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■龍馬が語る『龍馬百話』~第六章「世界の海援隊➀」~

今回からは第六章「世界の海援隊」。第51話「歌人龍馬」からです。

【第51話 歌人龍馬】

私が生きた幕末には、優れた歌を詠んだ仲間がたくさんいた。かく言う私も、数は少ないが読んだ歌を残している。もともと私が生まれた坂本家には、国学や和学の伝統があって、4代前の直益は国学者の弟子であり、父も万葉学者の門下生だった。和歌をたしなむ家風があったということだ。

後年、詩人の大岡信氏は私の歌を紹介し、歌人・坂本龍馬を登録して下さったみたいだ。紹介された歌は「藤の花今をさかりと咲きつれど 船いそがれて見返りもせず」。

【第52話 即興自作】

幕末の志士と呼ばれた私たちは、自作即興の歌を詠う風流さも持っていた。特に高杉さんの都々逸は、傑作ばかりだ。高杉さんは風流をこよなく愛していたから、私もその影響を存分に受けた。

下関の自然堂に暮らしているとき、朝帰りをした時があった。お龍は機嫌を損ねてしまい、ほとほと困ってしまったのだが、その時咄嗟に小唄を作って謡ったところ、ようやくお龍は機嫌を直して笑ってくれたものだ。「 ~ ほかにこゝろはあるまいと かけてちかいし山の神 ~ 」

【第53話 溝渕広之丞】

溝渕さんとは若い頃、一緒に江戸へ剣術修行に出かけた旧知の仲だ。そんな溝渕さんと長崎で再会した。土佐を脱藩して、東奔西走していても、心の底には故郷・土佐への想いが消えていないことを、私は溝渕さんにわかってほしくて手紙を書いたものだ。その後、溝渕さんには後藤象二郎を紹介してもらい、海援隊結成につながっていくことになる。

【第54話 清風亭】

溝渕さんの周旋で、後藤象二郎と清風亭で会うことになった。社中の沢村たちは、奴(後藤)こそ武市先生の仇、と付け狙っていたが、私はそれを制止していた。果たして会ってみると、後藤はなかなか見所のある人物であった。

そしてまた、土佐藩にも公武合体から倒幕へ一新の気配が垣間見えた。早速この様子を、桂さんと三吉くんにも手紙で知らせた。大いに、面白い状況になってきたということだ。

【第55話 海援隊結成】

後藤と意気投合した後、亀山社中は土佐藩のバックアップを受けて、海援隊と改めて再発足する。私は、中岡とともに脱藩の罪を許され、土佐海援隊長を任された。

世界を意識した海援隊の入隊資格は、「本藩(土佐藩)を脱する者及び他藩を脱する者、海外に志ある者」とした。そんな幕末の異色結社グループの仲間は、沢村惣之丞、長岡謙吉、高松太郎、佐柳高次、陸奥陽之助、といった面々…。

(「世界の海援隊」つづく)