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最近の記事

■龍馬と義経伝説

お龍さんの回想(千里駒後日譚)に次のような一文がある。 「・・・或る日望月さん(望月亀弥太)らが白の陣幕を造って来ましたから、戦争も無いのに幕を造ってどうすると聞けば、北海道は義経を尊ぶから此の幕へ笹龍桐(ささりんどう)の紋を染め抜ひて持って行くと云って居りました。・・・」 この一文の前には、龍馬が北海道を海援隊で開拓すると言っていた、とある。つまり北海道へ渡るために集めていた情報の中に、北海道は義経を尊ぶ、というものがあったのだろう。笹龍桐とは源氏を代表する紋である。

    • ■名前について

      『坂本龍馬直柔(直陰)』【さかもとりょうま なおなり(なおかげ)】。 北海道坂本龍馬記念館の坂本家系図には、上記のように表記されている。この表記について、一度しっかり確認したいと思っていた。 実のところ、自分もよく理解しておらず、質問を受けても曖昧な返答しか出来ていなかったからだ。そこで名前(人名)について改めて調べてみた。その結果が下記の通り。 ●苗字(名字)・通称・諱【いみな】 江戸時代の名前(主に武士)は、名字・通称・諱から成っている。よって表記の『坂本龍馬直柔(

      • ■龍馬が語る『龍馬百話』~第十章「その後の話③」~

        今回がいよいよ最終回、第十章「その後の話③」です。第96話「昭憲皇太后の夢」から。 【第96話 昭憲皇太后の夢】 日露戦争勃発が目の前に迫った明治37年2月6日、私は昭憲皇太后の夢枕に立った。「私は坂本龍馬と申します。この度の海戦、ご心配には及びません。必ず日本の勝利でございます。私も力及ばずながら、日本海軍を守護いたします。ご安心ください」と申し上げた。 この話は田中顕助に伝わり、約2か月後、時事新報が「葉山の御夢」と題して報道した。この一件により、忘れられていた私の

        • ■龍馬が語る『龍馬百話』~第十章「その後の話②」~

          今回は第十章「その後の話②」です。第91話「佐柳高次」から。 【第91話 佐柳高次】 「坂本龍馬神宮」と書いた掛け軸を作ったのが、佐柳高次だ。佐柳とは、勝先生を通じて知り合って以来、神戸海軍塾から海援隊と行動をともにした仲だ。ワイルウェフ号遭難の時は辛うじて生き残り、いろは丸事件の時はめざましい活躍をしてくれた。 私の死後、彼は新政府軍の陽春丸に乗って、箱館戦争にも参戦している。晩年は故郷の佐柳島に戻り、「坂本龍馬神宮」の掛け軸を掲げて毎朝夕、元海援隊の同志を供養礼拝し

        ■龍馬と義経伝説

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影②」と第十章「その後の話➀」~

          今回は、第九章「龍馬余影②」と第十章「その後の話➀」です。第86話「お龍と明治(上)」から。 【第86話 お龍と明治(上)】 高知を離れた後のお龍は、随分と苦労をしたみたいだ。京都ではお登勢さんの世話になり、東京では勝先生や西郷さん、海援隊士たちを頼りにし、その紹介で神奈川宿の料亭で仲居をしていたこともあった。 その後ようやく明治8年に、西村松兵衛という商人と再婚する。しかし「龍馬が生きていたら、又何か面白い事でもあったでしょうけれど、これが運命というものでしょう」とい

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影②」と第十章「その後の話➀」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影①」~

          今回は、第九章「龍馬余影①」です。第81話「刺客」から。 【第81話 刺客】 私と中岡を死に追いやった刺客については、その嫌疑はすべて新選組にかけられていた。大久保一蔵が岩倉卿に宛てた書簡も、新選組を厳しく糾弾したものになっている。 ところが、ある新選組隊士が語った後日談で、見廻り組の今井信郎の名があがってきたのだ。しかもその今井、「坂本龍馬と中岡慎太郎を斬ったのは自分だ」と自ら語り、その時の現場の様子まで発表したらしい。 もっとも、事件当時真っ先に現場に駆け付けた谷

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影①」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺②」~

          前回の「暗殺①」に続く、今回は第八章「暗殺②」です。第76話「暗殺(上)」から。 【第76話 暗殺(上)】 越前を旅してから、風邪気味の日が続いていた。その日私は、近くに寓居する福岡藤次を訪ねたが留守であった。その際、福岡の従者に「先ほど、坂本先生はおられぬか、と訪ねてきた者がありました。御用心ください」と告げられた。 数日前にも、伊東甲子太郎から「新選組や見廻組がつけ狙っているから、速やかに土佐藩邸に移られるように」と忠告を受けていたのだが・・・。 近江屋に戻ると中

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺②」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺①」~

          いよいよ今回は、第八章「暗殺①」です。第71話「新官制擬定書」から。 【第71話 新官制擬定書】 大政奉還が成ってすぐ、私は戸田くんたちの協力を得て、新政府の職制案作成に取り掛かった。その案には、関白に三条卿、内大臣に慶喜公の名を連ねた。慶喜公の名を載せたのは、彼の英断に万感の謝念を込めて推薦したものだ。 そして、ここに私の名前はなかった。それを見た西郷さんに「龍馬さんはどうするつもりか」と問われたのだが、その時に私の答えた言葉が後に話題となったようだ。「私は、窮屈な役

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺①」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後②」~

