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「素敵なまちに住む機会をくださってありがとうございます」 ~戦禍のウクライナから佐賀へ避難、その生活~

取材・文・写真撮影(注釈があるもの以外)
古泉志保(佐賀県庁地域おこし協力隊/認定NPO法人地球市民の会所属/SAGA Ukeire Network事務局)

はじめに

この記事では、マリヤ・トレッチアックさん(19歳)がウクライナから佐賀に来るまで、そして佐賀に来てからのことをインタビューしたものをまとめています。インタビューは2022年8月上旬に佐賀市内で行われました。

佐賀に来るきっかけ

マリヤさんは2022年7月にウクライナから佐賀に来ました。それはただの「移住」ではなく、戦禍から逃れるためでした。
佐賀県・佐賀市・佐賀県内のCSO・NGOが連携してウクライナからの避難民受け入れの活動を始めたのは2022年3月上旬(※1)。ロシアのウクライナ侵攻から間もない頃のことです。マリヤさんは、先にこのプログラムで佐賀に避難してきた親友のアナスタシアさんから話を聞き、自分も佐賀に行こうと決意しました。

私が最初にマリヤさんに出会ったのは、佐賀への避難のためのオンライン面談での画面上。その時に聞いたマリヤさんの話を、私は忘れることができませんでした。
「その日は祖父母の家にいました。朝の4時半に友だちから電話がかかってきて、『起きて。戦争が始まった』と言われました。全然信じなかった。でも次の瞬間、爆発の音が聞こえました。」
マリヤさんはウクライナの大学で日本語・日本文学・日本文化を専攻していて、日常会話には困らないほど日本語が上手です。オンライン面談に通訳が入らなかったのはマリヤさんが初めてでした。

※1 筆者は、佐賀県におけるウクライナ避難民受け入れのための“SAGA Ukeire Network~ひまわりプロジェクト~”の事務局を務めています。
佐賀県では、地域の問題解決のため、かねてよりCSO(Civil Society Organizations(市民社会組織))の誘致を進めており、ウクライナ支援を行っているNGOの事務所が佐賀にもあります。
また、筆者が所属する認定NPO法人地球市民の会は、「世界中のすべてのものの幸せを自分の幸せと感じられる社会をつくりたい」という思いで1983年から活動している、佐賀が本拠地のNPOです。

日本語との出逢い

「子どもの頃に、父からもらった『千と千尋の神隠し』のビデオを見て日本に興味を持ち、14歳で日本語の勉強を始めました。カタカナとひらがなを自分で勉強しましたが、話すのは難しいので、先生に習って、それからもっと勉強したかったので、キーウにあるウクライナ日本センターの日本語クラスに行きました。そこには図書館もあって、日本人の司書の中村さんにいつも日本語で話しかけていました。」
大学生になったマリヤさんは、いつか日本に住んでみたいと思いながら、日本のことを熱心に学んでいました。現在同居しているアナスタシアさんとは同じクラスでした。

マリヤさんが好きなウクライナの風景(本人写真提供)

佐賀に来るまで

ところが2022年2月に状況は一変します。マリヤさんは、キーウから家族と一緒に車でモルドバに逃れ、そこから、ルーマニア、ハンガリー、オーストリアを経由して一旦ドイツに落ち着きました。
「(普段なら7時間くらいで行ける)モルドバに行くのに28時間かかりました。検問所がたくさんあって、とても渋滞していたし、すごく怖かった。家族全員パニック状態で出発したので、着替えも持っていませんでした。3か月くらいいたドイツには避難民へのサポートがありましたが、言葉はドイツ語だし、大学のオンライン授業では日本語ができませんでした。私はどうしても日本語の勉強を続けたかった。だから、『みんなで親戚がいるイギリスに行こう』と言う母に相談しました。母も、ウクライナに残っている父(※2)も応援してくれたけど、家族と別れて一人で日本に来るのは心配でした。悩んでいたけど、親友のアナスタシアさんとそのお母さんのナターリャさんが先に佐賀に来ていて、『一緒に住もう』と言ってくれたから。」

※2 18-60歳の男性は、特別な許可がない限りはウクライナから出国することを禁止されている。

佐賀での暮らし

「佐賀は『もののけ姫』で見たような、きれいな自然の景色がたくさんあって、自転車で走るとすごく気持ちがいいです。佐賀の景色が大好きです。佐賀の人に、『佐賀には何もない』と言われてびっくりしました!佐賀は私のplace of comfort(心地よい場所)ですから。佐賀が好きになっちゃいました。」

