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■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後➀」~

【第61話 後藤象二郎】

乙女姉さんから、土佐の姦物役人(後藤)にだまされているのではないか、と私を非難する手紙が届いた。そうではない。後藤とは共に、長崎から上洛し日本回天のため大政奉還を成し遂げようと奔走しているし、それ以前には海援隊の結成、そしていろは丸事件の勝利を獲得してきた。彼こそはまさに、天下の苦楽を共にしている第一の同志である。

【第62話 船中八策】

大政奉還論を容堂公に進めるために、私は八カ条からなる新国家構想を後藤に提案した。それがいわゆる「船中八策」というものだ。大政奉還後の新政権が採るべき議会・外交・憲法・経済などの政策を記している。

この八策をもって、後藤は容堂公に大政奉還論を進言し、それが土佐藩の藩論となったのだ。そしてこの後、土佐藩から大政奉還の建白書が幕府へ提出されることになる。

【第63話 イカルス号事件】

大政奉還の実現に力を尽くしているまさにその時、長崎で事件が起こった。イギリス人水夫が殺害された事件なのだが、これが海援隊士の仕業であるとの疑いがかけられたのだ。その理由というのは、風説と推測の域を出ないものだったが、イギリス公使のパークスが激怒しているという。

直接土佐に乗り込んで交渉する、と言ってきたようで、京都にいた佐々木三四郎も急遽、土佐に戻らなければならなくなった。私は佐々木へ書状を渡すため出向船まで駆けつけたのだが、善後策を話し合っているうちに船は出航、佐々木と共に土佐へ向かうことになってしまった。

【第64話 イカルス号事件、談判】

土佐須崎港の夕顔船上で、パークスと後藤の間で事件の談判が始まった。パークスは、いきなり怒声と共に高圧的な態度に出た。これに対し後藤は、冷静な反応と申し出を行なったので、パークスは無礼な態度を謝り、穏やかな談判に移っていったという。

しかし、土佐での交渉では決着がつかず、現地長崎で審議が続くことになったのだ。私は交渉中、船上で事態を見守っていたが、こっそりと、刀の拝領をお願いする手紙を、権平兄さんには渡したというわけだ。

【第65話 アーネスト・サトー】

長崎に移ったイカルス号事件審議の場で、私が馬鹿笑いしたことを、通訳のサトーは根に持っていたようだ。しかし私にしてみれば、大政奉還に向けて大事な時期に、海援隊への謂れのない尋問を受け、つじつまの合わぬロジックで殺人容疑を押しつけられたら、もう笑うしかないだろう。

もっともサトーにしても、指の痛みや移動船の悪環境、もともと持っていた土佐人や海援隊への悪印象など、いろいろと言い分があるのもわかる。結局、私とサトーは不幸な邂逅から始まってしまった、ということだ。事件のほうは、証拠不十分にて海援隊への嫌疑は晴れることになった。

(「大政奉還前後」つづく)