見出し画像

■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺②」~

前回の「暗殺①」に続く、今回は第八章「暗殺②」です。第76話「暗殺(上)」から。

【第76話 暗殺(上)】

越前を旅してから、風邪気味の日が続いていた。その日私は、近くに寓居する福岡藤次を訪ねたが留守であった。その際、福岡の従者に「先ほど、坂本先生はおられぬか、と訪ねてきた者がありました。御用心ください」と告げられた。

数日前にも、伊東甲子太郎から「新選組や見廻組がつけ狙っているから、速やかに土佐藩邸に移られるように」と忠告を受けていたのだが・・・。

近江屋に戻ると中岡が来ていた。しばらくして岡本健三郎も加わって雑談に花が咲いた。この日は妙に冷えこんだから、軍鶏鍋を囲んで一杯やろう、と峯吉に使いを頼んだ。

すると、「わしも野暮用があるから一緒に出よう」と岡健が立ち上がり、峯吉と一緒に表に出ていった。そうして、私と中岡、山田藤吉が近江屋の2階に残ったのだった。

【第77話 暗殺(下)】

岡健と峯吉が出かけて、その後に来客があった。藤吉が降りていくと、彼らは「十津川郷の者で、坂本先生にお目にかかりたい」と取次ぎを頼んだ。

藤吉は、十津川郷士ならと心得て、階段を上がったのだが、三人の刺客は後をつけ、まず藤吉を斬った。そして、藤吉が倒れる激しい物音に向かって「ほたえな!」と叫んだ私と中岡に、二人の刺客が襲いかかってきたのだ。

散々に斬りつけられながら、「こなくそ」という言葉、「もうよい、もうよい」という声を聞いていた。私は、「残念だ、残念だ」と無念のこもった声を吐き、「脳をやられたから、もういかん」と呻きつつ、血の海に倒れたのだ。

【第78話 中岡慎太郎】

中岡慎太郎とはよく相談をした。意見の違いで論争になることも多々あったが、彼以上の相談相手はいなかったということだ。薩長連合という大仕事が成功できたのも、板垣退助を巻き込み土佐藩論を転回できたのも、中岡の周旋があったからこそだ。

そして中岡は、岩倉具視と三条実美を和解させるという、私も桂さんも西郷さんもできなかったことまで、やってのけている。「もし中岡が暗殺されることがなかったら、明治新政府の中枢で、木戸や西郷と肩を並べていたに違いない」と後年、板垣は惜しんでいたようだ。

【第79話 お龍の凶夢】

私が京都で遭難した夜、お龍は下関の伊藤家に居た。その夜私は、自分の死を知らせるためにお龍の枕元に急いだ。全身を朱に染め、血刀を提げた姿でお龍の夢の中に立ったのだ。彼女も、何かが起きたのだ、と感じてくれたことだろう。

それから約半月後、海援隊士と三吉くんによって、私の死はお龍に知らされたようだ。お龍はその後しばらく、三吉家で過ごすことになる。三吉くんは、私の生前の頼みの通り、お龍の面倒を見てくれたのだ。感謝の気持ちでいっぱいである。

【第80話 林謙三と岩倉具視】

私は林謙三と、至急面談したい、という手紙をやり取りしていたから、彼は11月16日に京都に入っていたらしい。そして近江屋を訪ね、そこで目の当たりにした惨状、悲痛な思いを後年、自叙伝に記している。

また、私と中岡の死の知らせに衝撃を受けた岩倉卿は、「いかなる魔物が私の片腕を奪い取ったのかと、その事実に私は慟哭した」という記録を残している・・・。

(「暗殺」おわり)