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まいにち易経_0520【震えるほどの後悔~吉凶悔吝】悔吝を憂うるものは介に存し、震きて咎なきものは悔に存す。[繋辞上伝:第三章b]

憂悔吝者存乎介。震无咎者存乎悔。
悔吝かいりんうれうるものはかいそんし、うごきて咎无とがなきものはかいそんす。


卦爻辞における「吉凶」とは、事の善し悪し、つまり運勢の良し悪しを意味する。吉は順調で幸運を象徴し、凶は困難や不運を示す。古来より、人々はこの吉凶に一喜一憂し、自らの行動や決断に反映させてきた。
一方、「悔吝」は少々異なる概念。悔吝とは、道義的には必ずしも悪くはないが、時と位にそぐわない小さな過失を指す。例えば良心に照らせば問題ないが、社会的な状況や立場によっては誤解を招く行動というようなもの。「咎無し」とは、本来なら咎められるべき行為が、自己の過ちを改め、補うことで咎を免れる場合を指す。つまり、過ちを認め、修正することで罪を逃れることができること。
では、悔や吝の運命に至ることをどのように避けられるか。これは、善悪の微妙な境目における判断が重要。その時に悔い改めることで、悔吝の状態に陥らずに済む。さらに、咎があるべきところを、心から懼れて改めるならば、咎はなくなる。これは、過ちを悔い、補綴ほてつしようとする努力にかかっている。過ちを認め、それを正すことが、運命を好転させる鍵となる。

ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

みなさんは、間違ったことをしてしまったときに、それを反省して改善する努力をするか、反省せずにそのままの状態を続けるか、どちらを選びますか。もし反省して行動を改善する道を選べば、前向きな良い方向に進むことができます。しかし、反省せずにいると、悪い方向に後退してしまいます。
自分の行動が正しい道を歩んでいるのか、間違った道を進んでいるのかは、反省して改善する努力をするかどうかで分かります。
反省と改善は正しい道に向かう合図なのです。たとえ、本来ならば非難されるべき行動をしても、深く反省し、行動を改める努力をすれば、非難を受けずに済むことがあります。それは、真摯な反省と改善の努力が認められるからです。

吉凶悔吝(きっきょうかいりん)」という言葉を聞いたことがありますか?これは、人生の中で私たちが直面する様々な状況を表す四つのキーワードです。「吉」は成功や幸運を意味し、「凶」は失敗や不運を意味します。「悔」は後悔すること、「吝」はけちけちしたり、ためらったりすることを指します。

簡単に言えば、私たちの心と行動の巡り合わせを表しています。成功するとどうしても安心してしまい、油断や慢心が生まれます。逆に失敗すると、それを後悔し、次に成功しようと努めるわけです。

例えば、会社の経営においても、初めて大きな成功を収めたとき、その成功に甘えてしまい、新しい挑戦を恐れてしまうことがあります。これが「吝」です。すると、次第に小さな問題が積み重なり、大きな失敗に繋がってしまう、これが「凶」です。

しかし、この失敗を経験すると、人はまた学び、反省し、次に向けての準備を始めるでしょう。これが「悔」です。そして、再び成功を収めることができる、これが「吉」です。このように、吉凶の間を行き来することで、私たちは成長し続けるのです。

易経は、こうした人間の心の動きと行動のサイクルを深く理解するためのヒントを与えてくれます。たとえば、「悔」という感情は、決して悪いものではありません。むしろ、後悔することで初めて私たちは自分の過ちに気付き、改善のための行動を起こすことができるのです。

ある日、私が若い頃、会社の大きなプロジェクトで大失敗をしたことがありました。私はその時、非常に落ち込み、何度も後悔しました。しかし、その経験があったからこそ、私は次に何をすべきかを学び、同じ過ちを繰り返さないように努めました。結果として、その後のプロジェクトは大成功を収めることができました。

つまり、私たちは失敗から学び、それを次に活かすことで成長していくのです。「吉凶悔吝」のサイクルを理解することで、私たちはより柔軟に対応し、困難を乗り越える力を養うことができます。

