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■名前について

『坂本龍馬直柔(直陰)』【さかもとりょうま なおなり(なおかげ)】。
北海道坂本龍馬記念館の坂本家系図には、上記のように表記されている。この表記について、一度しっかり確認したいと思っていた。

実のところ、自分もよく理解しておらず、質問を受けても曖昧な返答しか出来ていなかったからだ。そこで名前(人名)について改めて調べてみた。その結果が下記の通り。

●苗字(名字)・通称・諱【いみな】

江戸時代の名前(主に武士)は、名字・通称・諱から成っている。よって表記の『坂本龍馬直柔(直陰)』は、名字が坂本、通称が龍馬、諱が直柔(直陰)となる。

諱とは、元服(概ね12~16歳)後に付けられる名前。これが本名(実名)である。諱は普段使われることはなく、親や主君のみが呼ぶことを許されるもの。通称とは、普段その人を呼ぶときに使われる名前。幼名、仮名、字【あざな】のこと。だから龍馬は、周りからは龍馬【りょうま】と呼ばれていたが、本名は直柔【なおなり】ということだ。

表記に(直陰)とあるのは、当初の諱が直陰【なおかげ】だったということ。理由は定かではないが、1866年(慶応2年)をさかいに直陰から直柔に改めている。

●号・変名

また、本名とは別に使用する名称に号がある。号とは、文人や知識人が創作発表する際にしようしたもの。現在のペンネームのようなものだ。龍馬が用いた号にあたるものに、自然堂【じねんどう】がある。

これらとは別に、幕末の志士たちは自分の身元を隠すために変名も使っていた。龍馬が使っていた変名は以下の5種類。
① 才谷梅太郎【さいたにうめたろう】
② 西郷伊三郎【さいごういさぶろう】
③ 大浜涛次郎【おおはまとうじろう】
④ 高坂龍次郎【たかさかりゅうじろう】
⑤ 取巻の抜六【とりまきのぬけろく】

以上のように、諱・通称と号・変名は意味合いが少し違う。龍馬の場合、諱を一度改めただけなので、整理してみればよく理解できる。

一方、これが龍馬と親交のあった桂小五郎の場合は少々複雑になってくる。

●桂小五郎【かつら こごろう】の場合

和田家に生まれた小五郎、最初の名前は和田小五郎。名字が和田、通称が小五郎ということだ。8歳で桂家の養子となり、桂小五郎となる。そして元服後の諱が孝允。従って、当時を正式に表記すると『桂小五郎孝允』ということになる。

その後1865年(慶応元年)頃、藩主から「木戸」の名字を賜ることになる。そこで、通称を貫治として木戸貫治に、その後、通称を準一郎と変え木戸準一郎となる。そして明治に入って、本名を木戸孝允として登録する。これが、桂小五郎から木戸孝允までの流れだ。

また、龍馬と同じく、彼も号や変名も多数使用している。号は、松菊、木圭、広寒、猫堂、老梅書屋、竿鈴(干令)で、変名は、新堀松輔や広戸孝助など10種以上あったらしい。

と、いう具合で、桂さんについても、何とかひと通り整理できた。

(おわり)