った曲の歌詞は耳に入ってきません。集中していないと、目の前で話している相手のことばですら「ただの音声」として聴こえます。
リズムや音程としての認識のみとなり、何を話しているのかわからないのです。

けれど、私は会話をします。
恐らく、会話相手からは、私がアスペルガー症候群だなんて思われていないとすら自負しています。
それは何故かというと、会話中にすごく考えているからです。
(…とは言うものの、私は相手に成り得ないので、確固たる自信があるわけではありません。たまには強気でいきたい、そんな欲望の現れです)

今まで経験し、学習してきた人間の表情やことば、アクセントやテンションなどから、相手の言わんとすることを考えに考えて判断し、自分が何とことばを返すのが適切なのかをこれまた考えて判断しています。
けれど共感はしていません。理解していないからです。
数式の問題を渡されて答えを出すことと似ているかもしれません。

これを聞くと、冷たい人間のように感じると思います。私もそう思います。
相手に返す優しいことばの数々は、思ってもいないことだったりします。
けれど、そうするほかないのです。そうしないとコミュニケーションが取れないからです。

理解する機能が欠落している、そういう脳の作りをしているからです。
それを自覚しているからこそ、コミュニケーションに多大なる注意を払っています。多大なる注意と、膨大な集中力を使うので、コミュニケーションを必要とした翌日から数日は寝込んでしまいます。
そのくらいエネルギーが必要な行為なのです。

他にも、音に過敏といった症状があります。
とにかく大きい音が苦手です。
けれども、ここでは音楽の中で登場するものを除かせてください。爆音奏者も大歓迎です。

犬の鳴き声やビニール袋がこすれる音、大衆居酒屋、そういった大きい音や、音の情報量が多い場所を苦手とします。そういった場にいると、気分が落ち着かないパニックになる等の症状が現れてしまうのです。

ーーーーー

3. 注意欠陥多動性障害


注意欠陥多動性障害、長いですね。いわゆるADHDのことです。

「ADHDは「長時間椅子に座らせておく」という近代の学校が生みだしたつくられた症状なのであり,数百万年の人類史を考えるならば,多動という探索傾向はむしろ適応的ではないかとの指摘もある(Bjorklund & Pellegrini,2002)。」(本郷ほか,2016)

片付けが苦手です。
片付けよりも、部屋を散らかしがちな方が問題かもしれません。
それは「使ったものを元の状態、場所に戻すことが難しい」という特徴から来ているのでしょう。朝、洗顔後に使った化粧水の蓋が開いたまま、といった具合です。

とにかく散らかります。片付けても1日あれば足の踏み場が限られてきます。
一点を注視する力が強い代わりに、全体を見通す力が弱いのではなかろうかと感じています。

こだわりが強いです。
自分の納得いかないものはどうしても呑み込めません。これが協調性のなさにも繋がっているような気がします。
興味の向いたものや好きなことは、とことん突き詰めたい。それを何者にも邪魔されたくない。

例えば、グループワークなんかで一つの作品を複数人でつくるとしましょう。
この時点で、私はみんなが自分と同じ志を持っていると思っています。けれど、どこまで丁寧につくりたいか、どこまで時間と労力をかけたいかは人それぞれですよね。
作業を進めるうちに、その「こだわりの差」を目の当たりにして、私はチームメイトに強く自分の水準を要求したり、諦めてやる気を失ったりします。傍迷惑な野郎です。

そして、これはADHDの一番の特徴だと考えているのですが、私にも後回し癖があります。一番苦労している点がこれかもしれません。

頭の中が常にごちゃごちゃとした、まさに散らかった部屋のような状態なのです。考えていることは次から次へと移り変わり、仕事の締切友人との約束はどんどん奥へと埋もれていきます。

やろうと思っていることもどんどん埋もれていきます。埋もれる、という状況に陥った結果、明確に覚えているわけではないけれど「何かしなければならないことがある」ことはぼんやりと頭にあるので、常に精神的ストレスを抱えた状態が生まれます。
精神的負荷のかかった状態ではあるけれど、後回しにしてしまう。そんな悪循環が起こりがちです。

「発達障害の概念や用語をめぐる状況はかなり流動的であり,その変化も著しいため,発達支援に携わるためには,新しい情報を多くの方面から得るように努めることが必要である。」(本郷ほか,2016)

ーーーーー

キャリーバッグに荷物を詰めましょう

さて、まだまだ私の困りごとはたくさんありますが、このままでは旅行にいつまで経っても出発出来そうにありませんから、障害たちの説明はこのくらいにしておきましょう。

障害者手帳や、自立支援医療などの話もしておきたいところですが、それはまた旅行から帰ってきて、私の気が向いたらお話します。

いよいよ次の記事からは、私の人生旅行のはじまりです。
舞台は福岡、時は1993年。私の出生まで遡ります。

それでは、いってらっしゃい。


―――――
参考文献
本郷一夫/金谷京子『シリーズ 臨床発達心理学・理論と実践① 臨床発達心理学の基礎[第2版]』(2016,株式会社ミネルヴァ書房)

やむなく孫引きしてしまった元の文献
Bjorklund. D. F., & Pellegrini. A. D. 『進化発達心理学:ヒトの本性の起源』(無藤隆 監訳,松井愛奈・松井由佳 訳)(2008,新曜社)

ーーーーー

『9年かけて大卒を手に入れた人間の話』
目次
どうやら学士取得に9年もかった人間がいるらしい
どうやら大きな荷物を持って生まれてきたらしい
その人間の人生旅行へ続く搭乗口
 1. 就学前の私
 2. 小学生の私
 3. 中学生の私
 4. 高校生の私
 5. 大学生の私 前編
 6. 大学生の私 後編

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?