見出し画像

■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影①」~

今回は、第九章「龍馬余影①」です。第81話「刺客」から。

【第81話 刺客】

私と中岡を死に追いやった刺客については、その嫌疑はすべて新選組にかけられていた。大久保一蔵が岩倉卿に宛てた書簡も、新選組を厳しく糾弾したものになっている。

ところが、ある新選組隊士が語った後日談で、見廻り組の今井信郎の名があがってきたのだ。しかもその今井、「坂本龍馬と中岡慎太郎を斬ったのは自分だ」と自ら語り、その時の現場の様子まで発表したらしい。

もっとも、事件当時真っ先に現場に駆け付けた谷干城によれば、「自分が見た現場とは大きく違う。今井は売名の輩であり、真の刺客ではない」ということになるが。

【第82話 悲憤の葬列】

中岡と藤吉、そして私の葬列は、11月17日夜ひそかに執り行われたようだ。海援隊、陸援隊両隊士が中心となった悲憤の葬列である。中岡の側近だった田中顕助の談話によると、11月18日午後となっているが、どうやらそれは田中の思い違いのようなのだ。さすがの田中にもいささかの動揺があったか…。

一方、土佐藩邸の役人たちもこの葬列を見送っているが、冷然たる態度だったということだ。

【第83話 天満屋事件】

隊長の中岡を殺された陸援隊の隊士たちは、殺気立っていたという。仇討ちすべし、という彼らの熱気に、海援隊からも陸奥や沢村らが加わったらしい。

「坂本、中岡を暗殺させたのは紀州藩の三浦休太郎である。いろは丸事件の報復として新選組をそそのかした」との情報が入るや、彼らは三浦を討ち取るため天満屋へ押しかけたのだ。結果はどうであったか。

私がかわいがっていた十津川郷士、中井庄五郎を失うことになってしまう。私のためなら何時でも命を捨てる、と言っていた中井は、真っ先に斬り込んでいったのだという・・・。

【第84話 その後の佐那と龍】

その後の佐那さんのことが気になる。後年の佐那さんは、家伝の灸法を用いた「千葉の灸」を営んでいた時、そこを訪れた自由民権家の小田切謙明とご縁をもった。

佐那さんの境遇を知った小田切夫妻との親交のおかげで、佐那さんは死後、甲府のお寺で安らかに眠れることになったようだ。そして墓碑には「坂本龍馬室」と刻まれていて、私も佐那さんを想い、少し安心した。

しかしそんな佐那さんのことを、お龍は当然のことながら快く思っていなかった。佐那さんの死後、あちらこちらでその想いを、あることないこと吐露してしまっていたようだ。少し、心が痛むことである。

【第85話 お龍と高知】

三吉くんの家を出た後、お龍は高知へと旅立ったようだ。高知についてからの数ヵ月は私の生家に身を寄せ、乙女姉さんともうまくやっていたらしい。後日お龍は、乙女姉さんへの感謝の気持ちを表している。

その後は、妹婿の兄の家である千屋家の厄介になっていて、そこの仲子という娘がお龍によくなついていたという。お龍は高知を去るとき、私がお龍のために作った帯止めをその仲子にあげていた。「土佐の人はお龍さんのことを色々言っているけれど、私にとってあんなに良い人はいない」という仲子の回想は、うれしい話だ。

(「龍馬余影」つづく)