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1. 就学前の私

乳児期のわたし

1993年11月、福岡県のとある町で、小さな産声があがった。
約2500gと小柄ではあるが、出生時の異常はなし。すくすくと育ち、発語、ハイハイ等も特に遅れは感じなかったと母親は言う。強いて言えば食が細く、ミルクを飲まないことが多かった。

この小さな私は、入眠が得意でないのか、特に物音のする場所では寝つきが悪いように見受けられた。音に過敏な様子であった。

青く澄み渡った空の広がる夏の夜、ベビーカーで花火大会に連れ出された私は、打ち上げ花火が見たい母親の気持ちをよそに、一発目の花火が打ちあがった瞬間のあまりの音の迫力に泣き出してしまった。花火に対抗するかのような大きな泣き声はその後も止むことなく、仕方ないので大輪を咲かせる花火を背に、一家は帰っていった。
2020年を生きる私が打ち上げ花火にあまり魅力を感じないのは、この体験があったからかもしれない。

わたしと母

私の母親は、母親として完璧だった。
私を産んで仕事を辞めた母は、専業主婦として「母親」という役職を常にきちんとこなしていた。私の絶対神だった。
専業主婦が極めて忙しく大変な仕事であるという意識は、そんな母親を見ていたせいもある。自分のための時間を過ごしている姿を見たことがなかった。

常に家の中を駆け回り、そして私に口を酸っぱくして「良い子でいなきゃ駄目よ」と言い聞かせた。お行儀よくなくてはならない、大声で騒いではいけない、公共の場所では小さな声で話さなければならない、箸の持ち方、座り方、上げだすとキリがないが、とにかくマナーを叩き込み、「そうしないと格好が悪い」「冴空ちゃんは良い子だもんね(だから言いつけを守れるよね)」と、小さな私を何度も諭した。母親が絶対的な存在であった私は、それを必ず守ろうとした。そして「良い子を演じる私」を褒めてもらいたかった。

母親の教育の成果もあって、私は大人しくあることを身に着けていた。
「赤ちゃんの頃から公共の場で泣きわめいたことがない」、と母親は自慢げに語ってくれる。生来、大人しい性格だったところへ、さらに「大人しさを強要する」しつけが施されていたのではなかろうかと思う。

年少さんのわたし

1997年、私は幼稚園に入園する歳になった。
人見知りで、自分から友だちの輪へ入っていくことはなかったが、声を掛けられると拒むことなく、誰とでも仲良く遊んでいた。
インドネシア人の友だちのクリスマス家族パーティーに、私ひとりだけ招待されたこともあった。大きな声ではしゃぎ回ったりせず、極めて大人しい、けれど声を掛けてくれた友だちとは仲良く遊ぶ。そんな八方美人ぶりが評価されたのだろう。

年少さんの私は、よく担任のT先生を見つめて声をかけてもらうのを待っていた。
ホームビデオにも、幼稚園の部屋の隅で一点を見つめたままじっと立っている姿が映っている。

気持ちのいい風が吹くある日、散歩をしながら母親と共に家へ帰っている途中で、私はたっぷりの黄色い筒状花を抱えた真っ白な花に目を止めた。「(その花を)明日幼稚園に持って行きたい」という私に、母親は摘んで帰ったそのヒメジョオンを綺麗に包んで翌日持たせた。連絡帳にもその旨を書いておいたそうだ。自分から声をかけられない私は、T先生を待った。T先生が私に話を聞くと、どうやらヒメジョオンをM君に渡したいらしい。小さな私の恋心を察したT先生は、道端で詰んだだけのヒメジョオンを、包装紙とリボンを使って花束にしてくれた。その花束を、私はようやくM君に渡した。

年中さんのわたし

年中さんになった私は、年少さんで過ごした幼稚園とは別の場所に通っていた。転勤の多い営業職の父親に連れられ、私は結局3つの幼稚園と4つの小学校を転々とすることとなる。

年長さんのわたし

年長さんになった私は、母親の勧めで初めての習い事を始めた。ピアノである。
母親も父親も音楽をよく嗜む方ではなかったが(母親はピアノを幼少期に習っていた程度、父親は学生時代にアコースティックギターでバンドを組んでいたらしい)、母親の「楽譜を自分で読めるようになるまでは続けなさい」という教育理念のもと、ピアノの練習に励んだ。
音楽が性に合っていたのか、私はピアノコンクールに出場するなど、精力的に稽古を続けていた。

友だちから声を掛けられると拒まない、という姿勢は健在で、拒まないというよりは「断れなかった」のだろうと、今となっては思う。
この頃になると、お友だちグループの中にリーダー的人物が現れはじめる。
幼稚園の休み時間、外で遊んでいた私たちは、休み時間が終わっても教室に戻ろうとしなかった。正義感の強かった私は、戻らなくちゃいけない、先生に怒られると内心肝を冷やしていたが、そのリーダー的お友だちは「まだ大丈夫だ」と言う。
結局は先生に怒られる(怒られるというよりは「もう帰って来なさい」と指摘された程度なのだろうが、私にとってはその指摘さえも怒られているように感じ、避けたいことだった)こととなったその記憶が、寂しげなジャングルジムと共に思い起こされる。


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母親との関係に悩める人、母と娘の縛られた関係が想像つかない人におすすめの一冊
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(2008,春秋社)

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『9年かけて大卒を手に入れた人間の話』
目次
どうやら学士取得に9年もかかった人間がいるらしい
どうやら大きな荷物を持って生まれてきたらしい
その人間の人生旅行へ続く搭乗口
 1. 就学前の私
 2. 小学生の私
 3. 中学生の私
 4. 高校生の私
 5. 大学生の私 前編
 6. 大学生の私 後編

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