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Ⅰ章 彼の場合-終-

「かなえちゃんと、セックスがしたい」

 そう言ってから、2人で僕の自宅へと向かった。
この家には調理器具はなく、冷蔵庫とゴミ箱、ベッド等の生活に必要最低限なものしかない。彼女は部屋の中に眼を配っているようだった。

「何もないだろう?」と言いながら自分に呆れた。

「何もなかったんだ……」

 僕はベッドに座り、帰る途中のコンビニで買った水を袋から取り出してキャップを開けた。彼女にも座るように促し、同じようにキャップを開けて紅茶のペットボトルを渡した。

 僕は、一人暮らしを始めてから現在に至るまで誰も自宅へ招いたことがなかった。他人(ひと)の家には平気で上がり、簡単にセックスをして、何食わぬ顔で夜を明かして日常を過ごしてきたくせに。

彼女が横に座り、ゆっくりと部屋を眺めて呟いた。

「なるほどなぁ……」

「なるほどって……?」

そう聴き返すと彼女は受け取った紅茶を両手で持ちながら言った。

「木嶋さん、この部屋に帰るの嫌いだったんじゃないですか」

その通りだった。この部屋には何もないから。
 何もない自分を観ているようで嫌だった。だから相手の部屋に行きたがった。物に満たされ、彼女たちの生活が染みついた『箱庭』の中で過ごす爛れた時間は、僕の不安を麻痺させてくれるには充分だった。


―――—それが今では、こうして自分の領域に彼女を招いている。――――

だからか、鼓動が早くなっているのがわかる。
僕は、緊張している。それはそうだろう。
初めて「ありのまま」を他人に晒すのだから。―—――

「嫌いだったよ。すごく嫌だった」
「この『箱庭』には何もない」
「それが自分の中身かと思うと……すごく怖くなった」

「今はどうです?」

「今はそうだね……。少し怖くなくなった。かなえちゃんのおかげで……」


―――—ありがとう、そう言って僕は、彼女を抱きしめた。
抱きしめた手が震えている。初めて人の温もりを求めたからだろう。
今までの「作業」が嘘なくらいに自分が初心(うぶ)になっている。

大丈夫ですよ、と言って、彼女は僕の手を解き、ペットボトルをテーブルに置いてから横になり、両手をこちらに差し出した。

 彼女の両腕に招かれて、僕はキスをした。ゆっくりと丹念に。
お互いの唇の、その輪郭を確かめるように浅く軽く触れていく。そこから求めるように貪り、段々と踏み入れるように深く舌を絡ませていく……。

はぁ、と息をつく彼女のワンピースとブラを強引に脱がし、露わになった胸部を右の掌で包むように覆い隠す。強く掴んだり、手放すように弱めたりを繰り返しながら、彼女の髪を嗅ぎ、次いで首筋を嗅ぎながら胸元や肩、背中と自分の痕を残していく。

―――—独占したい。
久しぶりに呼び起こされた感情に自分の理解が追い付かなくなっていた。
初めて感情の赴くままにかなえの温かさを求めている。

「木嶋さん……。木嶋さんのシタいようにして良いですよ……」

 彼女は、息を乱しながらこちらを受け入れてくれる意志を告げる。
その言葉に甘えるカタチで僕は先ほど右の掌で弄んでいた房を口で吸い付いた。残った乳房は、左手の指先で触れるか触れないかの境界を彷徨うようにして、過敏になった彼女の乳首をより繊細な感覚に陥れる。

吸い付いた乳房を時に甘く噛み、突き放してはゆっくりと乳輪をなぞるように舐め上げていく。軽く表面だけをなぞったり、舌を強く押し当てる。

強く押し当てられるのが好きなのだと解った。
その時が一番わかりやすく反応してくれた。
ここか、と思った僕は彷徨っていた左手をゆっくりと彼女のパンツの中へと忍び込ませていった。

 もう充分に濡れている。でも出来ればもっと喜んで欲しい…。二本の指を彼女の中へ潜らせて、交互に上下で動かしていく。
海中でバタ足をしたり、指を揃えて躍動させるように搔きまわして、溢れ出てくる彼女の「海水」がシーツにじんわりと交合の跡を拡げていった。

彼女が大きくのけ反っても、僕は辞めずに海の中で溺れるように足を動かした。彼女を一番気持ちよくさせたい。安い感情だと解っていても逆らえなかった。

2,3軽い痙攣があった後、彼女に大きな快楽が走った。ガクガクと小刻みに震え、自分がどうなっているのかわかっていないようだった。

「気持ちよかった……?」
それでも僕は独占欲を押し付けた。

はぁはぁ、と息を絶え絶えに彼女は混乱している様子だった。

「凄いです……途中から真っ白になって……」

「そっか……。痛かったりした?」

「痛くはなかったですけど……刺激がすごくて戸惑いました」

「ごめん。大人げないとは思ったんだけどさ」
「独占したくなったんだ」

じゃあ、と言いながら僕の服を脱がし始めた彼女は、僕のパンツに顔を近づけて臭いを確かめてから隆起した僕の一部を裸にさせた。

「今までしなかったこと、してあげます」

言って、彼女は僕の秘所を舌先で弄ぶ。時には先端を。時には裏の筋を。そうして僕の反応を見ながら、丹念に舐め、最後は口で包むように覆ってくれた。ジュポッと音立てながら男根を吸い上げ、舌で回りを絡めていく。

