なぜ小学生が1400日以上日記を書けたのか?- 習慣になるまで
そういえば、私は小学校3年生から6年生の4年間、土日も含めて一日も欠かさず毎日日記を書いていました。noteを書いていて思い出しました。
きっかけは、小学校3年生の時の担任の先生が、自由勉強という名でみんなに紹介してくれたことでした。
「別に点数にならないけど、やりたい人は続けるといいよ。」
B5のノートの1ページに、その日に習った漢字の復習や、計算の復習に加えて、数行の作文を書いていきました。だんだん日記の部分が長くなっていき、小学校6年生で長い日は見開き2ページで終わらなかったのを覚えています。
縄跳びで3重飛びができなくて悔しくて練習した話、夏休みに公園のセミを取れるだけ取ったら公園が少し静かになった話、その後弟がセミの夢でうなされた話、弟が自転車に乗っていたら足とサンダルの間にセミが入ってきて祟かと思った話、学校の学芸会のためにカツラを作った話、学芸会の演劇で主役で緊張した話、バスケの決勝試合で残り時間2秒で同点シュートを決めて嬉しかった話、ミニ四駆のボディの肉抜きでピンバイスで穴を開けまくって手が痛くなった話、部活と中学受験の両立、などを書いたりしていたように思います。次に実家に帰ったときに、この日記を探してみようかと思っています。
これが続いた理由を考えてみました。
1. 強制されていなかった
その名の通り、やるかやらないかは個人の自由で、強制されていなかったことが挙げられると思います。以前に「書きたい」と「書かされる」の大きな違い ということで記事を書かせていただきましたが、強制されていたら多分続いていなかっただろうと思います。今振り返ると、私の親のサポートも絶妙だったように思います。
最初は親も「面白そうじゃん、やってみたら?」から入ったような気がしています。何かに夢中になっていたら、「今日は書かないの?」と確認はされたものの、書きなさいとは一度も言われませんでした。「危ない、忘れそうだった。」と言って書いた記憶があります。
2. 先生から毎日コメントがもらえていた
毎朝担任の先生にノートを渡して、帰りに先生からコメントつきで返却されました。当時の私と担任の先生のコミュニケーションツールだったように思います。毎日の会話の中でも、日記にあった内容から先生が話しかけてくれることがあり、嬉しかったのを覚えています。
3. 続けた仲間がいた
最初は先生の机の上の自由勉強のノートの山は高かったですが、だんだん低くなっていき、私を含めて数名になっていきました。自由勉強継続仲間で仲良しだった気がしています。一人じゃないというのも大きかったかと思っています。
4. 自分の成長が見えた
時々自由勉強のノートの最初の頃を振り返ったときに、一文の長さや単調な文章であったことに気づきました。まずは自分が書いていた長さが自然と長くなって行きました。「今日は」でスタートしていた日記が、進化していったのが自分でもわかりました。新しい漢字や新しいボキャブラリーを試しに使っていた気がします。
また、同じことを書いているとだんだん飽きてくるので、違うことを書きたくなってきました。そうすると、「今日は何を書こうか」と毎日の中での新しい発見を見つけようにしていったと思います。
5. 習慣になった
こうして、小学校3年生の生活の中に自然に入っていきました。先生からコメントがもらえた嬉しさや、上記のすべての事項が合わさって循環していったため、習慣になっていったように思います。
最後に
上記のすべてを通して、何よりも自分が楽しめていたことが大きかったように思います。発見を見つけたり、自分の成長が見える形になったり、継続的にコメントをもらえていたことが嬉しかったんだと思います。継続を経て、自信や達成感のようなものを感じていたように思います。
私が高校で英語教師をしていた時も、「英語で日記を書いてみたら」と話したら、毎日英語で日記を書いてきた高校生がいて、私も毎日コメントを返していました。彼女の日記はどんどん長くなっていき、使えるボキャブラリーは圧倒的に飛躍したのと同時に、自信につながっていたようです。
昨日で40日連続でnoteを書くことができました (こちら)。多くの方に読んで頂いているようで本当に感謝です。今後は小学生の自分をまずは目標にnoteも続けられると良いな、と考えているところです。
今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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