■龍馬が語る『龍馬百話』~第四章「日本の洗濯②」~
今回は、第四章「日本の洗濯」の続きです。第38話「薩長連合の根回し」から。
【第38話 薩長連合の根回し】
先の薩長会談失敗の後、私はその再開に向けて飛び回っていた。折しも長州再征伐の準備を着々と進める幕府に対し、長州は高杉さんや桂さんたちが必死の抵抗をしていた。
その長州を再起させ、薩長連合を実現することが日本再建の道と確認した私は、京で西郷さんに会って、下関に来なかった真意を確かめ、改めて薩長連合の必要を説いた。そして、兵糧米の依頼を長州が承諾したことを伝えると、西郷さんは感謝し薩長連合に同意を示したのだ。
一方、下関では桂さんと会って、薩摩が手を差し伸べてきたことを告げ、会談のため上京することを勧告した。ようやく熱意が通じ、慶応2年の正月、薩長連合会談の実現を迎えるのだが…。
【第39話 同盟成立】
慶応2年正月、私が京に着くと、なんと桂さんは長州に戻ろうとしていた。何があったのかと問うと、桂さんが京に入ってから約20日間、薩摩から連合の話は一切出ない。このまま時間を無駄にするわけにもいかす、いよいよ帰国するところだったという。そして桂さんは、悲壮な決意を語った。長州が滅びようと、薩摩が皇国のために尽くしてくれるのなら悔いはない、と。
私はすぐに西郷さんに会って、桂さんの心を訴えた。薩摩と長州では、今は置かれている立場が違いすぎる。どうして連合の話を切り出さないのか、と薩摩の態度を責めた。そして、どうか桂さんの心境を汲んで、西郷さんから申し出てはくれないか、と説得した。西郷さんは、これまでの迂闊さを詫び態度を改め、桂さんも出発を留まってくれた。
こうして、一度目の連合への動きから約8か月、ここに6か条からなる薩長同盟が成立したのだ。
【第40話 裏書】
苦心の末に成った薩長連合。そした私は桂さんから、間違いがあってはならないから、書簡に一筆認(したた)めてほしい、を頼まれた。それに応えて、この約束は間違いない。私が同席して見聞きした通り、と薩長盟約書簡に裏書きしたということだ。中岡も言っているが、この同盟によりこれから先は、薩長両藩を主軸に日本再建が展開していくことになるだろう。
【第41話 寺田屋事件(1)】
桂さんに頼まれた薩長連合の裏書を書いたのは、寺田屋で遭難して九死に一生を得た後のことだ。寺田屋では、三吉くんとお龍には本当に助けられた。私も高杉さんからもらったピストルで応戦したんだが、もし二人がいなかったらそのどうなっていたか…。
その時の様子は、桂さんに手紙で知らせた。この遭難のせいで、長州に行くことができなくなってしまったから。しかしそのおかげで、薩摩に行くことになり、新婚旅行第一号となるわけだから、人生とはわからないものだ。
寺田屋で襲われた理由は、私がいては徳川家のためにならない。是非とも殺すように、と指令が出されていたかららしい。私も、いつの間にかそんな人物になっていたということだ。
【第42話 寺田屋事件(2)】
お龍も後年、寺田屋遭難のことを回想しているようだ。お龍のおかげで私の命は助かったようなものだし、だからこそ生涯の伴侶として、薩摩や長崎や下関と連れ添っていったのだ。寺田屋というところは、まるで順蔵さんの家に居るような寛いだ気持ちになれるところだった。そこの女主人・お登勢さんに、とてもかわいがってもらった。学のある女で、人物と言える。
桂さんからは、先の知らせに対して返事が来た。「ご無事で何より、しかしこのような御時世である。まだまだ国のために尽力してもらわねばならぬ故、くれぐれも御用心を。」などと書かれてあったのを思い出す。
(「日本の洗濯」おわり)