マリヤさんお気に入りの近所の神社(本人写真提供)

「佐賀でいちばん好きな場所は佐嘉神社です。佐賀に来る前から絶対に行ってみたいと思っていました。素敵な巫女さんに神様やお守りについて説明してもらいました。そして、私より後から来たウクライナの人を何回も案内しています。何度行ってもうれしいです。」

「この間、佐賀の夏祭りに行きました。アニメで見たように、きれいな浴衣を着ている女の人がたくさんいました。私も着てみたいです。それから、初めてかき氷を食べました。暑い時に食べるととてもおいしいですね。花火も見ました。ウクライナの花火は2分くらいで終わってしまうので、あんなに長い間上がっているのは初めて見ました。すごくきれいだったけど、少し怖かったです。ウクライナの人たちと一緒に見に行きましたが、怖いから行きたくないという人もいました。
戦争が始まった日に、私はヴァスィリキーウの近くの祖父母の家にいました。石油貯蔵所が攻撃されて、空気が汚くなって、吸いにくくなりました。
佐賀は本当に自然が豊かです。伝統も感じます。静かなまちに行きたいと思っていたので、本当に感謝しています。感謝を伝える言葉がないくらいです。」

佐賀城下栄の国まつりでウクライナの人たちと花火鑑賞(撮影:秋山翔太郎氏)

今後のこと

日本語ができるマリヤさんは、自分よりも後に避難して来た人たちに、日本での生活ルールなどを積極的に説明してくれています。これまでに(2022年8月25日現在)、ウクライナから佐賀に避難してきた人は10組20人。今後も受け入れは続くため、マリヤさんのようにウクライナ人コミュニティのサポートをしてくれる人は、SAGA Ukeire Networkにとっても心強い存在です。

日本語の経験を積んで通訳になりたいというマリヤさん。「日本語で話されたことをウクライナの人に説明するのは訓練になります。もっと日本語を使いたいので、佐賀でアルバイトをしたいです。」

戦争のため、日本語能力試験も受けられなかったそう。
手前の文字カードと壁に貼ってある紙は、日本語を学び始めたナターリャさんが文字を覚えようとしている努力のあと。

マリヤさんからのメッセージ

ウクライナの人へのメッセージ
「一緒に佐賀で生活しましょう。まだ危ない所に友だちがいます。毎日祈っています。寄付もしています。私は絶対に諦めないし、ウクライナの文化を守りたいです。」

佐賀の人へのメッセージ
「この素敵なまちでの生活の機会をくださって、ありがとうございます。避難したウクライナ人を支援してくれて非常に感謝しています。佐賀の人たち、親切をありがとうございます。※3」

※3 ウクライナから避難して来られる方の渡航費、ビザ申請のための滞在費、佐賀で生活を始めるための物資や生活費は皆様からの寄付で賄われています。
また、まずは心と体を休めてもらい、その後、馴染みがない日本での暮らしに慣れ、日本語を習得し、日本で就労するまでには、これからもたくさんの時間とサポートが必要です。SAGA Ukeire Networkでは以下のような応援を募集しています。

○ウクライナからの避難民の受入に関する相談・支援等の情報
SAGA Ukeire Network ~ウクライナひまわりプロジェクト~
全国初・佐賀県とCSOの官民連携による避難民受入れ支援プログラム

○佐賀県ウクライナ避難民救援義援金
振 込 先 佐賀銀行 県庁支店(普通)3074492
口座名義人 佐賀県健康福祉部社会福祉課

○“幸せの危機”に今できること ~地球市民ファンド~
【ウクライナ危機 佐賀避難民支援】(認定NPO法人地球市民の会)

さいごに

あくまで私見ですが、紛争が長引くにつれ、皆様の関心は薄れつつあるように感じます。ですが、避難して来られた方々の生活は、むしろ佐賀に住み始めてからがスタートです。 
「一人の力は微力だが、無力ではない」「何もかもはできなくても、何かはできる」「できる人ができる時にできることをする」。いつも私が励まされている言葉です。
インタビューの際に、「つらい記憶を思い出させてごめんなさい」と言う私に、マリヤさんは「いいえ。大事なことですから。皆さんに知ってほしいです。」と言ってくれました。
一人一人が平和について考えてみる、周りの人に話してみる、信頼できる団体に寄付するなど、私にも、あなたにも、できることはきっとあると思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。皆様のご理解とご協力に感謝します。




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