望月冴空

9年かけて大卒を手に入れた人間。福岡県出身。教育大学入学後、双極性障害を発症し退学。通…

望月冴空

9年かけて大卒を手に入れた人間。福岡県出身。教育大学入学後、双極性障害を発症し退学。通信制大学へ編入し、2021年心理学科卒業。音楽、ヘアメイク、ポートレート、アクセサリー制作など活動の幅を広げている。精神障害者手帳のある新しい生活に驚く日々。

マガジン

  • どうやら学士取得に9年もかかった人間がいるらしい

    このマガジンは望月冴空の人生を巡るエッセイ集。 私が精神疾患を患い、悩み、苦しんだ経験を記録しておくために制作しました。 ごまんといる人間の中のちっぽけな一人、望月冴空の人生を覗く旅行へ、あなたを招待します。

最近の記事

自分の疲労ポイントを知るということ

時間という、小さな出来事の欠片たちが耐えず流れていくことで、毎日が過ぎ去ってゆく。 小さな出来事の欠片たちには、それはそれはたくさんの種類があるでしょう。 PC作業をする場面や、他人と会話する場面。 通勤電車に揺られる閉鎖空間、調子を合わせて相槌を打つ唇。 家族のために一週間の献立を考えながらゆっくりと進むカートの車輪。耐えず変わりゆく天候や気圧。 生活する中で、たくさんの事象が自分の身に起こって、消えて、溶けて。 その1つを取り上げてみたとき、自分にとっては苦にならな

    • 6. 大学生の私 後編

      他人の手を借りたわたし中学生の吹奏楽部部長時代から、人とコミュニケーションをとるには笑顔で、相手の表情や言動の意図を細かく探り、こちらがどう出るべきかを考え続けなければならないということを学び実践してきた私は、他者とのコミュニケーションで著しく疲弊するようになっていた。 サークルの飲み会は集中を絶やせない。コミュニケーションの前に、目の前で話す相手のことばを見失いがちなのである。 学生御用達の大衆居酒屋での飲み会、他のグループ客もいる騒々しい環境、大きなテーブル席についた仲

      • 5. 大学生の私 前編

        精神科を受診する前のわたし2012年、晴れて私は大学生になった。 志望校ではなかったものの、高校受験に失敗した私が国立大学に合格出来たことは何より誇らしかった。 大学へ来たからには意欲的に勉学へ取り組もうとした。せっかく教育大に来たのだから、元々好きだった日本史の高校教師を目指したいと思った。 意欲的に取り組もうとは考えていたものの、入学式の翌日にあった健康診断は早速欠席してしまった。意欲のある日と無い日の差が薄っすらと顔を覗かせていた。 1年生の前期は、自然あふれる土地

        • 4. 高校生の私

          1年生のわたし2009年、高校受験に失敗した私は、家から近いという理由だけで滑り止め受験していた私立高校に通うこととなった。 国立公立大学進学を目指すと謳った特進クラス。進学校とは名ばかりの、退屈な授業だった。 制服はブレザーに3色のシャツとリボン。リボンの色を選べたことがスカートの苦痛を和らげた。 多くの女子生徒が赤いリボンを選ぶ中、私は男子生徒のネクタイと同じ緑のリボンで登校した。擬似的にでも、少しだけ男という生物に近づけた気がして嬉しかった。 授業中に暇を持て余した

        自分の疲労ポイントを知るということ

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        • どうやら学士取得に9年もかかった人間がいるらしい
          8本

        記事

          3. 中学生の私

          1年生のわたし中学生になった私は、ひとつだけ頭の中で引っかかっていることがあった。制服である。 私服登校の公立小学校で6年間のほとんどをズボンで過ごしてきた私は、毎日スカートであることが想像出来なかった。けれど強い不快感があるわけでもなく、ただ何となく、それでも確実にある違和感をそっと胸の隅に追いやった。 駄目と言われていること、決まり事を破る行為が許せない、少しばかり偏屈な正義感を持つ私は、3年間代議委員を務めた。1年生の頃の成績は、7クラスある学年の中で常に10番前後

          3. 中学生の私

          2. 小学生の私

          低学年のわたし転勤族生活の中で、2年以上同じ都市に住んでいたのはこの時だけであった。 胸の高鳴りを抑えながら、艶々とした真っ赤なランドセルをからって、私は小学校の門をくぐった。最初の小学校には2年生まで通うことになるのだが、この小学校では当時縄跳びが流行っていた。昼休みになればほとんどの児童が校庭で縄跳びをする。当然、私もそれに興じた。 「こそ練」をやるようになったのは、恐らくこの頃からではなかろうか。 二重飛びは出来て当たり前。三重飛びや燕返しなど、高度な技に挑戦するこ

          2. 小学生の私

          1. 就学前の私

          乳児期のわたし1993年11月、福岡県のとある町で、小さな産声があがった。 約2500gと小柄ではあるが、出生時の異常はなし。すくすくと育ち、発語、ハイハイ等も特に遅れは感じなかったと母親は言う。強いて言えば食が細く、ミルクを飲まないことが多かった。 この小さな私は、入眠が得意でないのか、特に物音のする場所では寝つきが悪いように見受けられた。音に過敏な様子であった。 青く澄み渡った空の広がる夏の夜、ベビーカーで花火大会に連れ出された私は、打ち上げ花火が見たい母親の気持ちを

          1. 就学前の私

          どうやら大きな荷物を持って生まれてきたらしい

          私が経験した苦悩の全体図は、広汎性発達障害と注意欠陥多動性障害から来る日常的なストレスにより、双極性障害を発症した、ということなんだろうと思います。 逆に双極性障害にならなければ、発達障害に気づくことなく、生きづらさにただただ疑問を持ちながら生活していたことになるでしょう。今となっては考えられません。 27年間の人生旅行へ出かける前に、まずはこの3つに注目した「私の特徴、症状」をお話します。 分かりやすいよう3つに分けて、それぞれにフォーカスした内容で進んでいきますが、こ

          どうやら大きな荷物を持って生まれてきたらしい

          どうやら学士取得に9年もかかった人間がいるらしい

          こんにちは、お元気ですか。 私は元気です。 突然ですが、「元気」とはどのような状態を指すのでしょうか。 風邪を引いていないことでしょうか。 ご飯をしっかり食べられることでしょうか。 笑顔で遊べることでしょうか。 私は「元気」ということばの曖昧さ、各個人の指し示す範囲の差を感じて、「元気」ということばを、自信をもって使えなくなりました。 というのも、私が精神疾患を患い、己の生まれ持った特徴を知ることになったからです。 これは、9年かけて大卒を手に入れた人間のお話。 ー

          どうやら学士取得に9年もかかった人間がいるらしい