          今回は第七章「大政奉還前後②」です。第66話「ライフル銃」から。 【第66話 ライフル銃】 イカルス号事件解決後すぐ、私はオランダ商人ハットマンから、最新式のライフル銃1300挺を購入し、そのうち1000挺を土佐藩に売り渡している。後れをとった土佐藩が薩長に対抗していくには、大政奉還にしろ武力倒幕にしろ、背後に武器が必要だったからだ。 そして私は、この武器購入代金を利用して、実はほかの商業活動への貸付けも行なっていたのだ。私が、政治にしろ商事にしろ、同盟の名人といわれる

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後②」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後➀」~

          【第61話 後藤象二郎】 乙女姉さんから、土佐の姦物役人(後藤)にだまされているのではないか、と私を非難する手紙が届いた。そうではない。後藤とは共に、長崎から上洛し日本回天のため大政奉還を成し遂げようと奔走しているし、それ以前には海援隊の結成、そしていろは丸事件の勝利を獲得してきた。彼こそはまさに、天下の苦楽を共にしている第一の同志である。 【第62話 船中八策】 大政奉還論を容堂公に進めるために、私は八カ条からなる新国家構想を後藤に提案した。それがいわゆる「船中八策」

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後➀」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第六章「世界の海援隊②」~

          前回に引き続き、第六章「世界の海援隊」。第56話「海援隊の事業内容」から。 【第56話 海援隊の事業内容】 海援隊はその約規に掲げた通り、「運輸・射利・開拓・投機」といった商事活動や運輸、貿易業が主要な業務であったが、「隊中修業分課」とあるように学校も兼ねていたのだ。「政法(法律や経済)・砲術・航海学・語学」など、各々の適正によって隊士を学ばせていた。 この商法(貿易ビジネス)と教育、それに軍事を合わせた三つが、事業内容の三大柱だった。さらに後に、これに出版事業が加わる

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第六章「世界の海援隊②」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第六章「世界の海援隊➀」~

          今回からは第六章「世界の海援隊」。第51話「歌人龍馬」からです。 【第51話 歌人龍馬】 私が生きた幕末には、優れた歌を詠んだ仲間がたくさんいた。かく言う私も、数は少ないが読んだ歌を残している。もともと私が生まれた坂本家には、国学や和学の伝統があって、4代前の直益は国学者の弟子であり、父も万葉学者の門下生だった。和歌をたしなむ家風があったということだ。 後年、詩人の大岡信氏は私の歌を紹介し、歌人・坂本龍馬を登録して下さったみたいだ。紹介された歌は「藤の花今をさかりと咲き

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第六章「世界の海援隊➀」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第五章「亀山社中」~

          今回から第五章「亀山社中」です。前回から多少時系列は前後しますが、亀山社中にまつわるお話を。第43話「新婚旅行」から。 【第43話 新婚旅行】 寺田屋で遭難してから、西郷さんたちの薦めもあり、療養も兼ねて薩摩へ行くことになった、お龍も一緒に。私は、この時の様子を手紙に書いて、乙女姉さんに送った。お龍とともにのんびり過ごした約1か月、存分に楽しんだということが、ちゃんと伝わっただろうか。あれが後に、日本の新婚旅行第一号と呼ばれるとは、うれしいことだ。 【第44話 死生観】

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第五章「亀山社中」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第四章「日本の洗濯②」~

          今回は、第四章「日本の洗濯」の続きです。第38話「薩長連合の根回し」から。 【第38話 薩長連合の根回し】 先の薩長会談失敗の後、私はその再開に向けて飛び回っていた。折しも長州再征伐の準備を着々と進める幕府に対し、長州は高杉さんや桂さんたちが必死の抵抗をしていた。 その長州を再起させ、薩長連合を実現することが日本再建の道と確認した私は、京で西郷さんに会って、下関に来なかった真意を確かめ、改めて薩長連合の必要を説いた。そして、兵糧米の依頼を長州が承諾したことを伝えると、西

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第四章「日本の洗濯②」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第四章「日本の洗濯➀」~

          今回から龍馬が語る『龍馬百話』は、第四章「日本の洗濯」に突入です。第33話「薩摩藩」から。 【第33話 薩摩藩】 私が脱藩後、まず目指していたのは薩摩藩だ。かつて小龍さんから、薩摩のことを聞いていた。反射炉があって大砲を造っていて、桜島湾には軍艦が浮かんでいる…。だから、ぜひこの目で見てみたいと思っていたのだ。 そして、庇護を受けている西郷さんや小松さんに、自分たちが海軍塾で身につけた航海術や海運業で儲ける仕組みを提案したところ、カンパニー創りに協力してくれるという。や

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第四章「日本の洗濯➀」~

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第三章「勝海舟との出会い②」

          前回に引き続き、龍馬が語る『龍馬百話』の第三章「勝海舟との出会い」です。第26話「日本をせんたく」から。 【第26話 日本をせんたく】 この頃私は、越前福井藩の松平春嶽公から、海軍塾費用として5千両の借用を果たして、ますます頼りにされているところだった。しかしそんな折、攘夷を決行した長州藩が外国船と戦っている最中、あろうことか、傷ついた外国船を幕府が横浜で修理していることを知った。 何たることだろう。この事実が、私に幕府への憤りを生じさせ、そして「日本を今一度せんたく」

          ■龍馬が語る『龍馬百話』~第三章「勝海舟との出会い②」