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母が亡くなったら、ガッツポーズをする?

人生100年時代です。今これを読んでいただいているあなたは何歳でしょうか? 「母が亡くなったらガッツポーズをする」という衝撃のお話を紹介しましょう。ガッツポーズする側か、される側かによって、読み方が変わると思います。

「おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてね」と、昔は孫に言われたのに、現代では死語になりつつあるようです。「長生きは迷惑だ」とさえ言われる昨今、あなたは何歳まで生きますか?

元気で生き続けるために努力が必要


自分がいつまで生きられるかなんて、誰にも分かりません。死ぬ直前まで元気でありたいと思うのは誰も同じです。そう考えれば、「元気で生き続けるために努力が必要」なのではないでしょうか?

若い時に努力をした経験すらない人は、おそらく年取ってから努力することは不可能でしょう。それはしょうがないです。努力するには、体力と気力と根性が必要です。

施設に入ることを前提に考える?


年取ると高齢者施設に入ることを前提に考えている人が今の時代はとても多いです。しかしその考え方が間違っていると以前にも書きましたが、その話を現実社会ですると皆さん反論されます。

「だって、年取って体の自由が利かなくなったら、施設に入らなければしかたがないでしょう? 子供に面倒見てくれとは言いたくないですから。」

ごもっともな意見です。しかしその前提が間違っています。「身体の自由が利かなくなったら」ではなく、「生きている限り、自由に動ける体を保つ必要がある」と私は思います。そのために「努力が必要だ」と言っているわけです。

言い換えると、施設に入ることを前提に考えている人は、「努力しないと最初から言っている」にすぎません。私はそう受け取ってしまいますが、あくまでも個人の感想です。

お金がなければ、施設に入る選択肢はない


金銭的な面を考えるとまた話も変わってきますよね。施設に入るためにも、たくさんのお金が必要です。入所するお金のない人は、最初から施設に入るという選択肢はありません。だからある意味、お金が無い方が健康でいるための努力をします。お金があると、どこの施設にしようか考えることができます。考え方の違いです。

昔は親の世話を子供がすると決まっていました。しかし、長生きすることで、親が100歳になれば、子供が70歳くらいで、子供もすでに介護の必要な人も出てきます。そんな時代です。もう昔のしきたりなんて言ってられません。

迷惑をかけたくないなら、健康面で努力が必要


ところが、100歳くらいの人にすると、時代の変化がどうとか関係なく、固定観念が強いので子供が面倒みるべきと考えている人も多いようです。だから、親に振り回され迷惑します。迷惑かけられる親なら、亡くなった時にガッツポーズするのもうなずけることでしょう。

いずれにしても老々介護の問題も含め、親子介護、あるいは孫まで影響が出る時代になってしまいました。迷惑をかけたくないのなら、今日から健康に対する努力を始め、毎日継続することが最低限必要だと私は考えます。


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