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■龍馬が語る『龍馬百話』~第七章「大政奉還前後②」~

今回は第七章「大政奉還前後②」です。第66話「ライフル銃」から。

【第66話 ライフル銃】

イカルス号事件解決後すぐ、私はオランダ商人ハットマンから、最新式のライフル銃1300挺を購入し、そのうち1000挺を土佐藩に売り渡している。後れをとった土佐藩が薩長に対抗していくには、大政奉還にしろ武力倒幕にしろ、背後に武器が必要だったからだ。

そして私は、この武器購入代金を利用して、実はほかの商業活動への貸付けも行なっていたのだ。私が、政治にしろ商事にしろ、同盟の名人といわれる所以である。

【第67話 最後の帰省】

1000挺のライフル銃を積んだ震天丸で、私は長崎から土佐に向かった。その出航前に、桂さんから激励の手紙を受け取っている。「大政奉還が成功しなければ、あとは戦争になるのは必至だから、その準備を抜かるな」という忠告だ。

もとより今回の武器売り渡しは、その覚悟の一端であるし、土佐藩を目覚めさせるためのものだ。私は土佐の重役たちに、ライフル銃を運んできたことに加え、京都の情勢や薩長連合の計画などを語り尽した。彼らもようやく、事態が切羽詰まっていることを理解して、銃の購入を決めたというわけだ。

【第68話 坂本家へ】

銃の売り渡しが決まった後、私は夜の闇に紛れて、脱藩以来6年ぶりに我が家の敷居をまたいだ。そんな私の帰省を祝って、権平兄さんや乙女姉さん、春猪たちが宴を開いてくれた。うれしいことだ。

そこには同志も数人来ていたが、中には即時脱藩挙兵を主張する者もいて、彼らには「しばらく時機を待って、乾退助が編成した部隊に加わってほしい」と、私がその逸る心を制したものだ。

【第69話 苦心の工作】

京に戻ると、政局は緊迫していた。そして私たちの評判も高くなっていたから、定宿をこれまでの「酢屋」から「近江屋」に変えて潜伏することにした。

京では薩長の勢力が増していて、大政奉還による平和路線が容易ならぬことになっている。薩長同盟成立のため共に行動した中岡も、いまや陸援隊を率いて倒幕挙兵の時機を待っているのだ。

そんななか後藤は、西郷ら挙兵派を必死で押さえ、大政奉還の建白書を幕府に提出し、幕府要人への説得工作に奔走していた。私も後藤の支援に動き、若年寄・永井尚志氏を訪問したわけだ。

【第70話 大政奉還建白の日】

息詰まる一日だった。登城する後藤に、私は決意と叱咤を込めた一書を発した。「もしも大政奉還が成らない時は、我ら海援隊は慶喜公を待ち伏せて報復するつもりである。もとより後藤先生も必死のご覚悟、先生とは地下でお会いすることになるでしょう」。

後藤もさすがである。すぐに返信を送ってきた。「万一の時、もちろん私は生きて帰るつもりはない。海援隊で将軍に斬り込む云々は、君の判断に任せるが、みだりに軽挙しないように」。

そして遂に、慶喜公は大政奉還を決意する。後藤はその英断を称賛した。後藤からの朗報に触れた私も、慶喜公のためになら命も捨てよう、と誓ったのだ。

(「大政奉還前後」おわり)