僕らは今、性欲の海に溺れている。

お互いの熱を確かめ合い、お互いのことを理解して、お互いのために悦びを尽くしている。もっと一緒にいたい、という感情のもとで。

「かなえちゃん……そろそろ挿れたい」

「いいですよ……来てください」

 正常位の形で僕らは繋がった。ゆっくりと丹念に彼女の海に自分の足跡を付け、身体も気持ちも海の中でひとつに溶けていくのを実感した。
汗ばんだ彼女の肌、漏れる吐息、悶える表情……。
そのどれもが僕にとって初めてで、そのどれもが愛おしかった。
ギシギシッという音が気持ちの高鳴りに合わせて早く大きくなっていく。


生き物の営みを実感しながら、僕は彼女の海に爪痕を残して果てた。


 行為を終えた後、テーブルに置いた飲料水を彼女に渡した。
身体についた汗と行為の跡が残ったままのベッドに座りながら、水分が喉を通っていくのを実感した。
彼女は紅茶を口に含みながらペットボトルを置き、僕の顔を両手で優しく捕まえてから口に紅茶を挿れてきた。
離れたときの欲情している彼女の顔がとてもセクシーだった。

その日は、それから何度も何度もセックスをした。
いつ寝たかの記憶がないくらいに何度も。


 朝、目が覚めると時計は午前6時を指していた。
睡眠不足を認識しながら、身体を起こすと彼女は先に起きて紅茶を飲みながらベッドに座っていたようだった。

「先に起きてたんだ」

「はい……。ほんとにさっき起きたんですけど」

「泣いてないね」

「泣きませんよ、もう。泣く必要がなくなりましたから」

 シャワー借りていいですか、と言って、彼女はそのまま風呂場へと消えた。僕はまだ目覚めていないので少しの間呆けていた。しばらくすると上がった彼女に促されてので入浴した。
コンビニで買っておいた朝食をふたりで食べ、この後どうするかを聴いた。
「帰る」と答えたので駅まで送ることにした。

 駅に向かう道中、橋を渡らなければならない。この街は川が多い。
その橋の真ん中に差し掛かった頃、彼女は手すりに寄り掛かって話し始めた。

「木嶋さん。確かめられましたか?」

「自分の中が空っぽかどうかってこと?」

「はい。私は、そんなことなかったと思いますよ」
「木嶋さんには確かに欲望があって、自分があったと思います」
「少なくとも私はそう思ったし、求められたことが嬉しかったです」

「確かに欲望はあったと思う。そういうのは今までなかった……」

でも……と口にして、昔の自分を重ねた。

―――—「次は、千尋のことちゃんと観てくれる人を選びなよ」――――

ふぅ、と長く吐いて、あの時と違う現在(いま)を自覚した。

「僕が求めたのは身体じゃなくて、かなえちゃんだよ。かなえちゃんが欲しかった」

事実、豊崎かなえの気持ちも熱も身体も欲しかった。
だからあれだけ求めた。長く、深く。何度も痕を残そうとした。


「かなえちゃんとなら自分を作っていけそうだと思ったんだ」


そう言うと振り向きながら彼女は笑った。

「それはダメですよ。私たちが今一緒になってしまったら。今はお互い自分で立たないと……。私もようやく泣かなくなったんですから」

まだ色の染まっていない真っ白な朝陽と穏やかに輪郭を作っている川、そして錆びれた橋を背に笑った彼女の顔がやけにまぶしく見えた。

そっか、と言いながら、手を繋いで駅まで送った。
また連絡します、という言葉は半信半疑だったが、濁さずに笑って返した。
ぎこちなかったと思う。

帰り道、コンビニで立ち読みをしてみる。
久しぶりに漫画を読んだ。全然わからない。
随分と時が流れたのだと思った。
間食とドリンクを買って家に向かうことにした。

やがてさっきの橋に着いた。
先ほど見事にフラれた橋だ。

―――—この三連休は、中身が濃かったとつくづく思う。

その代わりに今までの自分を清算出来た。
今はまだ「ありがとう」と「ひどい」が同居しているが、彼女には本当に感謝している。



     ―――—木嶋さんは、どうしたいですか?――――



「さてと、何をしたいのかな。まずは探すところからかな……」


そう言って僕は、川を眺めた。
この川はやがて海へと続く。
穏やかな波の行く先は此処からでは見えない。
波の行方に想いを馳せ、僕はその場を後にした。



『波のゆくさき』by THE RiCECOOKERS

※著作権の関係でレーベル、動画のURLを張っております。



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