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■龍馬が語る『龍馬百話』~第九章「龍馬余影②」と第十章「その後の話➀」~

今回は、第九章「龍馬余影②」と第十章「その後の話➀」です。第86話「お龍と明治(上)」から。

【第86話 お龍と明治(上)】

高知を離れた後のお龍は、随分と苦労をしたみたいだ。京都ではお登勢さんの世話になり、東京では勝先生や西郷さん、海援隊士たちを頼りにし、その紹介で神奈川宿の料亭で仲居をしていたこともあった。

その後ようやく明治8年に、西村松兵衛という商人と再婚する。しかし「龍馬が生きていたら、又何か面白い事でもあったでしょうけれど、これが運命というものでしょう」というお龍の回想録には、胸が痛む。

【第87話 お龍と明治(下)】

西村氏と再婚したお龍は、横須賀に住み、母のお貞さんを引き取り、その最期を看取る。お貞さんと西村氏の郷里は、ともに滋賀県で近郷だったようだ。

横須賀に住んだお龍のことを、海援隊士だった安岡金馬がよく面倒を見てくれたという。そしてその息子である安岡重雄氏が、晩年のお龍の様子を描いた文献を残してくれている。

【第88話 沢村惣之丞の自刃】

私と一緒に脱藩し、長く行動をともにした沢村惣之丞は、明治の世が訪れる直前に死んでしまう。幕末の混乱が続いた長崎で、無人状態となった長崎奉行所を、沢村をはじめとする海援隊が警備に当たっていた。

これに協力する薩摩藩の隊士も集まってきたのだが、そのうちの一人が酔っ払って暴れ始めたのだ。その男を沢村は、小銃で撃ち抜いてしまう。是非はともあれ、最も協力を必要とする薩摩との軋轢を恐れた沢村は、翌日に自刃したのだった。私が最も嘱望し、一翁さんも認めた男の無念の最後だ。

【第89話 中江兆民】

のちに思想家ジャーナリストとして名をはせる中江兆民と、私は長崎で出会っている。当時私は海援隊の隊長だったが、中江くんは私に対して「自然に尊敬の念を抱いた」と言っていたようだ。

そして、中江くんの弟子・幸徳秋水の追懐によれば、私が薩長を連合させて幕府転覆の気運を促進させたように、中江くんは在野党連合をもって藩閥政治を討滅させようとしていたという。ある意味で、私の系譜を継いでいたということだろうか。

【第90話 才谷屋坂本家と明治】

才谷屋坂本家六代目八太郎の弟八兵衛の長男、坂本源三郎の話だ。西郷さんが土佐を訪れた際、当時14歳だった源三郎は随分と西郷さんに気に入られて「薩摩に連れて帰りたい」とまで言われたらしく、その申し出を断るのに苦労したようだ。

その源三郎は明治の世になってから、土佐に私の碑を建ててくれたのだ。その碑には、板垣退助の撰文、そして薩長連合に向けてともに協力した土方楠左衛門の漢文が彫られている。

のちに源三郎の養女が板垣を訪ねた時、「板垣、今日あるは偏に坂本先生のお蔭さまでございます」と最敬礼したという。

(「龍馬余影」おわり、「その後の話」つづく)