また、「吝」という感情も重要です。これは、時に私たちが新しい挑戦を恐れたり、変化を厭ったりすることを意味します。しかし、これを恐れずに乗り越えることで、新しい道が開けるのです。たとえば、皆さんが新しいビジネスアイデアを持っていても、失敗を恐れて実行しないままでいると、何も始まりません。ここで重要なのは、「恐れて震える」ということです。恐れを感じること自体が、自分が新しいことに挑戦しようとしている証拠です。そして、その恐れを乗り越えることで、成功への道が開けるのです。

さらに、易経は「震(うご)きて」と言います。これは、失敗や困難に直面したときに感じる恐れや不安を指します。この恐れや不安を感じることで、私たちは自分の行動を見直し、改善することができます。恐れを感じることは、決して弱さではなく、成長のための重要なステップなのです。

例えば、ある企業が市場に新製品を投入する際に、大きなリスクを伴う場合があります。この時、恐れを感じることは自然なことです。しかし、その恐れを克服し、しっかりと準備をして挑戦することで、新しい市場を開拓することができるのです。

このように、易経の「吉凶悔吝」は、私たちがどのように成長し、成功を収めるかのヒントを与えてくれます。成功と失敗を繰り返すことで、私たちはより強く、賢くなります。そして、その過程で感じる恐れや後悔は、私たちが成長するための重要な要素なのです。

大切なのは、失敗した時に高慢にならず、謙虚に反省する姿勢を持ち続けることです。高慢になると、自分の過ちに気づけなくなり、同じ轍を踏み続けてしまいます。

実際、過去の偉大なリーダーを振り返れば、必ずと言っていいほど辛酸をなめた経験があります。例えば、アメリカの開国の祖ジョージ・ワシントンは、フレンチ・インディアン戦争で惨敗を喫しています。しかし、その経験から多くを学び、のちに独立戦争の指導者となりました。

一方で、高慢な姿勢を改められなかった指導者は、やがて失脚してしまいます。ナポレオンもその一例でしょう。彼は数々の戦勝で有頭化し、ついにはロシア遠征で大敗を喫することになりました。

このように、リーダーには常に謙虚さが求められます。成功した時こそ、高慢にならず、地に足をつけることが大切なのです。そうすれば、いつかは訪れる失敗にも冷静に対処でき、再び這い上がることができるでしょう。

人生に絶対的な成功はありません。辛酸を嘗め、失敗を乗り越えながら、少しずつ自分を高めていく。それが本当のリーダーへの道なのです。皆さんも、この循環を心に留め、たとえ失敗しても決して高慢にならず、常に謙虚な姿勢を持ち続けてください。そうすれば必ず成功を手にできる日が来るはずです。


参考出典

吉凶悔吝~震えるほどの後悔

「吉凶悔吝(きっきょうかいりん)」の吉は得る、凶は失う、悔は後悔する、吝は吝嗇(りんしょく)・けちる・厭がる。
「吉凶悔吝」は人の心と行動の巡り合わせを表す。つまり、人は過ちを後悔して吉になり、吉になると油断して奢りや慢心が起こって吝嗇になり、過ちを改めることをぐずぐずと厭がり、凶になる。凶になって、そこでまた後悔するのである。
吉凶の分かれ目は「悔・吝」にある。恐れ震えて咎めがないのが「悔」である。また、凶になる兆しが「吝」であり、凶が吉になる兆しが「悔」である。
「震(うご)きて」とは、「凶」という事実と、そこに至った厚かましいほどの吝嗇に恐れ震えること。吝嗇を重ねると、人は善悪の感受性を失い、不正を働いても「何が悪い」というほどになる。
震えは感受性の回復である。恐れてブルブルと震えなければ、後悔の念は湧かない。後悔して身を改めて吉に向かうのである。
また、トラブルの原因を洞察する者は、恐れ震えるほどに後悔して、流れを吉に変えることができる。

易経一日一言/竹村亞希子

吉と凶とを弁別する任務は、卦爻辞に依存する。悔や吝の運命に至ることを憂える場合、それを避けうるか否かは、善悪の微妙な境目の時にかかっている。その時に憂えて改めれば悔吝には陥らない。咎のあるべきところを、心動いて懼れるならば咎はない。それはひとえに過ちを悔い補綴(ほてつ)しようとする努力にかかっている。

易(朝日選書)/本田濟

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